第36話 尚の心の中に 3
私の推測はこうだ。
櫂が話してくれた、尚と一緒に暮らしていた人物。それがきょうかさんなんじゃないか。
そしてその人が、現代日本語を尚に聞かせた。
私と会ったときに話してくれた言葉は、きっときょうかさんが使っていたものだ。
そしてもう一つ。私のように尚の仙力に影響を受けたんじゃないだろうか。
もしかしたら仙人として、今でもどこかにいるのかもしれない。
「前に、うわ言で呼んでたよ」
「私は、他に何か言っていただろうか」
「ううん。名前だけ」
わかったのは、それだけ。
「そうか。それならば良い」
尚の視線は話をしながらもどこか遠くを見ていて。きょうかさんのことを思い出しているのかな。
「きょうかさんって、私と同じ言葉を使ってた人?」
「其方は、このようなことだけ鋭いな。そうだ。京香は其方と同じ言葉を使っていた」
尚の声色には、京香さんへの懐かしさとか愛しさとか、そういうものが滲み出てる。
私が聞いたこともないような優しい息遣いに、今も尚の中で京香さんが大きく存在してるのがわかる。
「京香さんは仙人なの?」
「あぁ。私が仙人にしてしまった」
さっきまで穏やかだった顔が、その一言で険しく曇る。
尚が自分以外の人を仙人にしてしまったことにひどく後悔してるのは、私自身がこの目で見てきた。
きっと京香さんに対しても、同じように後悔と自責の思いを積み重ねてきたんだろう。
その時もきっと、無駄に責任を感じて。
「今は?」
「京香は、いや、きょうは仙人島にいる」
「きょう……そっか。そう呼ぶんだね」
「はるに、きょう。何とも安直だな」
二人で目を見合わせて、お互いに笑い合う。暗いだけの雰囲気がほんの少しだけ晴れたみたい。
「きょうは仙人島で一人前の仙人として暮らしている」
「会ったりはしないの?」
「彼女は私のことはもう覚えていないだろうな」
覚えてない? どうして?
私の頭の中に疑問と同時に浮かぶ答え。
距離を取ろうとしたから?
尚の仙力の色が残らないようにって、私から離れようとしてた。きっと、同じことを京香さんにもやった。そしてそのまま、忘れてしまったのかもしれない。
「会いたくないの?」
こんな顔するぐらい懐かしくて愛おしくて、夢にまで見ちゃう相手。会いたくないわけがない。
「せっかく忘れているのならば、わざわざ会う必要はない。そのようなことをすれば、きょうに余計な記憶を増やしてしまう」
京香さんが長生きするため?
自分の会いたい気持ちとか、そういうのを全部押し込めて、会えなくても長生きしてて欲しいってこと?
「其方がきょうに会えれば、以前の言葉で話ができたかもしれないのにな。私の勝手な思いで、其方には苦労をかけた」
「ううん。いつまでも前の言葉で話してたら、こっちの言葉を覚えられなかったし。緑とも父さんとも話ができないままだったから」
「緑弦と誠弦か。本当に大切にされてきたのだな」
「うん。人間は食事をしないと生きていけないし。どこの誰かもわからない私のこと、五年間も育てるの大変だったと思う」
「そうか」
尚がどことなく寂しそうに目を細めたのが見える。
「家がないのなら、しばらくここで休んで」
後で家は作るって約束してくれたから。睡眠もとるって言ってくれたから。
このまましっかり体を休めて欲しい。
「起きたら、前あげられなかったパンケーキ作るね」
こっちに連れ戻したら、口の中目一杯に詰め込むつもりだったパンケーキ。結局作ってあげられてない。
「美味しいのだろう? あれ程自慢されては、流石に楽しみだ」
「うーん。どうかな。好き嫌い、あると思うんだ」
だって、日本で食べてたパンケーキは、ふわふわで歯を使わなくても食べれそうなぐらい柔らかくて。それを知ってる私は、あの出来は満足できない。どっちかっていうと失敗作かもしれない。
「櫂は相当気に入っていた様だが」
「櫂さん、甘いもの好きなんですよね」
櫂……どこに行っちゃったんだろう。尚は知ってるのかな。
「尚は、櫂さんが今どこにいるか知ってるの?」
「櫂はいつから姿を見せていない?」
「尚を助けに行った時からだよ。帰り道で別れて、そのまま」
「ふむ……櫂は其方に何か言っていただろうか」
「後始末をつけてくるって。そう言って仙人島に……」
「櫂が其方にそう話したのであれば、仙人島にいるはずだ。ああ見えて忙しい身の上だ。あちらでやるべきことも多いのだろう」
櫂はきっと、それなりに立場のある人だ。
そう思ったのは間違いじゃない。
「櫂のことは心配するな。私のように阻害される地位の人間ではない」
阻害されるのは、尚だけ?
櫂があんなに足繁くここに通っていて、それでも阻害されないってことは、やっぱりそういう人だから?
尚は、前仙帝の子供だから攻めて来られなきゃいけなくて?
櫂は仙人島で生活できるの? 普通に生活できるの?
「仙帝の子どもって、そんなに駄目なこと? 尚だけ、こんな暮らししなきゃいけないの?」
「私だけ、と問われればそうであろうが。あまり気にするな。仙帝の考えはわからなくもない。それにこの生活も悪くない。煩わしさもないからな」
あんな目に遭ったくせに、悪くない? そんなわけないじゃない。
「嘘」
「ははっ。嘘ではない。確かに木偶の攻撃が煩わしくないと言えば嘘になるが。倒しても倒されても特に問題はない。この身がどうなろうとも」
笑い話じゃないよ。
この身が……って、私達のしたことは? 無駄?
「助けに行かない方が良かった?」
「そ、そういうわけではない! このような時間が待っているのであれば、助けに来てもらえて良かったと思う。感謝している」
『このような時間』その言葉に、私の心が小さく弾む。
私のしたことに、ちゃんと意味があったんだってホッとする。
「良かった。パンケーキの準備するからね。尚は少し寝ててね」
「あぁ」
そう頷いた尚が、もう一度ゆっくりと体を横にする。そして目を瞑れば、またたく間に深い寝息が聞こえた。
尚の規則的な寝息を聞けば聞くほど、私の中に湧き上がる怒り。
このままで良いわけが無い。
尚だって、もっと自由に楽しく暮らしたって良いはず。
道楽で屋台をやって、取り合いしながら癒やされて、好きな時間に寝て起きる。そんな生活が当たり前に行われてた。
そうなったって、良いのに。
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