第35話 尚の心の中に 2

「あの中に必要なものって、本当になかったの?」


 二人がかりで粉々にされた洞窟の入り口。

 見るも無惨なあの状態では、中もただでは済まないだろう。


「特に何も置いていない。代わりが効くものばかりだ」


「そう……」


 長い間住んでいたはずの場所なのに、特別なものが置いてないの?

 なぜかこれ以上の疑問を口にしちゃいけない様な雰囲気に、次の言葉は出てこなかった。


「はるのお陰であらかた片付いた。助かった」


「うん……どういたしまして」


 私の感情とは裏腹に、満足そうな尚の顔。

 突然私に仙力の扱い方を教えてくれて、表情豊かに話をしてくれて。これまでからは考えられないぐらいの差に、理解が追いつかない。

 何が、あったんだろう。


 尚のことを連れ戻してからの一ヶ月。ほぼ毎日一緒にいたはず。

 その間の尚は、大岩の上に座ってばかりで、これといって変わった動きはしてない。

 私にとっては嬉しいはずの変化も、なぜだか不気味に感じてしまって、素直に受け取れない。


「明日は、温めてみるか」


 そう呟いた尚の手のひらに作られた玉は一瞬で視界から消えて、途端に大きな音と共に岩肌が濡れる。たちこめる湯気と、早々に消えていく濡れた跡がその中身の熱さを物語っていた。


「今のっ」


「あれが私の出せる最大速度だ」


 尚の顔と濡れた洞窟の入り口だった場所を交互に見ながら、きょろきょろしている私の耳に届く得意気な声。玉の瞬間移動かと思うような光景に、目を疑いたくもなる。


「こんなに強くて、早くて、何で捕まったりしたの?」


「あれは……少し油断した。もう二度とない」


 油断?

 そんな言葉で済むはずがない。

『尚はこの中の誰よりも強い』櫂が言ったその言葉は間違いじゃない。

 それなのに、油断したからってだけで捕まるだろうか。

 尚に尋ねたいことは溜まりに溜まって、それでもやっぱり言い出せなくて。

 もう何から話し始めて良いのかすらわからない。



 それからの尚は、これまでの一ヶ月が嘘みたいに行動的だった。

 私の練習に付き合ってくれて、砕き散らした元の自宅周辺を作り直して。毎日毎日、島中を飛び回ってた。

 それこそ、一睡もせずに動き続けていたんじゃないだろうか。

 隣で見てるこっちが、心配になってしまう。


「ねぇ、尚。無理しすぎじゃない?」


 こんな言葉なんか、尚の意識には届かない。


「今のうちに、やれることをやっておかねば」


「今のうち?」


 慌てなきゃいけない理由がある?

 悠久の時間があるはずの仙人の暮らしの中で、慌てる必要はないはずだ。

 今のうちってことは、いつかはこの生活に終わりが来るってこと。

 それまでに、島を整えて、強くなるように訓練して。心を占めるのはたった一つの不安。

 仙帝と会うことになる。それだけだよね。


「其方は気にする必要はない」


 そう言って私を気遣うその顔に浮かぶ疲労感。


「そんなに疲れてるのに?」


「岩の上に居れば、そのうち回復する。それで良い」


 食事はともかく、睡眠時間まで減らして、それでいいはずがない。


「良いわけないでしょ!」


 目の下に大きなくまをくっきり浮かび上がらせた尚を、引きずってベッドに押し込んだ。

 洞窟の家を壊して、日中は私の家の近くにいて、尚の新しい家はどこ?

「また明日来る」っていつもそう言って家を後にするのに。どこに帰ってるの?


「少し寝たら尚の家まで連れて行くよ? 私の絨毯なら一緒に乗れるから。どこにあるの?」


「家は、まだない」


「は?」


「まだ作っていない」


 この家だってあっという間に作ってしまったから。

 毎日、帰った素振りを見せるから。

 まさか、家がないなんて考えもしなかった。


「バカっ!」


 イライラした気持ちが溜まりに溜まって、ついに吹き出す。

 何年かぶりの日本語で、怒鳴りつけてしまった。

 

「ば? ばか?」


 通じてないし。


「そうだよ! バカって言ってるの。家もないままで、岩の上で回復するから良いって?! そんなわけないでしょ」


 私のベッドに横になった顔色の悪い尚に向かって、一気にまくし立ててしまう。

 気を遣って止めることもできなかった。


「そ、其方は何をそれほど怒っているのだ?」 

 

「怒ってない! 心配してるの!」


 何でこの人は、こんなにも自分を大切にできないの?


「心配? どういうことだ?」


「そうだよ! 心配しちゃいけない? 確かに私は弱いけど、心配する資格もないの?」

 

「心配など、これまで誰にもされたことなどない。其方がどうしてそれほどまでに怒っているのか、それすらもわからぬ」


「だから、怒ってないってば!」


 何で、わかってくれないの?!

 こんなに、心配してるのに。


「お、怒っているではないか」


「もう! 尚がまた倒れたらどうしようって、不安になるの。無理しないで欲しいの」


「何故……其方が気にするのか?」


「何故って……お、恩人だから! 私を助けてくれた人に何かあったら、どうしようって思うの」


 そう。恩人だから。心配ぐらい、させてよ。

 

「気を病ませてしまって、すまない」


「本当だよ。もう少し自分のこと大切にして」


「申し訳ない」


 ベッドに体を横にしたまま尚が、申し訳なさそうに頭を傾ける。

 青白い顔をした人に、言い過ぎだ。


「ごめんなさい。言い過ぎたね」


「そんなことはない。其方に心配をかけてしまった私のせいだ」


 こんなことまで、自分のせいにしちゃうの?


「何でもかんでも、自分のせいにしないで。そんなに自分のことを責めないで」


「だが……」


「言い過ぎた私が悪いんだから。怒って、いいんだよ」


「そのような顔をした其方に、何も言うことはできぬ。怒ったり泣いたり、忙しいな」


 青白いままの顔で、尚が静かに笑う。

 尚の言葉で、自分が初めて泣いてることに気づいた。


「きちんと家は作る。睡眠もとる。だから、もう泣くな」


 いつもの優しい風じゃなく、そっと伸ばされた尚の冷たい指先が私の目元に浮かぶ涙をぬぐう。

 ひんやりとした指先が心地良いのは、顔に熱が上がってるからだ。

 泣いたせいか、それとも他の感情か。


「無理をしすぎる尚のこと、きっとみんな心配してるよ。櫂さんだって……」


「そうだろうか」


 そうだよ。櫂だけじゃくて、もう一人。私がずっと気になってる人。


「きょうかさんだって」


 私の言葉に、穏やかに話をしてた尚が飛び起きた。


「なぜ、その名を知っている?!」

 

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