第28話 平和な時間は、長くは続かなくて 3

「櫂さんが、やったんですか。コレ」


「まさか。僕はここまで規格外じゃないよ」


 ってことは、この犯人は尚ってことよね。

 櫂にパンケーキをあげた二日後の朝。私は朝から家の異変に愕然としていた。

 昨日まで何の変哲もなかった壁。

 それが朝起きたら台所ができあがっていた。

 下の家のとは違う。もう少し洋風というか、ヨーロッパっぽいというか。レンガ造りの洋館にありそうな台所。いや、キッチンかな。

 もし作ったのが尚だとしたら、一体どこでこの形のキッチンを知ったのだろう。


「櫂さんじゃなければ、尚ですよね」


「まぁ、そうだろうね」


「尚が、何で台所なんか……」


「興味がないわけじゃないのだろうね」


 突如現れたキッチン。それが意図するところ。

 つまりは、料理を作れってことね。


「そう言ってくれれば良かったのに」


「距離を置くって言った手前、言い出しにくいのかな」


 私と一緒になって、昨日まで壁だったキッチンを見ながら唖然としていた櫂が、足を踏み入れながら呆れたような顔を見せる。

 こんなもの作ってもらったら、当然お返しが必要で、距離なんか開くわけないじゃない。


「はぁ」


「おや? ため息を吐くぐらい迷惑だったのかな?」


「いいえ。こんな場所を作ってくれるぐらいには、料理に期待してくれてるわけで。それに応えられるかどうか不安なんです」


「いらないと突っぱねてみてはどうだい?」


「そんなことできません。台所を作ってもらえたことは嬉しいですし、何より尚に何か返せる可能性ができたってことですから」


 虚無の時間、苦痛の時間と今を表現する尚が、少しでも嬉しいと感じてくれるなら。わたしが作るものを美味しいと、楽しみだと思ってくれるなら。

 これからも色々作るよ。

 甘いもの。辛いもの。塩気のあるもの。

 私ができることなら何だってするから。

 美味しいもの食べよ。


「これで、はるは料理ができるということかな?」


「はい! 何がいいですか? 食材さえあれば、できる限り作りますよ」


「何……と言われても。僕もよく知らないからね」


 それもそうだ。

 ここまで食事をして来なかった櫂や尚に何が食べたいって聞いたところで、何も出てくるわけがない。


「櫂さん。もう一度、仙人島に連れて行ってくれますか?」


「それぐらいお安いご用さ。何か作ってくれる気になったのかい?」


「パンケーキは尚にあげませんでしたから。台所のお礼に何か作ります。まだ小麦粉も砂糖も残ってますし、もう一度甘いものにしましょう」


「甘いもの。あれは本当に良いものだった」


 パンケーキの味を思い出しているのだろうか。櫂の顔は見たこともない様な表情をしていて、王子様の締まりのない顔は見ものだ。


「また、近いうちに連れて行ってくれますか?」


「とんでもない! 今すぐだ」


 時間は贅沢に使おうなんて言ってる櫂が、疾風の様な早さで行動に移す。

 優雅な空の飛行はどこへやら。

 天馬から滑り落ちそうになりながら、瞬く間に仙人島の屋台の前に到着した。

 

 私が船酔いの様な症状で、まともに買い物ができるようになるまで時間を費やしたことを思えば、普通の速度で飛んできた方が早かっただろう。

 急がば回れって、こういうことなのかもしれない。



「これは、何だい?」


「クレープって言うんです。苺のジャムも作ったので、一緒に召し上がって下さい」


 手で巻くのは難しそうなクレープ生地を、皿に置いてジャムを乗せて二人に勧める。

 尚が作ったキッチンで初めて作った料理。

 正真正銘、二人のためだけに作ったものだ。


「これは、一枚一枚はすごく薄いんだね」


「はい。一枚に果物だったり野菜を巻いて食べても良いんですけど、今日は何枚か一緒に食べてみて下さい」


「うん。美味しい。でも僕は、前のパンケーキの方が好きだなぁ」


 甘いものの虜になった櫂は、用意したクレープも躊躇なく口に運び、自分なりの感想まで伝えてくれる。


「パンケーキとやらは、それほど美味だったのか?」


「あぁ。君は食べられなくて残念だ」


 櫂がわざと尚を挑発するように声をかける。

 仲良く、なりたいんだよね?

 わざわざ煽らなくてもいいだろうに。


「尚、また作るよ。今日はクレープをお礼に受け取って」


「お礼……」


「うん。台所、ありがとう」


「構わぬ」


 まだ言い終わるかどうかのところで、クレープをおもむろに口に頬張る尚は、いつにも増して仏頂面で。照れ隠しなんだって流石の私でもわかる。

 鈍いって、友達には言われてたのにね。


「こ、これからも必要なものがあれば私に言えば良い」


「それって、呼びかけても良いってこと?」


 仙力の色が残らないようにって気にしてるはずの尚のことを、こちらからは呼ばないようにしてた。

 話したいことや、相談したいことだってあったけど、私がそれをやっちゃうと、せっかくの尚の努力が無駄になる。


「ほどほどになら。仙人島には行けなくとも、下になら私だって連れて行ってやれる」 


 櫂の代わりに連れて行ってくれるって言いたいのかな?

 何で突然こんなこと言い出すんだろう。


「そんなに、パンケーキが魅力的だったのかな?」


 櫂がニヤニヤと揶揄うように尚に問いかける。


「決してそういうわけではない!」


 櫂の言葉に顔を赤くして、勢いよく尚が椅子から立ち上がった。


「あっ……」


 尚の勢いに押された椅子が、後ろにゆっくり倒れていく。

 椅子の倒れる大きな音に被さって聞こえたのは、何かが爆ぜるような破裂音。


「何?!」


「あいつらっ」


「まさか!」


 何が起きたのか理解できずに、辺りをきょろきょろと見回すだけの私。

 それと対照的に、尚と櫂は同じ方向を見つめて、顔を険しくさせた。


「櫂。どういうつもりだ」


「僕にもわからないよ。こんなことに僕を巻き込むなんて、許せないね」


 二人の会話はちんぷんかんぷんで、起こった出来事も会話の内容も一切理解ができない。

 櫂が何か知ってるの?

 何の音なの?


「其方を巻き込みたくはない。ここで、動かずにいてくれ」


 倒れた椅子もそのままにして、尚が家から出て行った。

 尚には、何起きたのかわかってるんだ。

 眉間にしわをよせたまま、何か考え込んでいる様な櫂も、きっと何かわかってる。

 私だけが、何も知らないままだ。 

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