第27話 平和な時間は、長くは続かなくて 2
「結局、何が欲しいのかな?」
「小麦粉と砂糖! 後は卵があれば大丈夫です」
春の精が本格的に踊り始めたのだろう。
春の穏やかな陽射しが木々の緑を輝かせ始めた。
父さんと約束した季節がいよいよやってくる。
「それだけで大丈夫?」
「そしたら、後は果物。苺買っても良いですか?」
「あぁ。何だっていいよ。屋台ごといく?」
「屋台ごとはいりません」
「他には? 肉とか魚とか」
「いいです。大丈夫」
あまりにもご飯っぽくなっちゃうと、お土産としてはイマイチだからね。
お土産として私が選んだのはお菓子。鉄板で簡単に作れるパンケーキ。
ベーキングパウダーは流石に見当たらなかったけど、パンケーキなんて食べたことないもんね。
きっと喜んでもらえる。
「わかった。買い取ってくるから、少し待ってて」
店先に私を残したまま、櫂が奥にいる店主らしき人に話かけに行く。
櫂が交換のために渡すものが何か気になったけど、『待ってて』って言われた以上、ここにいないわけにいかない。
それでも、どうしても気になって、小さい背丈を精一杯背伸びして店の奥を覗き込めば、店主と話をしてる櫂が見える。
そもそも櫂は何か持ってたっけ?
いつものように手ぶらの櫂に違和感はなくても、物々交換をする人間としては、手ぶらではいけないはずだ。
乗り物すら仙力で出すことができる仙人でも、交換するものがそれではいけないだろう。
「こら、人の秘密を覗き見ないよ」
必死に背筋を伸ばして首を伸ばして覗き込んでると、不意にこっちを向いた櫂が静かにそう言った。
「それでは、ご自宅に送り届けさせていただきます」
「あ? あぁ。そうしてくれ」
櫂がこっちを見たことで、店主の声が少し大きくなったらしい。
風にのって聞こえてきた言葉は、ただの道楽店主にしては妙に
いつもの櫂にしてはやけに横柄に聞こえる言葉も気にかかる。
「さ、もう帰ろうか?」
「はい」
有無を言わせぬ迫力に、さっきまであったはずの買い物の楽しさやわくわくした気持ちが萎んでいく。
櫂には仙人島での暮らしがある。
もちろんここでの立場もあるだろう。
わかっていたはずなのに、私の知らない櫂を見たことで、櫂がすごく遠くに感じる。
「今日買ったものは、僕の自宅に届くようにしたから。明日にでもはるのところに持って行くね」
天馬に乗って、櫂の前に座って、後ろから聞こえてくる言葉はいつもの様に優しいのに。
櫂も『何をするかわからない奴』なのかな。
「よろしくお願いします」
「下にはいつ行こうか?」
そうだった。こんなこと考えてる場合じゃない。
せっかく、父さんや緑に渡すお土産なんだし。
ぐちぐち考えてても仕方ないよね。
「できるだけ早いとありがたいです。苺が悪くなっちゃうので」
「食べられなくなっては困るね。後二つ夜を越えて、その後かな」
「わかりました。また、声をかけてもらえますか?」
あの言い方は、早ければ明後日。その後になれば未定ってこと。
できるだけ早くとは伝えたけど、どうなるかわからないのが仙人の約束。
悪くなればまた手に入れればいいなんて思ってるのかもしれない。
「これは、この間のものよりも美味しい! 甘味と苺の酸味が合わさっていくらでも食べられそうだ」
「気に入ってもらえて何よりです」
父さんと緑に食べてもらった時と同じ、櫂がこぼれ落ちそうな笑顔をこっちに向けてくれる。
言葉通り、ほっぺたが落ちそうなのかな。
パンケーキと言うには、申し訳ないぐらいぺしゃんこになってしまったモノ。
それでもこの世界に存在していなかったかもしれないパンケーキに、苺で作ったジャムを添えた。
私たちにとって砂糖は贅沢品で、甘味は果物からとるしかなかった。そんな砂糖をふんだんに使ったパンケーキ。
緑も父さんも小さい子供みたいに大喜びで、二人で食べ尽くしてしまいそうなのを、何とか櫂の分だけ確保してきた。
櫂のおかげで手に入ったのに、なにもお返ししないわけにはいかないからね。
「本当に、尚を呼ばなくて良いのかい?」
「これだけしかありませんし、尚は料理に興味無さそうでしたから」
前みたいに『悪くない』だけじゃあ、まだまだ食べたそうにしてた緑にも、食材を買ってくれた櫂にも悪い。
「そんなこともないと思うけど。いや、尚を呼べば僕の分が減ってしまうね。やめておこう」
うんうんと頷きながら、最後の一切れを口に入れる櫂は、仙人島のときのように遠くに感じることはなくて。
いつもと変わらぬ距離感に安心する。
「櫂さんは、甘いものの方がお好きですか?」
「うーん。どうだろう。好きと言えるほど食べていないから、答えられないね」
「そしたら、また何か作ります」
仙人島にあった食材なら、他にも色々作ることができるはず。
その中で、美味しくできたものを尚に食べてもらおう。
「ねぇ、はる。どうしてこれは下でしか作れないのかな?」
「下でしか作れないというか、この家で作れないんです」
「なぜ?!」
「この家には台所がないんですよ。食事なんてするつもりじゃないのですから、仕方ないんですけど」
台所さえあれば、お茶だって簡単にいれられる。
作られたものを買うのではなくて、お茶葉から好きな濃さで飲める。
「台所? あぁ、作業場のことか」
「そうです。かまどもないので、火もおこせませんし」
「それさえあれば、ここでも作れるのかい?」
「多分、大丈夫です」
料理と呼んで良いかどうかわからないけど、食材を焼いたり煮たり、そういうことは仙人島でだってできてる。
それなら、ここでできないはずがない。
「台所、作ってもらえば良いだろう?」
「尚は料理に興味ないんですよ。それなのにそんなこと頼めません」
「興味……ねぇ。僕はそうは思わないけどな」
櫂みたいに反応を返せって言ってるわけじゃないけど、あんな返答しかしない人が興味あるわけないじゃない。
「気になれば、今日だって出てくると思います。そうじゃないってことはどういうことか、私にだってわかります」
「まぁ、尚はわかってて出てこないわけだし。頼みづらいなら仕方ないね。これからも下で作れば良いよ。僕の分をこうして食べさせてもらえるなら、僕はどちらでも構わない」
ニヤニヤと嫌な笑い方をする櫂は、何か企んでいるように見える。
その笑顔が、私の背筋に冷や汗を流した。
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