第16話 尚の島で暮らすことにします 6
「尚は、狙われているんだ」
櫂の口から告げられたのは、突拍子もない言葉。
言ってる意味がわからなくて、聞こえた言葉が疑わしくて、ただ固まってしまった。
「理解できないかな?」
固まってしまった私は、櫂の言葉に首を縦に振るしかできなかった。
尚が、狙われてる? 誰に? 何で?
頭を襲いくる疑問の数々。そのどれ一つとして音にすることができなくて、小刻みに頭を動かし続けた。
「仙人界は、仙帝が支配してるんだ」
「せんてい?」
「あぁ。下で言うところの皇帝のようなものだよ」
仙人の皇帝。それで仙帝か。
「それが、尚とどういう関係があるんですか?」
櫂の話に、徐々に固まっていた頭が動き出して、ようやく聞きたいことが音になる。
「尚は先代の仙帝の息子なんだ」
「それで?」
「現在の仙帝は、力でもって今の地位を奪った男でね。そういう奴ほど、同じようにその地位を奪われることに恐怖しているものさ」
つまり。
「尚に奪われるかもしれないって思ってるってことですか?」
「正解!」
櫂。笑ってる場合じゃないよ。
何も悪いことしてないっていうのに、勝手に狙われてるってことじゃない。
「尚、悪くないですよね?」
「はるもそう思う? 僕もそう思う」
「それが、仙人島で尚の話をできない理由ですか?」
「はると尚が関係してると思われるわけにはいかないからね」
私?
「尚の関係者だってばれてしまうと、はるまで狙われかねない」
私も、狙われる?
脳裏に浮かんだのは、櫂が手から作り出した剣。
あんなものを簡単に作り上げる仙人に狙われるなんて聞いて、平気な顔なんかできない。
「この島にいる限りは大丈夫さ。何が来ようと尚が守ってくれる」
櫂の王子様のような声で、守るなんて言われてしまえば、私の小さな胸でもキュッとたかなって、ふわふわ夢見心地。
「はるを仙人にしてしまったことに、彼はそれぐらい責任を感じてる」
あぁ。そうだね。責任感だってこと、知ってる。
ぽーっと顔を赤らめてしまった私のことを、諌めるように櫂の言葉が突き刺さる。
調子に乗るなって牽制されてるのかしら。
尚のお気に入りになりたいのは、自分だもんね。
「責任……」
「仙人島では、どこで誰が聞き耳をたてているかわからない。尚はそんな生活に嫌気がさして、この島を作り上げたんだ」
尚が独りで暮らす理由。それは私が想像してた以上に、嫌なものだった。
誰もいない島で、いつ狙われるかわからない日々。
尚の家を訪ねれば、攻撃されるかもしれないって言ったのは、このせいだろうか。
全てがお見通しのこの島で、ずっと気を張って過ごす毎日は、どれだけ辛いのだろう。
『仙人なんて楽しくない』そう言ってしまう理由が、手に取るようにわかる。
「尚と、話できませんか?」
私のことが迷惑なら、すぐにでも下に連れて行ってもらおう。
もう一度緑に頭を下げて、少しでも尚の負担にならないようにするから。
自分のことだけで精一杯の私は、他人のことまで気を遣っていられなかった。
それなのに、こんな状況の尚が、ただの責任感だけで私のことまで被る必要ないよ。
「尚と? できないこともないけど、来てくれるだろうか」
櫂が窓の外に視線を向けても、そこには風一つない草原が広がってるだけに見える。
「僕がこうして話をしてることは、わかってるはずなんだけどね」
ため息まじりにそう言う櫂ですら、尚の動きは読めないようだ。
「外で、呼びかけてみるのはどうでしょうか?」
ここへ来た当日のように、外に立って尚を呼べば。もしかしたら。
何もかもがわかってるはずの尚が、この会話を聞いてないわけがないけど。
「やってみるかい?」
「はい!」
目の前に広がる草原にも、家の近くにある岩の上にも、真っ青な空のどこにも、尚の姿はない。
「尚! 聞こえてたらここに来てくれないかな? 話したいことがあるの!」
誰に向けて話をするわけでもない。ただあてもなく発せられた声が、空を切って消える。
「私のことが迷惑なら、見捨ててくれていいの。尚が、変な責任を感じる必要なんてない」
「迷惑などと、思ってもいない」
私の声に応えるように、上から聞こえた声。
さっきまで雲一つ浮かんでなかった青空に、ふわっと浮かぶバランスボール。
「尚……」
「其方のことを、迷惑に思うことなどない」
普段と変わらぬ調子で目の前に降り立った尚が、私の目を真っ直ぐに見つめてそう言った。
「それって……」
私のこと、迷惑じゃないって?
尚の黒にも近い灰色の瞳の中に写る私の顔。
吸い込まれそうなその瞳を見ているうちに、心臓の鼓動がどんどん速さを増していく。
「このように小さくてか弱い者を守るのは、強い者の義務だ」
あ。そう。
そうよね。今の私は五歳児だしね。
元の年齢と同じだって、仙人様に比べたら赤ちゃんよね。
「ははっ。そりゃそうだ。こんなに小さくてか弱いもんなぁ」
櫂。笑いすぎ。口調、崩れてるよ。
普段の王子口調はどこへいったのか。整った顔を笑いでくしゃくしゃにしながら、櫂が私の頭を叩く。
「もう、そんなに小さくない歳なんだけど……」
「其方が小さくないわけがないだろう。まぁ、仙力を使い始めれば、もう少し成長するかもしれぬが」
「仙力?! 成長?!」
ちょっと! それは聞き捨てならない!
「あぁ。使う力によって、器はその大きさを変えていくものだ」
「うつわ……?」
「つまりね、仙力を使うようになれば、それを使えるだけの体になっていくってこと」
「大きくなれるんですか?!」
わかりづらい話し方をする尚と、それをわかりやすく説明してくれる櫂を交互に見ながら、顔が綻んでいくのが自分でもわかる。
「その可能性もあるということだ。ただ、確証はない。あくまでも可能性だということを忘れてはいけない」
それでも、そんな可能性があったなんて。
「私、もう少しここにいる!」
自分でも調子いいと思うけど。
せっかくのチャンスだし。
大きくなれるならなりたいし。
尚への恩返しも見つかるかもしれないじゃない。
「尚のそばに、いるからね!」
この島で、尚のためにできることを探して、早く一人前になって、守ってもらうだけじゃなくなって。
誰かに狙われ続ける日々なんて、おかしいよ。
私が強くなれば、尚のことを守れれば。
気を張らなくてもいいかもしれないじゃない。
この背がもう少し高ければ。
この腕がもう少し長ければ。
そんな風に五年間悔しい思いをしてきた。
それが少しでも、いっときでも早く成長できれば、できることは増えるはず。
「そのようなこと、望んでいない」
私から目を背けた尚の顔が、どことなく赤らんでいて。
ぶっきらぼうに吐き捨てた言葉は、照れ隠しなんだと思う。
はやく大きくなって、尚のこと守ってあげなきゃ。
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