第14話 尚の島で暮らすことにします 4
「あ、ありがとう」
お礼にできそうなことは、やっぱり何も思い浮かべることができなくて、その場で何とか言葉だけを口にする。
「はる。入ってみればいいよ」
「櫂さん。そう、します」
櫂に促される様に、新しい家に近づいていくと、それを見た尚が、少し満足気な顔をしたのが横目に見えた。
根は優しいのだと思っていても、いつどのタイミングで怒らせてしまうかわからない尚の顔色に、ビクついてしまう自分がいる。
尚の顔色を伺わずに済むのであれば、別の家を用意してもらえたことは、ありがたいことだったのかもしれない。
尚には悪いけど、ほんの少しほっとした。
「わぁ! すごい!」
尚が作り出したらしい家は、あっちの家よりも広くて、綺麗だった。
「気に入ってもらえただろうか?」
私の後ろから家の中に入ってきた尚が、私の声を聞いて自信あり気にそう言った。
「うん! すごく広くて綺麗で……父さんや緑もここに住めれば良いのに」
二人を、ここに呼び寄せることができたら。
そんな果てのない願いを口にしてしまうほど、尚の作り出してくれた家は素晴らしくて。
きっと私の顔は、ドロドロに溶けたアイスクリームみたいに、締まりのない顔をしていたんだろう。
櫂と尚が顔を見合わせて、困った様に眉を寄せた。
「それは、できないんだよ」
「人間にとって、ここの空気は決して良いものではない。連れてくるのは、不可能だろう」
櫂の言葉に、尚が丁寧に解説を添えてくれる。初めて会った時は回りくどいって思った言い方も、こうして聞き慣れてくればただの親切の様にも感じられて。
すぐにあの玉を作り出す人とは思えない。
「そう……」
仙人と人間とでは、住む世界が違うってことかな。
人間にとっては良くないはずの空気の中で、当たり前に動くことのできる自分自身が、人間とは別のものだってことを改めて突きつけられた気がした。
「あの二人に会いたいのであれば、いつでも会いに行けば良い。仙人が下に降りていくことは、別に禁止されているわけでもない。好きな時にあちらへ行くと良い」
「父さんと緑に会えるの?」
一緒に暮らし続けるのは問題があったとしても、たまにだったら良いよね。
一ヵ月に一回とか。
「あぁ。別にあちらで暮らすことも止めてはおらぬ。其方の配慮があってのことだろう? ここで共に住むことはできぬが、それ以外は特に問題ではない」
尚が続けてくれる言葉は、私にとっては嬉しいことばかりで、締まりのない顔が余計に溶けた気がする。
「で、でも、私一人では行けないから」
ここまで来るのに櫂に連れてきてもらった。天馬のスピードがどうであれ、まずは針峰山を下って、その後村までとなると、自力では何日かかるかもわからない。
「誰も一人で行かせようなどと思っていない。私が連れて行く」
「僕を呼んでくれてもいい」
尚だけじゃなくて、櫂までもが私を連れて行ってくれるって言ってくれてる。
父さんのところに行くことを、緑と会うことを諦めなくて良いって、そう言ってくれる。
あんな別れ方をしたまま、もしかしたらそのままになってしまうかもって思ってた。
父さんの大きな腕に抱かれることも、緑の眩しいぐらいの笑顔を見ることも、もう二度と叶わないんじゃないかって。
この世界に来て、いくつものことを諦めた。
元の世界に戻ることも、人並みに大きくなることも。どんなことだって、理由をつけて、自分に言い聞かせて、そうやって何とかここまできたつもりだった。
だって、そうでもしなきゃ、立っていられなかった。
今を乗り越えれば、きっと良いことが待ってるって。そう、思い込んできた。
それなのに、諦めなくていいの?
諦めて、振り返らない様に自分の心に蓋をして、そんな思い出の一つにしなくていいの?
また、会っても良いよって、言ってくれるの?
込み上げてくる思いに、私の目元が我慢の限界を超えた。
次から次へと溢れてくる涙が、袖口を濡らして、呼吸が嗚咽になって喉を抜ける。
五年間、悲しさや寂しさで何度も濡れた袖口が、今日は嬉しさで濡れていく。
突然泣き出した私に、櫂がどこからか手触りの良い布を出してくれて、ひとしきり泣いた後に、その跡を消す様に漂ってきた風は、尚の力だろう。
泣き終わった私の照れた顔に、二人が笑顔を向けてくれた。
「い、いつか私一人でも会いに行けるかな」
いつまでも二人の手を煩わせるんじゃなくて、尚や櫂みたいに、乗れるものを作り出すことはできないのかな。
「はるは、ゆっくりでいいんだよ」
「慌てずとも、そのうちできる。あのようなもの、訓練すれば誰でも作り出せる」
訓練すれば……そんな尚の言葉に、安堵感で胸がいっぱいになった。練習すれば私でもできるってこと。ご褒美を目の前に吊るされた動物みたいに、やる気がみなぎるってくるのがわかる。
「教えてくれる?」
「いや、教えるのは櫂の方が良いだろう。私の力が、また何に影響してしまうかわからない」
尚の力で仙人にまでなった私に、これ以上どんな影響があるっていうの?
「はる、僕でいいかな?」
「あ、うん。よろしくお願いします」
あんな天馬を作り出してる櫂に教えてもらえるのなら、文句はない。
そのはずなんだけど、どこか残念なような、がっかりしたような、そんな気持ちが私の心を通り過ぎる。
せっかくだし、尚ともう少し仲良くなりたかったな。
少しでも近くにいられたら、恩返しできるものが見つかるかもしれないのに。
「それでは、後は好きにすると良い。足りないものがあればすぐに言ってくれ。可能な限り何とかしよう」
止める間もなく、尚がまた飛んで行った。
外に出て空を見上げれば、夜の暗さも合わさって、どこに行ったのかもわからない。
草原に置き去りにされたあの時みたい。
「ねぇ、櫂さん。私、本当にここにいて良いんですか? 尚には迷惑ですよね」
どこに行っても、迷惑かけてばかり。
私、どこに行けばいいかな。
最善は、どれだろう?
「はる、大丈夫。ここにいて良いよ。尚は、あれでも嫌がってないから」
「でもっ」
「彼は、嫌なことは嫌と言うよ。そう言わなかったってことは、そんな風には思ってないってことだ」
尚の態度とは裏腹な櫂の言葉。
どっちが本当?
「今日はもう遅いから、とりあえずはここで一晩過ごすと良い。せっかく作り出してもらったのだしね。明日、また来るよ」
月明かりに照らされた家を見上げれば、さっきよりも寒々しく見える。
尚に案内された時と同じ家のはずなのに、今はどこか他人の家みたい。
閉ざされた扉が、私を拒絶しているようで、全身に冷たい空気がまとわりついた。
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