第13話 尚の島で暮らすことにします 3

「何で、何で緑にあんなこと……」


「あんなこと? 剣を向けたことかな?」


「そうです! あんなに酷いこと、しなきゃダメだったんですか?」


 天馬に乗せられた私は、帰る道すがら櫂に向かって喚き散らした。


「緑弦は、牽制しないわけにはいかない相手だ。僕は、尚の味方だからね」


「どういうことですか?」


「ん? 言葉の通りさ。誠弦よりも緑弦の方が、今後が怖いってだけ」


「緑の方が怖い?」


「あぁ。ああいう奴は、何をしてくれるかわからないからね。それに、はるも脅されて無理矢理連れてこられたって形の方が、戻りやすいと思うけど」


「戻る予定なんて、ありません」


ね。今後はどうなるかわからない。常に退路は持っておくべきさ」


 退路……そんなもの、この世界に来た時点で失ってる。いつだって場当たり的に過ごしてきただけ。

 その場その場で、何とか最善だと思える道を選んで。それで間違いないって自分に言い聞かせて。戻ることなんてできないって、そう思い込まなきゃ進めなかった。


「退路が必要になることがあり得るってことですか?」


「そんなことはないことを願うけどね。さっきも言ったけど、仙人界もあれでいてなかなか物騒なのさ。そこへ不慣れなはるが行くとなると……」


 少しずつ低くなっていく櫂の声に、私の体の奥底から恐怖が湧き上がってくる気がした。

 あんな剣が必要になることが起こるの?


「そんな顔をしなくても大丈夫。はるに危険がないようにするために、尚の島で暮らすことを提案したんだ。あそこなら、必ず尚が守ってくれるから」


「尚が私を守ってくれるなんてこと……」


 勝手に島にあがりこんできた居候のこと、普通なら守ったりなんかしない。だって、そんな筋合いないもの。


「尚はああ見えて責任感が強いからね。口や態度はどうであれ、はるのことを仙人にしてしまった責任を感じているはずさ」


「そんな……尚のせいじゃないのに」


 空から落ちてくる私を見つけたのはただの偶然のはずだ。それなのに、そこに責任を感じる必要なんてない。


「尚にとっては、はる一人を守ることぐらい造作もないことだろう。気にせず、甘えておけばいい」


「でも……」


「そこまで言うなら仕方ないね。何か、お礼になることでも考えたらどうだい? それではるの気が済むのならいいかもしれない」


「それって、家事ですか?」


 緑に拾われた時も、真っ先にできたのはそれだった。この体で、他にできることも少なくて。


「ゆっくり考えれば良いよ」


「考えて、みます」


 お礼にできるようなものに思い当たることはなくて、ぼそぼそと呟くように言葉を返した。

 上目遣いで櫂の顔を盗み見れば、その満足気な笑顔に、自信がなかったことまで織り込み済みなのだと思う。


「それでね、尚の島で暮らすなら、たまには僕のことも呼んでくれるかな?」


 気を取りなおすように告げられた櫂の頼みは、思いもよらないもので、また別の方向へ私の意識を引っ張っていく。


「櫂さんのこと?」


「あぁ。用もなくあの島をうろついていては、怒られてしまうからね」


 あぁ、そうか。櫂は尚と親しくなりたいんだったっけ。

 尚のあの感じでは、確かに難しいかもしれない。

 それなら、少しぐらい協力してあげてもいいよね。

 

「わかりました!」


「はるが呼んでくれたら、僕が尚の島に行く理由ができる。助かるよ」


 櫂が笑顔で私の頭を撫でた。その手は、父さんや緑の手みたいに優しくて。

 あんな風に出てきてしまったことに、罪悪感がぬぐえない。




 尚の島の上空で、天馬はやはりその体を一周旋回させて、先ほど降り立った地点と同じ場所に私たちを降ろした。


「遅かったな」


 降り立ったばかりの私たちの後ろから、尚の声が聞こえる。

 到着から間を空けずに声をかけられるってことは、この島のことはお見通しだって言葉は、間違いじゃない。


「これでも早く済んだ方さ」


「あれのどこが穏やかだったのかは私には理解し難い。あんなことならば、私が行けばよかった」


「やはり、覗いていたのか。僕に気づかれる様では、腕が鈍ってきたのではないかい?」


「わざと気づかせたに決まっているだろう。誰の腕が鈍っているだって? 試すか?」


 煽るような言い方をする櫂も、それに乗っかっていく尚も、どちらも物騒でしかない。

 仙人ってみんなこんな風なの?


「ちょっと! 二人ともそんな言い方しないで下さい! 話し合いは無事に? 終わったんですから、もう良いじゃないですか」


 無事では、ないかもしれないけど。

 一応ここまで戻ってきたんだし、それで良いよね。


「命拾いをしたな」


 尚の手の中には、私を助けてくれたのと同じような玉が小さく作り出されていて、あれで何かをやろうとしていたことはわかる。

 そしてそれが、きっと良いことではないということも。


「それはお互い様だろう?」


 櫂の手には、先ほどと同じ剣が再び握られていて、青白い光の粒が辺りを舞う。

 今にもやり合いが始まりそうな光景を、不安な顔で見つめていた私を見て、どちらからともなく困り果てたような笑顔を作った。


「はる。其方の家を用意した。この島にいる間は、そこに住むと良い」


 そう言った尚が、新たに作り出したバランスボールに乗って飛んで行くのを、櫂と二人で慌ただしく追いかけると、さっき櫂が一人で座っていた大岩の側に、一軒の家が見える。


「あんなの、なかったよね?」


 突如現れた家に、私が驚きを隠せずにいると、尚の体はその家の前に降り立って、私たちが近づいてくるのを待ってるみたい。


「やはり、ここに用意したか」


 私と一緒に天馬から降りた櫂が、目の前の家を見上げながら、そう呟く。

 その言い方は、まるでこの場所に家が建つことを知っていたかのようで。突然家ができたことに驚きもしない様子に、仙人の異常さを感じる。


「ここが、一番良い」


「それは僕も同感だ」


「ここが其方の家だ。好きに暮らすといい」


 好きに暮らすとって、昨日まで住んでいた家よりも綺麗で広い作りの家に、私の気持ちがついていけない。


「ここに、私が住むの?」


「あぁ。其方以外に誰が住むというのだ。島で暮らすのだろう?」


「それは、そうだけど」


 こんな家、用意してもらえるなんて思ってもなかった。尚の家に居候するつもりで、島で暮らすことを受け入れた。そのつもりだったのに。


「何か不都合があったか? 気に入らないところがあればそう言えば良い」


「不都合っていうか、こんな家にわたしが住んでいいの?」


「其方の為に作った。其方が住まなければ、何の意味もない」


「私の為にって……」


「尚の力で作り出しただけだから、大したことじゃない。深く考える必要もないよ」


 戸惑って、しどろもどろになってる私に、櫂があっさりそう言った。

 尚の力って、規格外って言ってたやつのこと?

 大したことじゃないって言えるぐらいの力。 

 そんな人のために、私ができることって何だろう。

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