第12話 尚の島で暮らすことにします 2
「はじめまして。突然の訪問、ご容赦下さい。私、櫂と申します」
ふんわりと微笑みながら腰を折った櫂の所作は、この上なく優雅で。私だけじゃなく、緑や父さんにも真似出来ないぐらいに綺麗だった。
「あ、あなたが、仙人様?」
仙人である櫂に驚いたのか、それともがその振る舞いに面食らったのか、父さんがどこか恐る恐る声をかけた。
「はい。針峰山から遥香を迎えに参りました」
櫂の言い方は、まるで月から使者が迎えにくるおとぎ話のようで、何とも居心地が悪い。
「は、はるかを迎えに来たってどういうことですか?」
父さんの言い分は当然で、突然そう言われたって、ただ驚くだけだろう。
「言葉の通りです。遥香は仙人ですから、迎えに来たんです」
「はるかが、仙人?!」
「櫂さん。まずは座ってください」
扉から入ってきた櫂は、そのまま父さんの驚きに付き合ってくれていて、きちんと招き入れることも席を案内することも忘れていたと、慌てて声をかけた。
「遥香。僕はこのままでも大丈夫さ。それ程時間をかける予定もないのだし」
櫂はそうかもしれないけど、きっと父さんが離しちゃくれないよ?
緑だって口を挟むタイミングを伺っている様にも見える。
「それでも、立たせたままってわけにはいかないので」
半ば無理やり櫂を椅子に座らせて、それに向き合う様に父さんと緑が座った。
櫂はお客様なんだし、と私が出したお茶は櫂が口にするにはきっと貧相な味だったに違いない。ほとんど手をつけずにいたところを見ると、口に合わなかったんだろう。
いや。そもそも仙人って飲んだり食べたりするもの?
「それで、はるかを迎えに来たってどういうことでしょうか?」
「遥香は仙人ですから、こちらの世界へ連れて行きます。それ以外に説明することはありません」
櫂の言葉は丁寧で、それでも父さんの諾否なんか聞いてない。淡々と決断を伝えていくだけの様な言葉。
「そんな勝手は通用するか! はるかはうちで暮らすんだ」
「そうは言いましても、こちらの環境は遥香には良いものではなさそうですから」
「うちが貧乏だって言いたいのか!」
櫂が意味深に視線を動かせば、父さんが顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。
「いいえ。そういう事情……以外のこともですよ」
櫂の言い方には父さんも思い当たるところがあって、次の言葉が出ずに唇を噛んだ。
これのどこが穏やかなの? 尚だったらもっと酷いことになってたってこと?
「父さん。私、櫂さんと一緒に行こうと思うの」
自分のことながら、口を出すこともできずに黙ったままでいたけど、このまま放っておくこともできず、渋々声を上げた。
「はるか?! 何でだ?」
「拾った私のこと、ここまで面倒みてくれたのには感謝してるの。それでも、これ以上は二人に迷惑になっちゃいそうだし。それが一番良いかなって思ってる」
「昨夜の、話のせい?」
「緑。そんなことないよ。少し前から出て行かなきゃなって考えてたから。五年もお世話になるなんて、図々しいよね」
「昨夜って何のことだ?」
「父さん達が話してただろう? あんな大きな声で」
「あれを聞いてたのか?!」
「だから、そのせいじゃないって。そりゃあんな風に思われてるんだって薄々気づいてはいたよ。でも、それだけじゃない」
決して、そのせいだけじゃない。
どこの誰かもわからない私のこと、こんなに大切にしてくれる二人には、絶対幸せになって欲しい。
そのためには、きっと私はいない方が良いから。
これから先、何年後かに訪れる別れなら、今でも構わない。少しでも早い方が、良いに決まってる。
「はるかは、それで良いのか?」
「うん」
私の目を見ながら、本心を探る様な顔をした父さんが、スッと視線を外した。わかってもらえたみたい。
「僕は反対だ。そっちに行って、はるかが幸せになる保証なんかないじゃないか」
口をつぐんだ父さんに代わって、緑がきっぱりと言いきった。
「緑……」
「あんな言葉を聞かせておいて、よく言えたものだ」
さっきまでの父さんへの態度なんてどこへいったのか。櫂が明らかに見下した言葉と視線を緑に投げかけた。
「何だと!」
「そもそも、君に反対する権利などある訳もなかろう? この家において、家長である誠弦殿ならまだしも、まだ養われる立場でしかない君が、何を言っている?」
「ぼ、僕だってもう大人だ! いつまでも養われてるだけじゃない」
櫂に煽られた緑が、顔を真っ赤にして叫ぶ。
私の前ではいつだって穏やかで、大人で、優しくて。こんな姿、信じられない。
「遥香の耳を塞ぐしか能のない子どもが?」
「なんだとっ」
言葉に被さるように、大きな音が部屋中に響いた。
我慢の限界だった緑が、机を叩きながら立ち上がったのだ。
「チッ」
そんな緑と机を挟んで向かい合っていた櫂の手のひらが、舌打ちと同時に青白く光る。
家中に、青白く光る深夜に降る雪の様な光の粒が広がった。
そんな幻想的な景色の中、櫂の手の中に突如現れたのは、光と同じ色の剣。机とほぼ同じぐらいの長さのあるそれの先端は、緑の首元に突きつけられていた。
「事を荒立てたくはないんだ。僕に君を傷つけさせないでくれ」
「櫂さん!」
青白い剣を微動だにせず、櫂が不敵な笑みを浮かべる。私の言葉は、届いてもないみたい。
仙人様はすごく怖いもの。そう言ったばばさまの言葉は、何一つ間違いではなかった。
「さぁ。遥香、もう行こうか。尚が待ってる」
剣を緑に突きつけたまま、こちらを振り返った櫂が優しく微笑む。
その笑顔は出会ったときぐらい優しいけど、櫂も間違いなく怖い人だ。
どこが、穏やかなのよ!
「ま、待ってくれ」
「緑弦、君は動かない方が良い。これの切れ味は、保証する」
櫂に脅された緑が、ふらふらと椅子に座り込むと、剣を持っていない方の櫂の手が、私の腕を掴んだ。
そしてそのまま、家の外に連れ出されると、天馬に乗せられた。
櫂の手にはその間剣が握られていて、切れ味の保証されたその刃が、自分に向けられないことだけを祈るしかなかった。
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