世界の中心


 時速1000km

 闘神はこの速度で空を駆け抜けていた。

 ただ、目指す方向を意識して、飛んでいるだけなのだが、凄まじい速度が出ていた。

 音速は1224kmである。


 遠くに見える山脈がみるみると近づく。


 風は激しく抵抗していたのだが、闘神にとってそれはないも同然だった。冷たくもなければ、目が痛むこともない。風のあおりでおどる髪の毛が少しうるさいと思う程度であった。

 服ははためかなかった。タキシード君の頑張り。否、プライドの賜物たまものである。

 そでぐちや服の隙間すきまに風が入り込むようなことも、風圧で服の布が、張りつくこともなかった。


 この高速飛行は、もっとスピードを出すことができた。足元の空気を蹴り飛ばすのだ。


 あたりに衝撃波がもたらされる。一瞬で音速の壁を越えた。


 この時、そのあおりを受けた周囲の小動物たちは突然の出来事に、驚きひっくり返っていた。そしてその驚きを共有する。こういったとき、敵味方は関係なかった。


 興奮のさなか、その者たちの中で、賢き者の誰かがこう言った。

「あれは何かの前兆ぜんちょうであろう。災いか、それとも吉兆きっちょうかはわからないが、あの底知れぬ力がただむなしく終わるとは思えない。」

 またその中で強き者の誰かがこう言った。

「その力、何がために、何を探す!やはり世界の中心か!それこそ力を持つ者のほまれ!それでこそ認められるもの!ちっぽけな領域にとどまるでない!」

 見る見るうちに点となりゆく闘神の後ろ姿。もう二度と巡り合うことはないだろう。

 そして、一つの楽しみを見出す。彼らの中で、スキル「フォロワー観戦:他種族」を持つ者が、彼をチェックする。このスキルは、細かな条件と制約があるが、興味深い他種族をフォローすることで、その人物が達成した業績を閲覧えつらん、視聴できるという珍妙ちんみょうなスキルであった。そして、そのスキルを持つ者は、今、一躍いちやく人気者となった。

 これは彼らにとっての娯楽。そして、この世界の小動物コミュニティーによく見られる事例であった。




 まだまだ、加速できる。


 自身の超越的な力をさらに試してみようかと思ったが、はるか遠くに人影が見えた。

 興味はいつの間にか、そちらに移っていた。


 それは、大荷物をロバに背負わせた羊飼いの男だった。


 高速飛行から、滑らかに減速してゆく。


 羊は100頭ほどの群れだろうか。5頭の犬に引き連れられている。

 その中にポツンと突っ立つ男がこちらを見て、唖然あぜんとしていた。ロバは興奮でうなっていた。犬は落ち着いている。


 先に口を開いたのは羊飼いの男であった。

「あんた、すごい、なにもんだ」

 男の言葉はたどたどしく聞こえたが、それは、闘神の持つスキル「完全言語理解」の作用がまだ、その言語に対して働き出したばかりであったからだ。

 闘神が石板で取得した「完全言語理解」とは、言語理解スキルの頂点に位置するスキルであり、5Pを要さなければ、手に入れられないスキルであった。


 この世界に存在するスキル。その大半はポイント換算かんさんすると、1P以下のスキルばかりである。スキルは数多あまた存在し、数え切るることはできない。それはスキル自体が次々と新たに生まれるが故でもある。ちなみに先ほどのスキル「フォロワー観戦:他種族」はポイントに換算かんさんすると0.01ポイント程度である。ポイントは低いが、これは、小動物界で一躍スターになることのできるクラスのスキルである。


 限りないスキルがこの世界にある一方で、闘神はこの世界の誰もが持ち得る「スキル取得」を20Pを得るために切り捨てたので、スキルを取得することは、もう二度とない。


 闘神は完全言語理解のスキルがいま、自分の中で働き出していることを理解している最中であった。


「スキルとはこんなものなのか」


 ポイントを割り振る際、スキルのらんをあまり見ていなかったが、実は有用なスキルもあったのかもしれない。しかし、数が多すぎたし、一度見てしまうと、物惜ものおしみしてしまいそうな自分がいたので、見なかった。また、こんなことを言語化してしまうのもなんともバカらしいのであるが、あの不可思議な状況がいつまでも続くとは思えなかった。

 ちんたらしている自分に愛想あいそをつかし、逃げてしまうのではと焦ったのである。ただ、その焦りもそんな大したものではない。結局のところ、めんどくさがり屋な性分と白昼夢はくちゅうむかのような状況に対する、いくぶんかの冷笑がスキルを考察するという活力を奪っていったのである。




 実のところ、石板に記載きさいされていたスキルというのは、スキルの中でも、位の高いものばかりであった。中には40Pも要するスキルもあった。そういったスキルは獲得難易度が非常に高く、まれに見る才能と運、そして努力をいくら積もうが獲得が不可能と思われるものばかりであった。

 例えば、獲得ポイントが40Pである、スキル「民の庇護ひご」は「人口1000億人以上の国家を建国し、己がその国の最高位であり続けること。それを10万年維持。かつその間、本人のレベルが国家の最高値であり続けること。そして3度限りの瀕死ひんしを経験すること。最後にスキル獲得時、自身の限界寿命移動距離内にて絶対強者であること。」以上の5条件がそろって得られるスキルである。

 まず普通、寿命が続かない。次に、政治体制がどうであろうと、元首であり続けなければならない。そして国家の最高戦力であり続けなければならず、また、生命の危機を乗り越えなければならない。そして極めつけは、その最後、当人が最強の存在とうたわれていなければならないのだ。獲得はまず無理である。

 ちなみに庇護のスキル効果は、「民の寿命に制限がなくなる。民に己の力を分け与えることが可能。民の生存時間の総和がスキル保持者の寿命に加算される。民の総数がスキル保持者の力に加算される。以上の効果はスキル保持者が死ぬ限り続く。」というものである。

 もしも闘神があの場面にて、たばこを選択せずに、このスキルを選んでいたならば、巨大な帝国を建国できたことだろう。しかし、そうはならなかったし、そう言われたとしても、そんな事より、たばこなのであった。また、力の面でもこのスキルは不要であった。それは闘神の力は加算で増す代物しろものではないからである。加算される力は無意味であった。

 これは補足であるが、スキル「民の庇護ひご」はあの場でなければ、闘神には獲得不可能な代物しろものである。例え、20Pの「スキル取得」を選択し、自力でスキルを獲得しようとしても、20Pの「レベル」を削除していては獲得条件の「レベル事項」を満たすことはできないし、そして、大前提として闘神が瀕死ひんしになるようなことは、まず起こりえない。強き者の弱点としてよくあげられる「目」に対する攻撃すらも全く意味が無く、毒や状態異常など。考えうる限りの攻撃を加えても闘神は死と無縁なのであった。また、「民の庇護」のスキルに類似するスキル。または類似するスキルの創造はこの瀕死ひんしの事項と切れぬ縁であるため、考えようによっては取り返しのつかない事態である。


 最後に「格」についても、少しばかり述べておこう。スキルがこのようなものであるのに対し、「格」を取得することの意味は、その道の一線級となることである。これも、その道の数だけ、格が存在する。つまりは、新たに生まれ出る格もあるというわけだ。そして、それは1つの席を奪い合うようなものではない。同じ格を持つ者が世界に複数存在するというのは当たり前のことである。

 ただ、例外も存在する。100Pを超える10の格。後に十神といわれる格だけは、後にも先にも不変であり、2人と存在しない独占格である。このことを闘神が知るのはまだ先のことであるが、それを知らないということが、彼の不安をかき立てていることは言うまでもない。




 スキル完全言語理解の働きが進む。

 だんだんと周囲の声が鮮明せんめいに理解できるようになっていった。


 羊たちは、えてして「この草うめえ」「おい、そっちも食わせろ」としか喋っていない。

 足元の羊は「おい、お前、足じゃま」とほざいている。

 5頭の犬は、なにやら互いに念話をしているようで聞き取ることはできなかった。大荷物を背負ったロバに至っては、「うお〜!客だぁ~!客が来たぁ!てことは、つまり俺の仕事は、もう終わりぃ!!!今日は休むぞ!荷を解け!俺は寝る!」と発狂している。


 羊飼いが再度こちらへ語りかける。柔らかな口調、角が立たないようにという努力がうかがえた。

「さぞ、高明なお方であるとお見受けいたしましたが、いかんせん、この世界の常、終わりも始まりも、てんでわからぬ大地の彼方から彼方まで、行き交うことの出来うるお方を存ぜぬ無礼、お許しくださいませ。ところで、こちらに降り立ったのは何故なにゆえでしょう。お食事などでおもてなし致しましょうか、それとも、なにか他の用がおありでしょうか。」

「いや特にない」

「なるほど、でしたら、どうでしょう。えいや!ちょうど腹ごしらえをしようと思っていたところでして。」

 羊飼いが足元の草を引き抜くと、その根に、肉が実っていた。なんともグルメな瞬間であったはずだったのだが、土が肉にへばりついており、美味しそうには見えなかった。

 羊飼いは1人で喋り続ける。

「ほら見ての通りあっしは、農作系のスキル持ちでして、これがあるから、1人で旅できてるわけでやんす。肉も野菜も欲張らなければ自在ですわ。(男は羊を見て)ええ?こいつらですか?別に商売してるわけじゃないのですがね、長く旅を共にしていると、数がふくれ上がるもんで、これでも、結構、他所よそってるほうなんですが、ま、他所よそからもこいつらのためにつがいを用意してるのもありますが、すごい数でしょう。とくに最近、こいつらの言葉が少しわかるようになりましてね。いや、いつのまにか味にうるさい奴らを育ててしまったみたいでして......」

 男は流れるように、次第に楽しそうに、語っていった。羊飼いと思われた男は、別に羊で営んでいるわけではなかった。それにしてもこの男が言うようにこいつらはずいぶんとグルメな羊のようだ。こんな人里離れた場所に男がいるのも、ここらいったいの草がうまいからだそうだ。

 その後も男は小話を披露ひろうしながら、テキパキと食事の用意を続けた。

 土にまみれた肉を羊の乳で洗い、他にも草を次々と引き抜いては、その根についた数々の食材をまた、羊の乳で洗ってゆく。いつのまにか、5頭の犬もやってきて、ヨダレをたらしていた。

 男曰いわく、自分のスキルはなんでも、草の根を食い物に変えてしまう物だという。珍しいが、かといって貴重なスキルではないようだった。そして、一度に用意できる量もそれほど多いわけではないらしい。

 このスキルを得たとわかった時、男はかねてからの夢を実現する決意をした。この世界を冒険するのだという。もう100年も前のことだそうだ。

「随分と長生きだな」

「そうでやんすか?旦那のいたところは違うみていですな。世界は広いってことでしょうな。あっしのいたところでは、みんな大体寿命は300年です。あっしはまだ150年しか生きておりませぬ。折り返しってところですな。あ、そうだ、いけねえ、これを忘れちゃ冒険者は名乗れねえでやんすね。こっちでは1年てのは、昼と夜とが丁度300回。っていう具合です。これがここいらの基準です。1000回昼と夜が来て1年とする長命種も噂には聞くのですが、まあ、ほんとに珍しい話です。ここいらの連中が言うには、そういう違いは星読み屋の仕事というか、都合にあるそうでして、何も1年は300日の周期で回っていると読むのが星読みにとっては便利らしいんですわ。だから、普通は1年といえば、300日と決まるんです。でも長命種となると、話が違うそうで、なんでも、長い目で物事を見たがるから、星読みにも精度ってものを厳密に求めるそうで、そうすると、星読みも小難しく言い返すってわけで、1年という周期は周期の観点だけでみると、その時々によって変わる物だとか。そして、それはだいたい1000日だが、時には1080日だったり、995日だったりするんだと。だから、そういったところの1年はころころそれに合わせて変わるっていう可笑おかしな話があるんでさ。もっと極端な地域になると、1年を星の周期じゃなくて、変化で決めるところもあるみたいじゃないですか。で、ここまで話が及んじまうと、1年を15日と読む一派もいれば、5000日と読む一派もいる。それでいて、都度つど都度つどそれが伸び縮みするあり様でしょう?やれんですわ。それに、場所によっては見える星も違うでしょ?星読みに言わせれば、それは大した問題じゃないというんだが、あっしはどうかと思いますがね......」

 この世界はどうやら基準を統一する難しさがあるようであった。それがなぜ難しいのかはわからなかったが、ただ、そもそもの話で言えば1日が何時間なのかもわからなかったし1秒が、自分の知る1秒であるかもわからなかった。そして、それを聞くために無知をさらすのも億劫おっくうだった。

「......いや、あっしの狭い世界の知見。お耳を汚してしまいましたかね。久しぶりに人と会ったもので、少々興奮してしまって。あはははは。それにしても、世界は広い。全くわからない。あっしはね、できうるならばこの世界の全てを見てみたい!天空都市、深淵に続く崖、天地にそり立つ巨石!地下の大帝国に、沈む海底都市。それから食楽の極苑は外せませんな。願いの泉や不老の園、神の楽園なんてのは果たして実在するのでやしょうか。あとは、忘念の虚城でしょ。それと大泥棒の宝物庫も......」

 そこまで言うと、男は、すっと黙り込んでしまった。

 それまで少年のように輝かんとしていた男の顔には老いがみえた。

「貴方みたいに空を駆け抜けられたらなぁ......そうだ、天のガラスも直接ご覧になられたのでしょう。羨ましい限りです。いや、困っちまいましたな。」

 男は、笑っていた。そしてひとしきり笑ったあと、その顔には真剣なまなざしだけが残った。

「世界の中心にたどり着けるとしたら、貴方のようなお方でしょうな。」


 2人に沈黙が訪れた。


 料理はすでにテーブルの上で湯気を立てている。そのテーブル、そして、椅子いすや食器などはロバが背負う袋に収納されていた。おそらく次元収納という物の類だろう。袋の大きさは取り出した荷物の大きさと見合わなかった。


 どことなくしょんぼりしてしまった男にうながされるまま、料理に口をつける。

 ジャンキーな味。とても食べ応えのあるものであった。メインは脂身あぶらみの乗った肉である。それに付け合わせたポテトが味をねばらせていた。バターの深みが広がる。

 あまりにも好みの味であった。味へ味へと、意識を深めてゆく。闘神の能力がただ、味わうためだけに高められていった。


 この料理は羊飼いの魔法により、調理されたのであったが、羊飼いも羊飼いで、ここぞという時の腕前を披露ひろうしたのだった。

 最初は恐怖であった。

 空から突如とつじょ舞い降りた男、そして、その後に続く轟音ごうおんきもわっていたのは足下の草に夢中な羊たちと、美味い食事を食わせてくれるからという理由で仲間となった強き犬たちであった。阿保あほのロバは日頃の疲れがたまっていたのだろうか、どことなく錯乱さくらんしているようだった。

 目の前の男は必要以上のことを語らなかった。こういう時は、こちらが一方的にしゃべるに限る。少なくとも、その間だけは主導権はこちらにあるのだ。それに気もまぎれる。だが、そうしているうちに、何が原因か、最後にはその男にあこがれてしまっていた。

 気づけば、まじまじと彼の顔を見つめている自分がいた。


「貴方のお名前を聞いてもよろしいでしょうか。」

 それは精一杯の勇気であった。

 

 思い浮かんだ名は、ただ、ひとつ。

 

 唯我


 それを告げる。

 過去の名を名乗るつもりはなかった。


「ゆいが、様ですか。大変恐れ多い響き。恐悦きょうえつ至極しごくにございます。」

 うやうやしく頭を下げる男に闘神は

「ご馳走ちそうだった。また、いつの日か」

 と言い、端然たんぜんと立ち上がった。


 別にここで話し込んでも良いのではないだろうか。ふと、そう思う。気になる話も多々あった。しかし、口にした言葉を取り消す訳にはいかなかった。


 大袈裟おおげさな名を名乗ったせいか。

 いや、初めからだな。この男に威圧を与えるかのように訪れて、その上こちらはほとんどしゃべりもしなかったのだ、これでいい。

 変な馴れ合いなどは要らなかった。

 故に闘神は去り際に振り返ることもなかった。


 ただ、その後ろ姿を驚きとともに、まじまじと見つめてしまう男がいた。もちろんそれは先ほどの羊飼いである。羊飼いは恐怖を抱いていた男に一時でも憧れを抱いた。それはいつまでも色あせることのない気持ちであるのだが......


 あの、悠然ゆうぜんと空を駆ける様、全く測ることのできない未知の力。どれだけ巨大な存在なのだろうか。彼をのぞいてみようかと思うだけで、身の毛がよだつ。そして、唯我ゆいがと名乗るほどの。それを名乗ることが許されるほどの恐ろしさ。

 まるで神。

 私はただ、呆然ぼうぜんとするしかなかった。後に今日の出来事は、私の生涯に深く刻まれるものとなろう。そう思い、彼が去る後ろ姿を見送る。

 目を疑った。目をこするともこすれど、彼のお尻は丸見えであった。

 ズボンのお尻の布がぽっかりと存在していなかった。

 すぐさま、先ほど彼が座っていた椅子いすをみる。

 椅子のせいでズボンが破けたわけではない。布の切れ端さえも、そこには落ちていなかった。安堵あんどする。

 いや、違う!そうじゃない!

 お尻が再び目に入る。

 こ、これが世界の広さだとでもいうのか、未知とは一体どこまでゆけば気が済むのだ......あれは、そうだ。あの服装は民族衣装かなにかか?ファッショん......いや、いや、いや。どうかしてる。

 けと言われても私はかない。

 上下に弾む綺麗なお尻が目に映る。


 もちろん、この件に関する全ての責任はタキシード君にある。後に、タキシード君は独りごちり、墓場まで持っていく反省案件として、今日この日の出来事を心に刻むのであった。


 タキシード君は語る。

 あれは、ほんの些細ささいな出来心だったんだ。ジッポーちゃんを贔屓ひいきにして、僕のことをけなすもんだから、仕返しにお尻を丸見えにしてやったんだ。楽しかったって?ああ、楽しかったさ。スマホ君の腹もよじれていたよ。でもさ、僕はすぐ気付かれると思ったね、だって、あんなに速く空を駆け抜けていたんだから!お尻から風が吹き抜けて違和感、感じるでしょ!!!......ん?あれ?そう言えば、あの時確か防風モードにして風を弾き飛ばしてたんだっけ......汗

 いや!でも!あの羊飼いの料理を食べるとき、椅子いすに座ったじゃん!ヒンヤリして、気づくじゃん!......あれ?あの時あの椅子いす、なんか汚かったから、汚れ防止モードで透明バリアのまく張ってたんだっけ?そうか。それじゃあ、お尻が椅子いすに触れるわけないな。ん?あれ?

 タキシード君の冷や汗、全ての責任が自分にあること。その意味の重さ。そして、己のご主人の場にそぐわぬ、恥ずかしい格好が、己のプライド。そして存在意義をけがすものとなる危機感!

 それらがタキシード君の意識を刺激する。そして今ここに、タキシード君の強き意志が誕生!

 ☆確変☆タキシード君!

 〜紳士の道、それ即ち、修羅の道!〜


 即座に服装が変わる。今この場でもっとも適している姿かたち...それは...タキシード君にとって...カウボ〜イスタイル。


 タキシード君の気分により、今後、幾度いくどとなく変わるだろう、その変化はものの見事なものであった。少なくとも羊飼いの目にはそう映った。


 なんという鮮やかな変化!先ほどのプリ尻はただの演出であったのか。なるほど、そうか、あんがい可愛げのあるお方であったのか。


 そんな羊飼いの勘違いも、タキシード君のやらかしも知ることなく、ただ、なぜ今カウボーイなのだと内心思いながら、闘神は歩みを進めていた。

 スマホ君はそれに見合った音楽をチョイス。ポケットの内側から、見事にミュージックを鳴らしていた。


 音楽というものは、やはり心が踊る。

 その音は羊飼いにも、彼の動物にも活力を届けていた。そして、そのまま、別れ惜しまず、一思いに大地を蹴り、闘神は空の彼方へと飛んでゆくのだった。




 遠くに見えていたはずの山脈はすぐそこまで迫っている。


 そのふもとまで草原は続く。途中果実のなる木が一本生えていた。疲れはなかったが、せっかくだからあそこで休んでみようかという気にさせられた。


 その木にとまる鳥たちが驚き散り散りに飛んでいく。悪いことをしたもんだ。

 手の届く果実をひとつもぎ取る。

 こぶし大のそれは黄色がかり、れた甘酸っぱい香りをただよわせていた。

 丸ごとかじるが、実にうまい。みずみずしい甘み弾ける果肉。その皮も程よい甘さを保つ。


 木の根がちょうど浮かび上がったところに腰掛け、頭を幹に寄せる。気付けばいつの間にか眠っていた。


 しばらくして、先ほどの逃げた鳥たちが舞い戻り、口々に、眠りこける男についておしゃべりしていた。


 闘神は夢の中で、かつて、世話になった人々と、再会をはたしていた。誰も彼もが幸せそうな姿で満足のゆく夢であった。寂しさは訪れなかった。


 闘神が起きる頃には、木に止まる鳥たちの数は実った果実の数より多かった。いつの間にか仲間を連れてやってきていたようだ。

 起きざまにあくびをする。

 ぐぅーと。体を伸ばす。じんわりとした心地よさに満たされた。

 鳥たちは、その動作に警戒したのか、再び羽ばたいていった。

「悪い悪い」

 敵意はなかった。野生に生きる者ほど、それには敏感である。故に、男に興味深々の鳥たちは再び元へ戻ってくるのだった。

 鳥たちの会話が聞こえる。その中でも、「天のガラス」という言葉が際立って耳にはいった。

 一体それはなんであろうか。そう考えながら上着の胸ポケット、そして内ポケットを探り、もう一方の手でジッポーライターちゃんを手にしたところで、たばこはもう無いのだということに思い至る。頭を抱えた。


 鳥たちの心配の声が聞こえる。

 大きなため息がれた。どのポケットにもたばこはない。一縷いちるの希望が断たれたのだった。

 じゃあ、このライターはなんのためにあるんだ...とわずかに思うが、ジッポーちゃんが私、いらない子なの?とぷるりと震えるので、優しく、でてあげた。

「この世界にもたばこはあるだろう。満足できるかはわからないけど、君を責める訳にはいかないよ。」

 照れたのか、少し温かくなったジッポーちゃんであった。ここで、「君は大事だ、必要だ」と言われないことが少々の不満ではあったが、「私はもてあそばれるライターなのよ。」という謎の意識がジッポーちゃんには存在した。


 鳥たちはその不思議な光景に首を傾げていたが、闘神がこちらを見て何かを問いかけだしたので、先ほどの奇妙な光景は忘却の彼方へと飛んだ。


「天のガラスとはなんだい?」

 闘神は鳥たちにそう問いかけていたが、その意味は全く伝わることがなかった。

 スキル完全言語理解は、言語を理解できるようになるが、話す能力を保証するものではない。ただ、どんな発音をすれば、こちらの意図が相手に伝達できるかまではわかる。

 故に、先ほどの羊飼いの言語は聞いたことも学んだこともない言葉であったが、どう発音すれば、相手に自分の意図が伝わるかはわかった。そして、相手が使う言語をたどたどしく発音して、なんとかコミュニケーションを取ったのだった。

 また、聞こえてくる相手の言葉も、自分が理解しやすいように翻訳、改変されているようであった。これは、その言語の文化体系に触れてゆくほど精度が上がり、習熟していくものであった。


 通常この世界では、一般教養を学ぶ者は言語理解系のスキルを等しく獲得することができる。故に常識として、異邦人いほうじんに母国語で相対あいたいしても、相手が言語理解系のスキルを所持していれば、わざわざ、その相手の言葉を話さなくてもコミュニケーションが取れるのであった。それは異邦人にとっても同じで、わざわざ相手の言語をしゃべらなくても、相手の言葉は理解できるし、相手もこちらの言葉を理解しているので、大した問題はなかった。

 それ故、あのとき、闘神が羊飼いに日本語を喋ろうとも問題は起こらない。羊飼いも羊飼いで、ある程度の言語理解スキルを持っていたからである。ただ、未だそのことを知るわけもなかった。

 そして、今、鳥たちと闘神は会話を試みようとしているのだが、この鳥たちは、人間種に対する言語理解系スキルを持っていなかったので、闘神のしゃべる言葉が理解できなかった。異種族間の言語を理解するスキルはとても貴重なものであった。それは、種族がかけ離れていればいるほどである。


 ただし、それでも一つだけ、鳥たちとコミュニケーションを取る方法があった。それは、闘神が鳥の鳴き声を真似するという方法である。

 鳥たちの言語体系は感覚で理解できている。あとは、その鳥たちの発音を真似て、ピーチクパーチクさえずればいい。

 しかし難しかった。精神的な問題もあるが、鳥の発音というのは、ちょっとでも誤ると、途端に違う意味になってしまうものであった。

 けれども試みた。

「ちょっと聞きたいのだが。天のガラスとはいったいなんだい?お前はその目で見たのか?という質問の意味がよく分からないのだが。」

 少し恥じらってしまったのが敗因であろう。半音低く発音された闘神の鳥語は

「ピーチクパーチクうるせえんだよ。空高くぶち抜いてやろうか?お前の目ん玉を。お分かり?」

 であった。

 鳥たちは跡形あとかたもいなくなった。


 一つ彼の名誉のために述べておくが、闘神の持つ完全言語理解のスキルは非常に貴重で滅多に存在しない稀有けうなスキルである。普通、人はそこらにいる虫や動物たちの声の意味など聞き取ることはできない。愛着を持って接した生き物の言葉が、個別になんとなく、理解できる。普通はそんな具合であった。故に闘神のスキルはどんな種族、生命の言葉でも理解できる幻のスキルであるのだ。

 ただ、それはいわゆる諸刃もろはの剣であり、このスキルを獲得した者は、例外なく、意識を持つ動物を食べること、つまり、肉食に対する忌避きひ感にさいなまれた。この場合、救いは悪辣あくらつな動物や、魔物を狩り、食らうことにあった。

 さばかれた経緯のわからない肉を口にできるものは、覇者の道をゆく者くらいであろう。


 愚者にかのスキルは得られず。ゆえにかのスキルに悩まされるは賢者の証である。

             -百獣の賢者-



 空を見上げる。夕暮れ時であろうか。あかね色に空が染まっていた。星々がまたたいている。

 しかし、一体どういうことなのだろうか。たまたまタイミングが悪かったのか。私は太陽の姿をこれまで一度も目にしていない。

 月が見当たらないのは問題ではない。地平に隠れているのかもしれないし、そもそも月がどこの惑星にもあるという保証はないのだから。

 けれども、太陽に関しては話が別である。この空の明るさ、そしてその色を作る光源はいったい今どこから来ているのだ。ただ、私が、偶然目にしなかっただけの可能性もある。今太陽は、地平に沈み、この夕焼けの時間もマジックアワーなのだとも思える。しかし、日が暮れた方角というのは、さっぱり検討がつかなかった。

 だがしかし、そうだとしても、あの空に輝きだした星々は、無重力の宇宙空間の先に続いているのだ。この惑星にいかなる不思議があろうとも、遠くに見える星が星であることは変わらない。

 もしかすれば、あの星のどこかに地球があるのかもしれない。


 いつの間にか服はエースパイロットのコスチュームに変わっていた。いかしたつなぎの軍服である。

 

 既に視線は上空を定めている。

 

 ふわっと浮かび上がる。大地を蹴ってしまえば、この鳥たちのいこいの木は倒れてしまうだろう。そんな優しさを見せつつ、ゆっくりと、そして、次第にスピードを上げながら、真っ直ぐ上へと飛び立っていった。


 ぐんぐんと上昇してゆく。時速1000kmの高速飛行に達しても、まだ、宇宙まで到達するには物足りなかった。足元の空気をり上げる。その度に衝撃が起こり、そして、恐ろしいほどにスピードが上昇してゆく。しかし、いつまでも重力は変わらず闘神の体をとらえていた。


 上昇しながらも、闘神は周囲を見渡していた。もはや高度は雲の上を大きく上回っていた。しかし、一向に太陽らしきものは見当たらなかった。それどころか、地平はどこまでも先へ続いていた。夜が訪れる。遠くの方に、いくつか、人工的な光が密集してる場所が見える。文明の光であった。ただ、それぞれの距離は恐ろしく離れている。奥の奥の方には巨大な文明の影も見て取れた。


 朝が訪れた。疲れや眠気などは一切なかったが、それでも、宇宙にはまだ至らなかった。

 今、闘神は飽きていた。足元の空気を蹴り上げることもやめ、ただ、寝そべるかのような態勢で、のんきに上昇しているだけであった。それでも、時速は1000kmを保っていた。


 いつまで続くんだ。


 そう思いながらも、世界を見渡す。こんなに上昇しても、世界は平らであった。

 信じられないほどに巨大な惑星なのかもしれない。

 もはや、地平の彼方はかすんで見えていない。


 時折空の魔物が襲来する。襲来と言っても、異常な速度で上昇を続ける闘神が、彼らにぶつかっていく格好なのだが、どんな魔物も、ただ、あっけなく、闘神のこぶしに沈んだ。

 不思議だったのは、倒した魔物から、綺麗な光の粒が帯状おびじょうに発生したことだった。

 これが経験値なのだろうか。石板にて、経験値を取得するための受け皿「レベル」「ステータス」を削除していた闘神は、ただ、その光の帯が自分にまとわりつこうとも、まとわりつけない焦ったい、すったもんだを眺めることしかできなかった。

 ふと、ジッポーライターちゃんがポケットから、ひょっこりと出てくる。

 そして、すちゃっ、と上蓋うわぶたを開き、その経験値と思われる光の帯をシュルシュルルと吸い込んでいった。

 大満足!

 そんな思念が伝わってきた。よくは分からないが、まあ、これでいいだろう。そのまま、闘神は再び上昇してゆくのであった。結局、その途中途中の障害は全て経験値に変換され、ジッポーライターちゃんのご馳走ちそうとなっていったのであった。


 ある空の強き魔物はその光景をしかと見つめていた。その魔物はとても良い眼を持っていた。故に、遠くの方から闘神を伺うことができていた。


 あれは、強すぎる。人間を食らうことは我々に取って力のかてであるが、それは人間も同じ。その競争の上に我らは成り立っているのだが、しかし、あやつは違う。異常だ。歴戦の我がライバルたちも呆気あっけなく散った。歯牙しがにもかけていなかった。小心者の我だけが、この空域に残ったのだ。なんという僥倖ぎょうこう。いや、いかん。身の振り方を決めねば、末恐ろしいことになるぞ。

 まずは、あやつから一刻も早く離れるのが吉。ここにいちゃいかん。この空域は放棄だ。逃げるが勝ち。そうだ、伝説の火の鳥様を探そう。保護してもらうのだ。そうと決まれば、スタコラ退場立つ鳥跡あとにごさん。


 遠くの方に見えた魔物が死に物狂いで逃げていくのだったが、闘神がそれに気づくことはなかった。


 ジッポーライターちゃんが飲み込んだ光の帯。これは闘神の予想通り経験値と呼ばれるものであった。

 経験値を取り込むことにより、この世界の生命は力をつけてゆく。世界の理であったが、その受け皿を見事に削除していた闘神には無縁である。そして、実際、闘神には必要のないものであった。己の強さがどれほどのものか、未だ理解していない闘神ではあるが、ただ、経験値の取得は彼にとって意味を成すものではない。それが、彼の力を強めることも、ポテンシャルを引き出すことも、あり得なかった。これは、闘神の力のクラスが他と異常に異なるためである。経験値を積んだ闘神と経験値を積まない闘神の力は何も変わらないのである。よく言えば完成された力。悪く言えば、成長の見込みはない。しかし、彼の上に立つ者はいやしないのだ。

 

 一方で、ジッポーライターちゃんも力欲しさに経験値を取得しているわけではなかった。これは、ある大いなる計画のための仕掛けであった。しかし、その計画が明るみに出るのは、まだまだ先の話である。


 先ほど開けたばかりの朝空は、いつのまにか夕暮れを着飾っていた。

 太陽はどこにも存在しなかった。

 ただ、空が明るいだけで、何が輝くともない。


 1日は30時間。スマホ君の表示によると、どうやらそれが、世界の1日の時間で決まりなようであった。夜明けから夕暮れ時までが15時間。そしてまた夜明けまでが15時間である。

 1秒がどれほどか、あまり覚えていないが、記憶の中の1秒、そして1分と、この世界の1秒、1分は、それほど逸脱いつだつしていないように思えた。ただ、これはどんぶり勘定である。しかし、それらを知らずとも体感の1日は、以前までの1日と比べて長いと感じられた。


 確かにこの世界は前の世界よりも、1日が長かった。

 ただ、そこらへんを詳しく理解してそうなスマホ君が教えてくれることはなかった。


 働きたくない!惰眠だみんむさぼる!我は労働のしがらみから解放されし者なり!情報が欲しいものなら対価を求める!今、我が欲しいもの。それは永遠の休暇である!


 こんな具合である。とりつく島もない。過去、あまりにも酷使こくしされたことをうらんでいたのか、休むことの素晴らしさに目覚めてしまったスマホ君であった。


 夜。その空には星が広がっていたが、その星々は、なぜか、次第に大きく。こちらに近づいてくるかのように、迫ってきていた。まるで、星が空の壁に張り付いているかのような、そんな感覚であった。

 そして、その日の明け方、ついに闘神はこの世界の頂に到達したのであった。


 宇宙。惑星。恒星。そして、彼方かなたの星々。

 そんなものは存在しなかった。


 どこまでも、平らに伸びる、世界をふたする透明な天井。

 とても分厚いその中の、そのところどころで星であったはずの光が輝いている。

 青空の層がいま、徐々に輝きだしている最中であった。普通ならば、目がおかしくなるほどの明かりである。


 ピタリと手で触れる。天井は冷たかった。滑らかな触り心地。そして、非常に硬い。


 まるで、ガラス。そんな天井が闘神には許せなかった。

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