ハロルド 第6章③:本気の殴り合い

 人気のない路地裏。

 二つの影が激しく交錯する。

 クインシーの突進してきた一撃を、ハロルドはかろうじて腕で受け止めた。

 その強烈な衝撃に、思わず顔がゆがむ。


 シャドウベインで鍛えられた実戦経験が、クインシーの拳に確かな重みを与えていた。

 しかしその一撃に迷いがあることを、ハロルドは確信した。


 「何やってんだよ、クインシー!」


 ハロルドは叫びながら、返しの一発を放つ。


 「お前、本当にこれでいいのか!?」


 「うるせぇ!」


 クインシーの声が裂ける。


 「じゃあ俺にどうしろっていうんだよ!」


 拳と拳がぶつかり合う。痛みが走る。

 しかし、その痛み以上に胸が苦しい。


 クインシーの拳には悲しみと自棄が、ハロルドの拳には怒りと失望が、それぞれ込められていた。


 「俺たちは!俺は!トリアは!」


 ハロルドの左フックがクインシーの頬を掠める。


 「お前を信じてたんだぞ!!」


 「そんなの…!」


 クインシーの右ストレートがハロルドの胸を打つ。


 「知ってるに決まってるだろ!!」


 殴り合いは続く。

 街灯の光が二人の影を不規則に歪める。

 汗が飛び散り、血が滲む。

 互いの拳が空を切る音と、荒い息遣いだけが、夜の静寂を破っていた。


 「シャドウベインは…」

 クインシーの動きが、目に見えて鈍る。


 「シャドウベインは俺の全てだった。だけど…」


 「今はもう違うだろ!」


 ハロルドは相手の隙を突いて、渾身の一撃を放つ。


 「今のお前には、仲間がいるじゃないか!」


 拳が顔面を直撃する。

 クインシーが後ろによろめく。

 その目に浮かんでいたのは怒りや憎しみではなく、悲痛な叫びだった。


 「分かってる…」


 クインシーの声が震える。


 「分かってるよ…でも…!!」


 最後の一撃を互いに放った瞬間、両者の拳が同時に相手の顔面を捉えた。

 衝撃と共に、二人の体が宙を舞う。

 そして、ほぼ同時に地面に倒れ込んだ。


 夜空を見上げながら、二人は荒い息を整える。

 唇から血が滲み、体のあちこちが痛む。

 だがその痛みと共に、何か重いものが溶けていくような感覚があった。


 「はぁ…はぁ…」


 荒い息遣いだけが、静寂に溶けていく。

 汗と血で濡れた顔を横に向けると、クインシーも同じように息を切らしていた。

 その表情には、もう先ほどまでの苦悶の色はない。

 ただ、深い疲労と、何か諦めたような色が浮かんでいた。


 夜風が二人の間を吹き抜けていく。

 拳で語り合った想いが、少しずつ形を変えていくのを、二人は感じていた。

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