ハロルド 第5章③:初恋の芽吹き

 夜の作戦会議が終わり、メンバーが次々と帰途につく頃。

 ハロルドは機器の調整を理由に作戦室に残っていた。

 クインシーは資料を整理し、「お先」と軽く手を振って出ていく。

 その後ろ姿を、ハロルドはそっと見送った。


 少しして、トリアも静かに立ち上がった。

 「私も帰るね」

 書類を抱えて出ていく仕草。

 しかし、一瞬交わした視線には、暗黙の了解が込められている。


 十分ほど遅れて作戦室を出たハロルドは、孤児院の中庭で待っているトリアと合流した。

 月明かりの下、二人は並んでベンチに腰掛ける。


 「今日も何も掴めなかったね…」

 トリアが静かに呟く。


 月光に照らされたその横顔に、ハロルドは思わず見入ってしまう。

 今まで何度も見てきたはずなのに、どうしてこんなにも目が離せないのだろう。


 「あ、ああ…」

 我に返って慌てて視線を逸らす。

 胸の奥が妙にざわつく。こんな感覚は初めてだった。


 同じ孤児院で育った幼なじみ。

 いつも一緒にいる大切な存在。

 けれど最近、その「大切」の意味が、少しずつ変わってきているような気がする。


 深夜の静けさの中、二人は黙って孤児院まで歩を進める。

 いつもと同じ帰り道。

 でも今夜は、街灯の明かりも、吹く風も、全てが特別に感じられる。


 時折、トリアの肩が自分の腕に触れそうになる度に、心臓が大きく跳ねた。


 「クインシーと出会って、まだ半年くらい?」

 トリアがふと呟く。

 「でも、もっと長く彼を知ってる気がする…」


 「そうだな」

 ハロルドも思い返す。


 「あの日、Velforiaで初めて会って、いきなりチームを結成しようって言い出すんだから」


 懐かしむように笑いながら、でも胸の奥では締め付けられるような感覚に襲われる。

 トリアの髪が風に揺れる様子、か細い指が髪をかき上げる仕草、柔らかな声の響き。

 それら全てが、まるで初めて見るかのように、ハロルドの心を揺さぶる。


 「ね、ハロルド」

 ふいにトリアが立ち止まる。月明かりに照らされた瞳が、真っ直ぐにハロルドを見つめる。


 「最近のクインシー、ますます声をかけづらくて…やっぱり心配だよ」


 その真摯な眼差しに、ハロルドは言葉を失う。

 トリアの不安げな表情に、思わず手を伸ばしそうになって慌てて止める。

 こんなふうに、彼女の仕草の一つ一つが胸に響くようになったのは、いつからだろう。


 夜更けの道を、二人は黙って歩き続ける。

 肩が触れ合うたび、手の甲が擦れるたび、ハロルドの心臓は大きく鼓動を打つ。

 こんな近くで歩くのは、いつものことのはずなのに。


 「あのさ」

 ハロルドは空を見上げながら、少し震える声で言った。


 「トリアと二人で、こうやって話せるのが、なんていうか…」


 言葉が続かない。

 トリアの存在が、これまでとは違う重みを持ち始めている。

 その変化に戸惑いながらも、確かに分かることがあった。


 彼女の笑顔を見ると嬉しくて、悲しそうな顔を見ると胸が痛い。

 一緒にいると心が落ち着くのに、どこか緊張して、でも離れたくない。

 幼い頃からずっと一緒にいた「妹のような存在」という言葉では、説明がつきそうになかった。


 「ありがとう、ハロルド」


 突然のトリアの言葉に、ハロルドは我に返る。


 「私一人じゃ、きっとクインシーの変化を見過ごしてたよ。でも、ハロルドが気づいてくれたから…」


 その言葉に、ハロルドの胸は大きく波打った。

 親友の異変を案じる気持ちと、目の前のトリアへの想い。

 相反することのない二つの感情は、なぜか彼の胸の中でぶつかり合い、複雑にからみあう。


 孤児院に着き、「おやすみ」と短く言葉を交わす。

 別れ際、ハロルドはふと振り返った。

 月明かりに照らされたトリアの後ろ姿。小さな背中が、廊下の向こうへと消えていく。

 その姿を見送りながら、ハロルドは自分の心臓の鼓動にいま始めて気が付いた。


 自分の部屋に戻っても、ハロルドの心臓の高鳴りは収まらなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る