ラブレター

あじふらい

ラブレター

僕は花束を抱えて歩いている。

真っ白なダリアは、彼女が好きな花だ。

並木道を揺らした風が咲き誇る芳香をふわりと運び、僕にそれを届ける。

その香りにうながされるように、初めて花束を贈った日に感じた気恥ずかしさと、満開の笑顔と、歌うような声と、風にそよぐ柔らかい髪と、ひんやりとした白い指先と、優しく僕を抱きしめる体温が、次々と蘇る。


伝えそびれた愛が、伝えそびれた感謝が、伝えそびれた幾つもの事柄が、折り重なり、僕の心を締め付けている。

彼女がいた全ての日常に、世界に、今は僕ひとりきり、取り残されてしまった。

道端に咲いた小さな花を、職場の近くに見つけた定食屋を、青い空に浮かぶ変わった形の雲を、路地裏で出会った猫を、彼女が気に入りそうな街角のカフェを、送り先のないまま、データの海にしまい込む。

そんな毎日があの日から延びていて、これから先も、続いていく。

日々を重ねるほど、たずねたい事、語りかけたい事が、やりきれない寂しさと共に、心の片隅に降り積もっていく。


僕が何か行動を起こすたび、彼女と共に過ごしたいつかのあの日の、色が、温度が、においが、まるでそこに存在するかのように浮かび上がる。

ひとり過ごす部屋に、すらりと背筋を伸ばして細い指で本のページをめくる彼女がいる。

ひとりハンドルを握る車の助手席に、飴玉をコロコロと頬張りながら目を輝かせる彼女がいる。

今ひとり歩くこの並木道に、寄り添って歩いた彼女がいる。


今年も目的地にたどり着いてしまった。

陽の光をキラキラと拡散する海を見下ろす。

青々としたけやきの下で目を閉じる。

彼女と出会って一生分の恋をした。




どれだけ恋しくても、どれだけ願っても、もう二度と会えないのだと、貴方を想えば想うほど実感するのです。

日常の中で感動を感じるほど、貴方にそれを伝えたくて、貴方の不在を突きつけられるのです。

まるで生まれた時からふたりでひとつだったみたいに、貴方がいない日々はこんなにも生き辛いのです。

貴方さえ居てくれれば、僕はどんな辛いことでも耐えられたのです。

忘れ去ってしまえればどんなに楽かと思うのに、思い出の一欠片ひとかけらでさえ、手離したくないのです。





僕の両隣を風が通り抜けた。

花が香り立つ。

そっと花束を置く。

僕を包むダリアの香りが薄れてゆく。

そっと踵をかえす。

潜熱せんねつは、褪せない。

長い、長い道を、僕はひとりで歩いていく。





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ラブレター あじふらい @ajifu-katsuotataki

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