第4話

 ローズリー学院のカフェテリアでは、一流の料理人による最高級レストラン以上の質の高い料理がいつでも楽しめる。しかし、生徒たちが主に利用するのは談笑やちょっとした休憩のためで、料理を目当てに訪れる人は少ないように見えた。


「本っ当に、申し訳ございませんでした…!ぼ、僕、集中すると周りが見えなくなってしまって…」


 広いカフェテリアの一角、大きな丸テーブルにアトリーチェたち3人とトーマス・シュペールベルクが座っていた。側にある広い窓からは手入れが行き届いた美しい庭を眺めることができる。


「話には聞いている。人並外れた集中力、それはシュペールベルク家の特性とも言えるのだろう?」


 さっきよりは砕けた口調でオスカーが言う。それでも十分に相手を敬っているようだ。どちらかというと、同年代の友人を得たようで嬉しそう。なんでなのよ。アトリーチェは不満気に顔を顰めた。


「まあ、そうですね…僕の家、シュペールベルクは『知の番人』として、この国のあらゆる事象を記憶し、記録し、受け継ぐのが役目ですから。僕の周りに注意力が散漫な人を見つけるのはなかなか難しいと思います……でも僕は、その集めた知識をただ修めるだけじゃなくて、世の中を変えるための新しい物を生み出すことに使いたいんです!」

「なるほど。素晴らしい意識だな」


 ん?


「こ、光栄でございます…!!……今日も僕…自分の研究のことを考えてて、申し訳ないことをしてしまいました…僕、よくあるんですよ、こんなふうに人にぶつかってしまうこと…」


 んーーーーー……………?

 この話、どこかで聞いたことがある気がするんだけど…



(…アトリ、シュペールベルクさんのこと、知ってたの?)

 アトリが悩んでいると、隣でベルがこっそりと話しかけてきた。

(いいえ。…でも、どこかで聞いたことが…)


 トーマスの目を盗んで、ベルはアトリに耳打ちする。


(…じゃあ、『大図書館』は?)

(……………!)

(思い出した?)


 『シュペールベルクの大図書館』、俗に言う大図書館はローズリーの外れに位置する大きな古塔。その中には何百、何千万冊、ひょっとしたらそれより多くの文献が収蔵されており、この国シャンドフルール創建以前からの長い長い歴史がその塔に保存されている。アトリもかつて幼い頃、父親に連れられて訪れたことがあった。彼女の琴線に触れるものは無かったが。


 なるほど…シュペールベルク家があの大図書館を管理しているのね。そんなに有名な家柄ならあたしが知っていてもおかしくない…………わね。


 トーマスを見ると、彼の顔は真っ赤になっていて、目線はあちこちを彷徨い、栗色の巻毛を指先でしきりにいじっている。分厚い黒縁眼鏡もずれてしまっている。…あまり人と話すのには慣れていないようだ。見苦しいわ。アトリは思った。


「それで、今はどんな研究をしているの?」


 今度はベルカントが興味津々に聞く。どうして二人はこんなに彼に好感を持っているのかしら…この人に会ったことがあるの…?


「あわ…そこまで興味を持ってもらえるなんて…!!…えと、今は『明かり』の研究をしています。……暗いときに蝋燭で火をつけるじゃないですか。でも火って危険で…すぐに本を焼いてしまったり大火事に繋がることもありますよね…それに明かりを灯す魔術もあるけれど使える人は限られています。なので僕は…」


「……新しい明かりを作るのね!?」


 突然声を発したのはアトリだった。トーマスは興奮したように顔を上げる。


「……そっ、そそそそうなんです!まさかシルバーハート様が関心を持ってもらえるなんて!…ぼ、僕、シルバーハート家の技術にも興味があって…光ってどうして発生するか知っていますか?これはまだ解明されていなくてですね、僕ら人類はずっと火の光を頼りに生きていたのに、不思議ですよね!あとそれと…」


 それは知らないけど。………あたしやっぱり彼のこと、知っている気がするわ…さっきの台詞も聞いたことがあるような……なにか思い出せそう……うう、……ここまで来てるのに!…………………………………………



「……す、すみません、喋りすぎてしまいました…そ、そんなに睨むほどでしたか…?」

 

 また黙り込んだアトリの様子に、トーマスは狼狽える。そんな彼にもアトリは気にせず沈黙を続ける。彼女の華やかな顔が険しくなっていることがどれだけ相手を震え上がらせるのか自覚しないまま。



 …うーん……………………………………



「……そ、そんなに気分を害してしまうとは……」



 ……………………………………あっ!



「ねぇ、貴方、」


「ひぃっ!」


 トーマスはアトリーチェの眼光に気圧され、思わず震え上がる。

 それも気にせず、アトリーチェはにっこりと笑って、言った。





「……好きな食べ物は、ナッツ入りクッキー、でしょう?」





「え?」



 一瞬の、静寂。






「…ま、まあ、そうですけど…ナッツは頭の回転を促進してくれますから………」


 やっぱり!あたし、彼のこと知ってるわ!


「……アトリーチェ、なんで知ってるんだ?」


 オスカーが胡乱げに問う。




…………なんででしょう。




 *



 アトリーチェとオスカーは、帰りの馬車に揺られていた。婚約者で、シルバーハート邸は王宮の側にあるということもあり、二人はともに同じ馬車で学院へ通っていた。差し込む夕日が二人の端正な顔立ちを照らし出す。


「…アトリ。」

「なんでしょう?」


 静寂を破ったのはオスカーだった。彼は、私的な場所では親しい人を愛称で呼ぶ。その表情も、学院にいる時よりも少し柔らかな、年相応のものになっている。


「今日のトーマスとの邂逅だが、よく怒りを抑えたな。今までのアトリじゃ、絶対にあそこで爆発してた」


 ……そうでしょうそうでしょう!我ながらあたし、よく頑張ったと思いますわ!!


「…ありがとう。オスカーが止めてくれたおかげよ」


 心から喜びたいところだけど、あたしはあくまで上品に返事をする。オスカー相手にも気は抜けないのですわ。…実際オスカーがいなかったらどうなっていたかはわからないけれど。


 オスカーは、得意げに笑って言葉を続ける。


「アトリは、何故俺たちがシュペールベルクにあんなにも興味を持っていたかわかるか?」

「……いいえ。どうして?」


 あたしは首を傾げる。知の探求、未知の発明といえば男子のロマンだから、ではなく?


「…シュペールベルクは、その膨大な知識と歴史で、この国の中でもかなりの権力があるんだ。かつて革命後、王宮と教会の調停をしたのも彼らだった。…全ての人が求めるのは、知だ。それを掌握するシュペールベルクは、場合によってはこの国全てを操ることも不可能ではない。だから、俺たちはこのチャンスを使ってトーマスに近づこうと思ったんだ」


 いきなりオスカーは少し難しい話を始める。13歳になった今、昔より口調も大人っぽくなって、話も難しくなってきたように思う。あたしは頑張ってその話を理解しようとした。


「なるほど…それでその話をどうしてあたしに?」

「アトリは俺の婚約者として、いずれ王配になるだろ?」


 あたしは頷いた。国の母になる、その覚悟はあたしでも漠然とながら持っていた。それは、王の隣で国を象徴する美しい飾りとなること。そして世継ぎを産むこと。それ以外は何もしなくていい。何もしてはならない。そうではなくて?


「俺は、アトリにこの国のことをもっと知ってほしい」

「それは…あたしに歴史を学んでほしいってこと?」


 女であるあたしが?

 学院では、貴族出身の女子生徒のもつ勉強科目は男子生徒に比べて少なく、裁縫や料理などの授業が主だった。それほど女子が本格的な教育を受けることは貴族でも珍しいことだ。


「ああ。トーマスの話も真剣に聞いてただろ。きっとアトリならすぐ身につくと思う。」


 オスカーは意外とあたしを高く評価しているみたいで少し嬉しかった。…トーマスとの話はちょっと違うように受け止められたようだけど。


「歴史だけじゃなくても、いろいろな学びを。できるだけでいいんだ。そうして、俺が何を考えているのか、どうしたいのか、少しでも分かってくれたら……嬉しい」


 オスカーは真面目な顔で、でも少しはにかみながら、そう言った。

 ……少しオスカーの顔が赤く見えたけれど、きっと夕日のせいね。


「オスカーが言うなら、あたし、勉強してみせますわ!」


 好き嫌いの多いあたしだけれど、そのときは不思議と嫌な気持ちはしなかった。…決して顔に負けたわけじゃないわよ!


「ありがとう」


 オスカーはそう言ってにっと笑った。綺麗な顔…アトリは思わず見惚れてしまう。そこで彼は口を閉じるべきだった。



「……やっぱりアトリって、単純だな!」



 んなっ、あ、アンタ!!!!もう一回言ってみなさいよ!!!!!!!!!!!!!

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