第3話

 ローズリー学院は、大きな城のような本棟と、その周りを取り囲む分棟で構成されている。アトリーチェたちはそのうちの一つ、中等部・貴族棟の長い長い廊下を闊歩していた。


 ねぇねぇ、あそこにいるのって……………

ひそひそ。ひそひそ。


 ふふん。噂されちゃってるわ。あたし。やっぱり1年間みっちり所作から身だしなみまでお勉強した甲斐があったわね――――


 と、いうよりも。


「次の講義ってなんだっけ?」

「地政学基礎だな」

 あたしの右隣のベルカントの質問に、左隣のオスカーが答える。噂されてるの、絶対にこの二人だわ…!


 入学してからはや数日。オスカーもベルも、座学・体術・弁論などなど、あらゆる分野でその完璧さを披露してきた。おまけに二人はそれぞれ国の最高権力と民の救いの象徴を担う次世代である。すぐにこの学院の中心的人物となった。

 アトリはというと、彼女もいち令嬢として、王子の婚約者として、十分すぎると言って良いほどその完璧さを発揮していた。今ではこの学院の女子生徒の憧れの的である。

 しかし、「アトリーチェ・シルバーハート」ではなく、「王子の婚約者」という名目で噂されているのには満足できなかった。


…ええ、ええ。あたしはただのおまけですわよ。

……まあ、結局あたしも皆の羨望の的になっているわけだし。悪い気はしないわ。婚約者ってそういうものだもの。………それより、王子と神の子を両脇に控えさせるあたし…悪い女らしくないかしら!?……処刑されてしまうかも。なんちゃって………………………………


 ……………笑えない。


 そんなようなことをアトリーチェはぼんやりと考えていると、


 ずどん!


 アトリの背中にいきなり鈍い衝撃が走った。…何?痛い。思わず姿勢がつんのめる。人?ぶつかった?誰かに?こんなふうに廊下をまっすぐ歩いている人に対して偶然ぶつかるはずがないわよ。では、わざと?


 ――この、あたしに?


 …………………………………………ム…ム、ム、ムカ、ムカつくーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!


「落ち着けアトリ!」

 オスカーはよろめいたアトリを支えながら語りかける。

…………ハッ!…………………………… 5秒待って、深呼吸。……あ、あぶなかったー……つい爆発するところだったわ。ごめんなさい、オスカー。

「大丈夫ですか?」

 一方のベルカントは、例の当たり屋を介抱しているようだった。…そんなことしなくて良いわよ、とは言わなかったわ。あたしは寛容な淑女。


「う、ううぅ……」

 そんな情けない声をあげた当たり屋は、小柄で黒縁の眼鏡をかけた男子。…こんな冴えない人間がこのあたしに危害を加えたなんて………やっぱり腹が立ってきた。不意に目が合う。その瞬間、当たり屋の顔はみるみる青白くなっていった。

「あああ、もも、申し訳ありません!ごめんなさい!ごめんなさぁい!!!」

 そう言って急いで回れ右をして逃げようとする。さよーなら。せいぜいこのあたしに危害を加えたことを悔やみなさーい。そうあたしは念じた。しかし、そんな彼を引き止めたのはベルだった。

「待って!君ってもしかして…『トーマス・シュペールベルク』さん?」


 当たり屋はぴたりと動きを止めた。


「トーマス・シュペールベルク?」

 あたしは思わず呟く。どこかで聞いたことがあるような…?

「僕の名前…ご存知なんですか!?」

 突然はっきりとした声を発した当たり屋の少年…トーマスは途端に振り返り、こちらの方へ近づいてくる。

「しかもシルバーハート様まで…光栄です…この度はご迷惑をおかけしました…!」

 そんな目を輝かせても…えーと、やっぱり思い出せない……

「シュペールベルク様…!お噂はかねがね聞いております。ここで会ったのも何かのご縁。立ち話もなんですので、お茶でもいかがでしょうか?」


 いつのまにかオスカーが公務モードになってる…!?どうして!この男はあたしに危害を加えた無礼者なのよーーー!?

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