内閣総理大臣・山本壮藏

「なんで、こんな大変な思いをしなきゃならないんだ」


 赤ら顔の男がぼやいた。

 何をやっても批判される。総理大臣になる前は誉める声が多かったというのに。

 今や、マスメディアはもちろん、インターネットの下々の声でさえ、自分を批判する声ばかりだ。


 この男の顔は、さすがに俺でも知っている。総理大臣の山本やまもと壮藏そうぞうだ。

 何か月か前に総理大臣になった男だが、評判が最悪だった。まあ、評判の悪くない総理大臣なんてほとんどいないけどさ。


「閣僚も官僚も民間の奴らも、俺に勉強しろなんてい言いやがる」


 それが不満だった。

 総理大臣になる前はそんなことで文句を言う奴なんて誰もいなかった。

 だから、ここ何年も、あるいは何十年も勉強なんてしていない。


 そう言われて、勉強しようとしたこともあった。

 けれど、ダメなんだ。勉強しようとすると、どうしようもない拒否感が頭の中で働く。一秒でも、二秒でも勉強していると、強烈な忌避感に襲われ、早く辞めたくて仕方なくなる。

 だから、勉強なんてできないのだ。どうして、そんなことも理解できないのか。


 山本壮藏は憤っていた。


 そんな日々の雑務が過ぎ去り、やがて、公邸へと移動する。ぶら下がりの報道機関も振り切り、どうにか居室に入った。

 ようやく落ち着ける。山本壮藏はソファーに背を埋めると、ネクタイを緩めながら、いつの間にか微睡んでいた。


 どれだけ時間が経っただろうか。いつの間に朝日が差し込み、それと同時に美女ギャルが現れる。ベルフェゴールだ。


「ねぇ、アナタ、総理大臣の山本壮藏でしょー。アタシ、アナタを殺してくれって頼まれたのよぉ。大人しく死んでくれるー?」


 ベルフェゴールは脱ぎかけのネクタイを解くと、ワイシャツのボタンを外した。そして、その身体にその手を滑らせる。その手つきは異様なほどに官能的だ。


 山本壮藏はSMマニアである。それもスカトロに対する造詣が深かった。

 女性にいやらしい手つきで触られると、下半身が緩くなるように訓練されている。ベルフェゴールの手つきに反応して体内の汚物が流れ出た。


「あらァ、アナタも供物をくれるんだぁー。

 だったら、アナタの願い、叶えてあげるぅ。ねぇー、アナタが怠けるために、何をしたらいいかなぁー」


 そう言いながら、ベルフェゴールは山本壮藏の身体を撫で回した。

 山本壮藏はまともな思考力を失いながら、こう答える。


「俺はこの世界の最高権力者に昇り詰めた。長い時間をかけ、散々苦労してな。だというのに、世界は俺を歓迎しようとしない。上も下も周辺国も文句ばかり。絶望した。俺はこの世界に絶望した。

 こんな世界、終わらせていいだろう。俺は俺が怠けるため、世界を滅ぼしたい」


 山本壮藏がそう言うと、ベルフェゴールは露骨にげんなりとした顔をした。


「なにそれぇ、めんどぉー。アタシ、それやるのヤだよー。

 おじさぁーん、悪いけどさー、それ自分でやってよ。やり方は教えたげるから」


 そう言うと、ベルフェゴールは山本壮藏から身体を離す。すると、その間から、白衣に白帽子をかぶった料理人然とした男が現れた。男といったが、その顔は鷲そのものだ。


「地獄の料理人ニスロクに任せるよぉー。アンタ、地獄で料理してるんだから、世界を滅ぼすためのレシピだってわかんでしょ。なんだっけ、四騎士とかってやつ、仕立てればいいんだっけか。やっといてぇー」


 呼び出されたニスロクは怪訝な表情を浮かべた。


「まあ、いいですけどねぇ。アンタ、いつも他人任せだ。急に呼び出される身にもなってくれよ」


 ニスロクの愚痴なんて知ったことはない。ベルフェゴールは踵を返すようなポーズをする。


「なぁーんか、今日は疲れっちゃったー。アタシにもの頼む人間が多すぎるのよね。

 じゃ、アタシは地獄に帰るんで、あとヨロ」


 しかし、ベルフェゴールは帰らなかった。いや、帰れなかった。

 ベルフェゴールの影が色彩を帯び、立体化する。現れたのはオノスケリスだ。


「妙な事件が多発してると思ったら、あなたがやってたのね。

 覚悟なさい、もう帰さないんだから」


 オノスケリスの蛭がベルフェゴールと地獄の間に通っていた魔力の線のようなものを噛み切っている。これで、しばらくベルフェゴールは地獄へは帰れない。


「だっるぅー。アナタ、絶対モテないでしょー。

 けどねぇ、アナタ程度の悪魔にアタシは捕まえられないのよね」


 そう言うと、オノスケリスの足元に黒い穴が出現する。突如現れた穴に落ち、オノスケリスは身動きが取れなくなった。


「なにこれ、気持ち悪ぅ」


 オノスケリスが穴にはまっている間に、ベルフェゴールは公邸を後にする。

 しかし、オノスケリスが穴から出るのが想像以上に早かった。また、すぐに追いかけてくる。


「しつっこい!」


 ベルフェゴールがぼやくと、横から声が聞こえた。


「姐さん、こっちでげす。地獄への通路を開けておきやしたぜ」


 誰だろう。しかし、好都合だ。ベルフェゴールは見知らぬ悪魔の開けた地獄へのワープホールへと入り込んだ。

 だが、それはメフィストフェレスの罠である。地獄へ続いているように見えたのは幻であり、その行先は例の倉庫だった。ワープホールに飛び込んだベルフェゴールは、ベヒモスの毛で編んだロープの罠にかかり、縛り付けられる。


「なるほど、地上に捕まえたのがオノスケリスで、ここに縛り付けたのはメフィストフェレスなのか」


 いつの間にか、複眼から解放されていた。俺は納得したように呟く。

 しかし、これまで起きたことをどう説明するべきだろう。わらしべ長者みたいに滅ぼす相手がどんどん大きくなったって言えばいいのか。


「大丈夫、お前が複眼で見た光景、私もお前の複眼を覗き込んで見ていたのよ。

 ベルフェゴールほどの悪魔の姿を覗けるなんて進歩してるじゃない」


 笹垣ささがき紗季さきがそう言う。


「でも、事態は想像以上に深刻ね。黙示録の四騎士。どう止めるべきかしら」

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