ゾーンマネージャー・鈴木将登
「中途半端に出世なんてするもんじゃない」
コンビニエンスストアの本部から出てきたサラリーマンが誰にともなく呟いた。
その胸元に入れた彼自身の名刺が見える。
髪は短めの黒髪。元々はツーブロックだったが、手入れする時間を取れず、なし崩しに下ろした髪型になっている。
スーツにネクタイ、ロングコートといういで立ちだが、どこかくたびれたような印象があった。
だが、何より特徴的なのは顔に貼られたシップだろう。
「くそっ、この顔、何て言って通せばいいんだよ」
つい感情的になり、声が漏れる。それに気づいて、周囲の様子を見回した。誰にも聞かれていないようだ。ホッと胸を撫で下ろす。
ゾーンマネージャーなんて仕事はまったく楽ではない。
いくつもある店舗の全ての様子に気を配っていなきゃいけない。問題があれば、自分のところに回ってくるんだ。クレーマーの相手もあるし、ガチの事件の時もある。コンビニは24時間開いているので、寝ても覚めても安心できる時間はなかった。
その上で、新しい店舗を起ち上げ続けないと無能の烙印を押される。頬の痛みもそのせいでできたものだった。
昨日、鈴木将登は飲み会に呼ばれ、参加している。
ゾーンマネージャーだけでなく、各部門の責任者たちが呼ばれていたが、その席で社長が荒れていた。成績の悪い社員にブチ切れ、暴言を吐いた。
その中で、一番当たりの強い扱いを受けたのが、鈴木将登だ。暴言をまき散らされ、ヒートアップした社長により鈴木将登は酒瓶を投げつけられた。
それでできたのが頬の痣だ。シップを貼ってはいるが、会う人会う人に誤魔化さなくてはならないだろう。
こんなの警察沙汰にしてやればいい。
そう思わないでもないが、そうすると自分も職を失う。
権力とは不思議なもので、誰もがその場では社長の言いなりであり、反旗を翻そうなんて気にはなれない。飲み会の参加者は皆仲間ではあるが、同時に互いの監視者でもあり、結局は権力者の都合のいいようにしか行動できない。
「なんで出世しようなんて思ったんだろ。閑職に甘んじていれば楽だったろうに」
そう思うが、一度登り始めた出世街道は降りることはできない。降りようとしたものは破滅があるだけだ。
転職しようとしたり、脱サラしようとした先輩たちが落ちぶれていったのを目の当たりにしていた。もう逃げることはできない。
――グキュルルルルゥゥ
お腹から不自然な音が鳴る。急激な腹痛に見舞われる。
会社を出る前、社長から呼び出されていた。昨日殴ったお詫びなのだろうか、社長自身が作ったという手料理を振る舞われる。謝罪の言葉はなかったが。
鈴木将登はにこやかに作り笑いをして、美味しそうに食べ、そして腹痛になった。
「まずい、こんなところで」
人だかりの多い道を歩いている。こんなところで漏らしたら、人生が終わる。
鈴木将登は泣きそうになっていた。四十を過ぎて、こんな大勢の前で……。
そう思っていた時、ビジネス街に似つかわしくない
ベルフェゴールだ。彼女は鈴木将登の手を取り、その頬を撫でる。その手つきは異様なほどに官能的だった。
「ゾーンマネージャー・鈴木将登でしょー。アタシ、アナタを殺すように言われてきたのー」
気だるげな口調でそんなことを言う。鈴木将登にはその意味が何も理解できない。
だが、彼としてはそれ以上に深刻なことが下半身に起きていた。肛門括約筋が力を失い、出さないようにしていたものが無防備にも流れ出る。
「あれぇー、アナタもアタシに供物をくれるのぉー。
しょうがないなぁー。アナタの願い、叶えてあげるぅ。あなたが怠けるためには何をすればいいのかなー?」
確かに漏らしたはずだった。しかし、不快な感触も臭いもない。
その奇妙な状況に思わず座り込んだ。そして、自分が憎悪を向ける対象の名前を挙げた。
「……社長。
振り絞るようにそう言うと、座り込んだまま、目を閉じる。倦怠感に身を委ねた。道を通る人々は鈴木将登を避けて、そのまま進んでいく。
いつの間にか、ベルフェゴールは姿を消していた。
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