コンビニ店長・田中美知
「どうして、こうなった……」
コンビニの店員が大きなため息をついていた。その名札が見える。店長。
髪は清潔感のある黒髪で七三分け、後ろ髪を縛って、緑色の三角巾を巻いていた。
服装はコンビニの制服を綺麗に洗濯して着ている。
田中美知は外に出た。そして、再びため息をつく。
隣に同じ会社のコンビニエンスストアが建っていた。同じ会社の店でありながら、田中美知にとってはライバル的存在であり、目の上のたんこぶといえる存在である。だが、頭の上がらない存在でもあった。
きっかけは、田中美知が営業時間を変えたことだ。
この場所はビジネス街であり、住民は少ない。なので、夜や土日になると、極端に集客が落ちる。そのため、深夜営業は割に合わない。
田中美知は本部に掛け合い、営業時間を変えることを了承させた。しかし、その後になってゴタゴタと揉める。上層部がその決定に納得しなかったらしい。
ついには裁判沙汰にもなりかけ、田中美知も知り合いの弁護士に頼ることになった。
とはいえ、それも穏便に収まった。そう思ったのだが、隣にコンビニエンスストアが建ったのである。それも本部直属の店で、店長は本部の社員でマネージャーの息がかかっている。
表立って文句を言うこともできない。言っても嫌がらせを受けるだけ。笑顔で接するしかなかった。
「私は楽できると思っていたから始めたのに」
誰にも聞かれないと判断して、また独り言を呟く。
確かに、認識が甘かったといえば、反論できない。
田中美知はコンビニ店長になる前は会社員だった。大手企業に勤め、仕事もそれなりにできたが、その仕事は好きでなかった。投資に手を出してみたところ、成功し、それなりに貯金が増える。
自分はできる奴なんだ。そう認識した。
知り合いから、コンビニのオーナーになったという話を聞く。その売り上げを聞いて驚いた。サラリーマンなんてやってる場合じゃない。そう思う。
田中美知はフランチャイズのオーナーになった。
コンビニが激務だなんてことはわかりきっている。
けれど、店長を雇い、バイトを管理させれば、オーナーである自分は働く必要はない。問題が起きた時だけ動けばいい。
そう思っていたら、店長として雇うことになっていた人員が飛んだ。
新たに店長を探す時間もない。それに誰を信じていいかわからなくなっていた。
田中美知は自身が店長として働くことになり、その激務の中、自身に経営の手腕がないことを痛感していく。
売り上げは思ったよりも低く、店長を雇うなんて余裕はすぐになくなる。現状維持でさえ厳しかった。
その上、この仕打ちである。
隣に同じコンビニができたせいで、売り上げは激減し、経営は黒字と赤字を行ったり来たりになった。足りない売り上げは自腹を切り、足りない労働力は自分が入る。
金銭的にも、肉体的に、限界が近づいていた。それでも、フランチャイズの契約があり、簡単にやめることなんてできない。
「ぼやいてても始まらない。品出しやんなきゃ」
再び独り言を言い、店に戻った。
ふと、妙なものが目に入る。コピー機のところに忘れ物があった。
学生の忘れ物だろうか。奇妙な図形と数式が詳細に書かれたノートが置いてある。
そのままにはしておけない。バックヤードに確保しておこう。そう思い、ノートを手にした。
その瞬間、催すものがあった。田中美知は大慌てで――ノートを持ったまま――、トイレに駆け込んだ。
「なんだこれ」
トイレの中でついノートが目に入る。
どこの国の文字だろうか。アルファベットに似た見知らぬ文字が羅列され、その上にカタカナで読み仮名が振ってあった。
「エロ・イム・エツ・サイ・ム・フォロ・ガピイ・エテ・ピツテ・ラビ」
疲れていて意識が朦朧だったからだろうか。なんとはなしに、口に出して読む。
その瞬間に催していたものが出た。反射的にそれを流す。
ジャジャー
水の流れる音に意識が向いていた。その一瞬のうちに異変が起きた。
便座に座る田中美知の身体にしなだれるように
突然現れた女の身体に、田中美知は困惑した。急に人が出てきた上に、その手つきが妙に肉感的なのである。
まあ、そりゃそうだ。誰だってビックリするよ。急に知らん奴がトイレの個室に出てくるんだからな。
それも、その相手は悪魔なのだ。欲望を駆り立てる術に長けている。
「あ、あの、だ、誰!?」
田中美知はその手つきの快楽に溺れそうになりながらも、どうにか声を上げた。
「あぁー、何かと思ってたら、召喚されて地上に来てたのねぇー。
あ、どうもベルフェゴールでぇーす」
ベルフェゴールが気だるげに声を出す。まるで、自分がその場に突然現れたことも、田中美知の身体を弄っていたことも、今気づいたかのようだ。
「なぁーんか、もう供物を受け取っちゃったみたい。
ねぇー、あなたの願い、叶えてあげるぅー。
何をしてほしい? どうすれば、あなたは怠けられるぅ?」
かったるそうな表情をしたベルフェゴールは緩慢な動きのまま、的確に田中美知の身体を刺激し続けていた。
田中美知は正常な判断もできないままに、声を出す。
「ぞ、ゾーンマネージャー。あの、
ぱっと頭に浮かんだ憎い相手の名前を上げていた。
次の瞬間、ベルフェゴールは姿を消す。
「なに、夢だったの?」
そう思うが、答えは出ない。いや、出そうとする気もなくなっていた。
どっと疲れが出る。倦怠感に身体が支配される。田中美知は時間も忘れ、下半身を露出させたまま、便座に座り込んで、ただ、ぼぉーっとしていた。
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