笹垣弘毅

 複眼で二つの風景を見た。そして、行くべき場所は分かった。


「上だ。紗季、掴まりなよ」


 俺は背中にオーラを集めて羽にすると、飛び上がる。紗季はその直前に俺の腰にしがみついた。

 天上をオーラの羽で粉々にすると、一つ上のフロアへと降り立った。


 いた。複眼で見た男と少女――桐里きりさと樹梨花きりかだ。

 樹梨花は男の名を口にする。


笹垣ささがき弘毅こうき……さん」


 どこかで聞いたことのある名前だった。そして、男の顔を見て、「あっ」と驚く。それは俺にとっても見覚えのあるものだ。


「あ、外務大臣の!」


 有名人だった。確かにテレビで見た記憶がある。

 それだけじゃない。何か引っかかりがある。

 えーと、俺が上がってくる直前に、小蝿が大きいのを連れてくるとか言ってたな。


「誰が大蝿じゃい!」


 なんとなく腹が立ったので、突っ込んでおく。

 しかし、笹垣弘毅の視線は紗季に向かっていた。そして、同様に紗季の視線も笹垣弘毅に向かう。


「ふっ、久しぶりだな、紗季。その年齢としで悪魔を従えるまでになるとはな、感心したぞ。だが、嬉しいもんだ、最愛の娘……、お前の勇姿が見れるとはな」


 笹垣弘毅の口ぶりは先ほどまでと比べて、少し優しくなっていた。

 それに対し、紗季は睨みつけるような、泣き出しそうな複雑な表情を浮かべながら、言葉を発する。


「パパ……」


 えっ。どういうことだ。

 笹垣弘毅が紗季の父親ということか。確かに名字は一緒だった。そうなると、金庫のダイヤルが「335939ささがきさき」って意味なのも正しかったのか。


「何が最愛の娘よ、放っておいているくせに……。それにパパの後継者にはお兄さんがいるでしょ」


 紗季が吐き捨てるように言った。

 どういう人間関係なんだ。あの母親とは離婚したってことか? だとしたら、なんで「笹垣」を名乗っているんだろう。


「はっはっ、茂一もいちか。確かに表向きの後継者はあいつだわな。地盤支持者看板肩書はある程度、奴に継がすよ。

 けどな、政治家に必要なものはそんなんじゃねぇ。理想と信念、それに悪魔。この三つがねぇと、本当の意味で政治家とは言えんのさ。

 だからよ、俺が後継者にしたいのはお前だ、紗季」


 そう言って、弘毅はニヤリと笑った。


「けどよ、大物って言ったのはお前らだけのことじゃねぇんだ。なあ、いるんだろ」


 弘毅はそう言うと、胸元から葉巻を取り出し、キャップをカットすると火をつけ、虚空に向けて投げつけた。

 虚空から腕が現れ、葉巻をキャッチすると、やはり虚空から現れた顔が葉巻を口にする。そして、煙を吸い込んだ。

 黒いスーツを身に纏い、銀髪の揺れる、端正なマスクの色男。胸元にはループタイが下がり、深紅の宝珠が輝いている。


 サタンだ。


「ふふふ、私に気づくとは人間にしては勘が鋭い」


 そう言いながら、サタンは煙を吐き出した。

 そして、俺や紗季、樹梨花を眺めつつ、言葉を紡ぎ出す。


「今日はもうパーティーは仕舞いと思っていたかな。これからが宴もたけなわなのだよ」


 ガチャアァン


 次の瞬間、窓が割れる。そして、人影のようなものが入り込んできた。

 それは毛むくじゃらで、二本の腕に、四本の足を持った動物。いや、悪魔。見覚えがある。このビルに来る前に襲い掛かってきた地獄の総裁、フォラスだ。

 さらに、窓を見ると、大きなドラゴンの影が覆っていた。郷間ごうま乂摩かるまさん、いや、アスタロトが現れたのだ。


「ふふっ、ここまで運んでくれるとは、ありがたい」


 サタンはそう言うと、ガラス瓶を取り出してフォラスに向ける。フォラスはたちまち瓶の中に吸い込まれた。

 笹垣弘毅はその一連の動作を鋭い眼光で睨む。それに対し、サタンは涼し気な視線で返していた。

 この二人の間にも静かな攻防が始まっているのか。


「うふっ、旺太郎だけでなく、サタンも来ていたのね」


 ドラゴンがビルの内部に入り込むと、美しい女神の姿に変化していた。白銀の肌を持ち、彫刻のような美貌を持つ女神。その声は加藤みどりや小原乃梨子もかくやと思わせる色気に満ちた声音である。


「アスタロト。ソロモン七二柱序列二九位にして、地獄を支配する大公とされる。邪悪な天使、ドラゴンの姿を取ることがあり、その吐息は悪臭に満ち、召喚者をも死に至らしめる。

 アスタロトは二面性のある悪魔で、醜いドラゴンの姿とかつての女神イシュタルの姿とを使い分けるんだとか。

 旺太郎、お前、えらいのに目をつけられてるのね」


 俺の横で紗季が解説する。なんかヤバそうと思ってたけど、強力な悪魔だったようだ。


「地獄の皇帝ルシファー、地獄の大公アスタロト、それに……。

 まさか、俺のビルで地獄の三大派閥の首魁が集うとはなぁ。さすがに、ここまでの事態になるとは思ってねぇぜ」


 笹垣弘毅が呆けたような、けれど嬉しそうな表情でこの様子を眺めている。


 だが、本当に呆然としているのはこちらだ。

 サタン、アスタロト、笹垣弘毅、それに俺と紗季。あと、場違いではあるが、盗人の樹梨花もいる。

 それぞれ思惑の異なる、思惑の読めない、五者が対立していた。


 なんなんだ、どうしてこうなったんだ。

 あまりにも混沌とした状況に、俺はどうこの場を納めればいいのか、見当もつけられないでいた。

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