メフィストフェレス

 洞窟のある山を降り、電車を乗り継いで、街まで出た。

 辺りはすっかり暗くなっている。だが、目の前には巨大な塔とも思えるビルがそびえていた。

 この辺りでは場違いなほどに高いオフィスビルだ。


「あの塔の暗示はここを指しているっていうのか? でも占い? タロット? そんなの信憑性あるのかな」


 また、紗季は冷たい目で見るんだろうな。そう思いながらも言うと、意外にも紗季は嬉し気に笑った。


「ふふっ、そうかも。

 ただ、当たる時だってあるし、ほかに手がかりもなかったから。

 でも、オラクルで出たカードのことは覚えておいて。役に立つかもしれないから」


 いつになく優し気に感じる。いや、違う。紗季は緊張しているようだった。

 これから起こる何かに怯えているんだ。それなら、俺が守ってやらなきゃいけない。


 そう思いながら走っていると、何人かの人影が見えた。そいつらが俺たちの標的なんだろうか。

 すると、そのうち、一人を残して、全員が先へ行く。一人だけが俺たちの前に立ちはだかった。


「へっへっへ、こいつはお初でやんすね、お二人さん」


 シルクハットを被り、タキシードに身を包んだ紳士然とした男が待ち構えている。しかし、その顔には下卑たニヤニヤ笑いが貼りついており、こちらを上目遣いで窺っていた。


「あっしはメフィストフェレスってケチな悪魔でやんす。覚えておいていただけると嬉しいでげすよ」


 卑屈な笑いを浮かべたまま、シルクハットを脱ぐ。そこには肩まで伸びた茶褐色の髪と真っすぐに伸びた白い角があった。


「あんたが犯罪を行っている悪魔か? だったら、おとなしく俺たちに投降してくれよ。こっちの戦力はわかっているだろ? 悪いようにはしないけど」


 俺たちの戦力がどれほどのものだっていうんだ。それはわかっている。けど、戦力を過剰に伝えるのはこういう交渉においては必要なことだ。

 しかし、メフィストフェレスのニタニタした笑いは止まらない。その様子を見て、紗季が口を出した。


「メフィストフェレス。人間の魂と引き換えにその願いを叶える悪魔。近代以降で語られる悪魔のイメージを固めたのはメフィストなのよ。まったく、何がケチな悪魔なんだか。

 そして、タロットカードで出た通りね。太陽のカードは誘惑の暗示。甘え、依存心、浅はかな考え。それに漬け込むのが、この悪魔よ。

 でも、旺太郎、お前の言う通り。メフィスト、痛い目に遭いたくないなら、人間を開放し、私の元に降ることよ」


 高圧的に言い放つ。


「へっへっへ、だったら、でやんすね。そちらの方の殺意もどうにかしてほしいんでげすがね」


 そう言って方向を示したメフィストフェレスの指が向かう先、電信柱の上にもう一人の悪魔がいた。

 髭で全身を覆われたような異様な見た目。その足に相当する場所には四本のロバの足のようなものがあった。その足は青白い光を放っている。


 なんだ? 俺たちを付けてきたのか? それとも、ここで待ち構えていた? 今までも襲ってきていたサタンの手下だろうか。

 俺は警戒をしながら、二人の悪魔の様子を窺う。すると、紗季がこの悪魔の名を教えてくれる。


「ソロモン七二柱序列三一位、強大なる地獄の総裁、フォラスね。薬学と貴石による奇跡に通じた悪魔よ。それに不可視化の術も使えたはず。なんで、姿を見せたのかが不気味ね」


 紗季がその悪魔の情報を口にする。総裁ってのは以前に戦ったマルファスと一緒だ。地獄には、本当に総裁がいっぱいいるのか。

 彼女の言葉を聞いて、フォラスはニヤリと笑った。


「ふぉっふぉっふぉっ、わしの名を知ってくれているとは光栄なことじゃわい。

 そして、わしの狙いもわかっておるのじゃろうの」


 フォラスはそう言うと、、電信柱の上から跳び上がった。付近の壁に器用に着地しつつ、壁を蹴るように再び跳び上がり、ピョンピョンと紗季に向かって飛んでくる。なんというすばしっこさだ。


「へへっ、こりゃ幸運。互いに潰しあってくれるなら、これ以上のことはありやせんぜ。あっしはズラからせていただきやす」


 メフィストフェレスはどさくさに紛れて、どこぞへと消えていった。仲間と合流するのだろうか。

 だが、俺には選択肢は残されていなかった。俺が選べるのは紗季を守ることだけだ。紗季をかばって、その前に出る。


「ふぉふぉっ」


 フォラスは笑みを浮かべ、その両腕に一本ずつの石槍を出した。

 えっ、いきなり刃物なの!? それも長物。ならば、懐に入るしかない。


「ままよっ」


 とにかく、何も考えずに突進する。ガツンという固い感触。フォラスの肉体は筋肉がムキムキになっており、とても固い。

 うん、とても敵わないよ。


「紗季ぃ~、頼む。いつもの肉体強化やってくれー」


 実に情けない。俺は情けない声を上げた。紗季の冷たい視線を感じる。

 紗季は魔術書グリモワールを開いて、呪文を唱えた。


絶望の名において命じるエロイ・エロイ・リマ・サバクタニ敵対するものサタンの放った魔を撃ち滅ぼしなさい」


 紗季の髪が逆立ち、リボンとスカートがひらひらと揺れる。魔術書が光を放った。

 それと同時に、俺の身体も輝いたのだろう。力と魔力が身体から沸き起こるのを感じる。


 よし、これでフォラスの筋肉にも渡り合える。

 だが、次の瞬間、フォラスは二本の石槍をかち合わせた。カチッと音が鳴り、火花が走る。その火花は閃光となり、俺の目を眩ませた。

 シュシュっと空気を切る音が聞こえる。槍が俺を襲ってきた。俺は身体の魔力を集めてオーラを生み出し、どうにか防御しようとする。槍の一本はオーラに触れて水分を失い、瞬く間に朽ちた。だが、もう一本は俺の肩を貫いていた。


「痛ってぇぇっ!」


 のたうち回りたくなるくらい痛い。だが、交戦状態の興奮のためか、痛みを二の次にできる。視界もどうにか見えるようになってきた。

 フォラスは失った一本の槍の代わりに水晶玉のような石を取り出す。あれはどんな効果があるんだ。


 戦いに集中し、思案を巡らしていると、後方から悲鳴が聞こえた。紗季のものだ。

 メフィストフェレスが戻ってきており、紗季を羽交い絞めにしていた。連れ去る気なのか。


「へっへっへ、あっしの大罪は強欲……でしてね。

 これほどの悪魔使いデビルサマナー魔術書グリモワールは是非とも手に入れておきたいのでがすよ」


 そう言って、メフィストフェレスは下卑た笑いを浮かべる。


「くっ」


 紗季を助けに行かなくては。だが、目の前のフォラスがそれを許してくれるとは思えない。背中を見せた途端にズブリと刺されるのがオチだろう。

 逡巡する。迷いが隙を生み、フォラスとの戦いは押され始める。それは水晶の力により俺の動きが先読みされているためでもあった。


 そんな時だ。付近に異様な臭気が発生した。吐き気を催すその臭いに俺もフォラスも動きが鈍る。

 だが、この臭いを嗅いだことが以前にあった。


大炊おおい旺太郎おうたろうよぉ。苦戦しているようだな。助太刀してやろうか?

 肉巻きおにぎりの礼ってわけじゃないけどよ、今日サボったのは多めに見てやる。俺って優しいだろ?」


 それは郷間ごうま乂摩かるまさんだった。その口の中にで地獄の大公爵アスタロトが異様な臭気を放つ息を吐き続けている。

 なんで、こんなところにいるんだ。それに郷間さんに借りを作るなんて、死ぬほど嫌だ。


 けど、俺は命に代えても紗季を守らなくてはならない。

 そんな焦燥が俺にはある。だから、郷間さんに頼るほかなかった。


「郷間さん、すまん。この場は頼みます」


 俺は紗季を連れ去ったメフィストフェレスを追って、走りだす。

 背後では、アスタロトがドラゴンとしての本性を現し、フォラスとの熾烈な戦いを始めていた。

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