地獄

 その道は無限に続くものとも思えた。逆に、瞬く間に抜けてしまったとも思える。

 矛盾した感覚。長くて短い。近くて遠い。その不条理な感覚に頭がおかしくなりそうだ。


 そんな永劫とも刹那ともいえる道程を越え、炎の燃え盛る地へとやってきた。辺り一面、見渡す限りが炎で覆われている。ここが地獄なのだろうか。


「ほっほっほ、その通りさ。ここが地獄なのだよ」


 燃え上がる身体を持った鳥がそう言った。

 俺の心を読んで答えてくれたのだろうか。まあ、地獄なんだからそれくらいできるのだろう。


「あのさ、ここの代表って誰なの? 会わせてくれないかな」


 せっかくだから話しかけてみた。すると、燃える鳥は、はてと首を傾げ、言葉を発した。


「地獄には三人の支配者がいる。地獄の三大派閥ともいえる三人の支配者がね。

 ただ、残念だ。今はみんな出払っているよ」


 これはタイミングが悪いというべきなのだろうか。代表者はいないらしい。

 すると、別の鳥が飛んできた。そして、元いた燃える鳥に声をかける。


「支配者の一人はちょうど戻ってきたぞ」


 そう言うと、その鳥はホーホーと鳴いた。

 これは僥倖。グッドタイミングというやつだ。


「おーい、そいつと俺たちを会わせてくれよ」


 そう呼びかけた。すると、二匹の鳥は顔を見合わせる。そして複雑な表情を浮かべた。


「すまんが、そいつは無理な相談だ」


 鳥の一匹がそう言う。俺にはどっちの鳥がどっちだったか、わからなくなっていた。

 そんな時、紗季が前に出る。そして、二人の鳥に声をかけた。


「アモン、フェネクス、教えてちょうだい。私たちは地獄の出国記録を知りたいの。そういう記録の管理をしているのは誰?」


 その問いかけにはすぐに返事がくる。


「そいつはサミジナがやってるな。いいよ、あいつへの道なら作ってやれる。通っていきな」


 鳥の一匹がそう言うと、炎の中に渦が現れた。それが道のようになっている。


「気が利くじゃない。それじゃ、行くよ」


 紗季が声をかけてきた。俺はそれに従い、先導するように炎の道を進んでいく。

 しかし、その道は燃え上がっている。熱い。

 さらに、地獄の亡者たちがその炎に燃やされ、苦し気に唸り声をあげていた。暑苦しい。


「熱い……」


 思わず声を上げた。すると、紗季の叱咤が返ってくる。


「当り前じゃない。この炎は死せる罪人たちを責め上げる炎なのよ」


 そう言った紗季の表情が何を言いたいのかわからない。悲しみとも怒りともつかない複雑な表情をしていた。


     ◇   ◇   ◇


 炎の道は奇妙な建物に繋がっていた。石を組み上げたものようだが、不思議なことに扉はなく、それでも簡単に中へと入ることができる。


 ロバの姿をした悪魔がいた。サミジナだろうか。さらに、そのロバにはずんぐりとした体形の黒い蛇がまとわりついていた。


「ああ、俺がサミジナだ。んで、こいつは新参の悪魔でヨナルデパズトーリってやつだな。アメリカ大陸で暮らしてた悪魔だってよ。記録が好きだってことで、一緒に仕事してんだ」


 サミジナがそう言うと、黒い蛇がぺこんとお辞儀をする。どうやら、この蛇がヨナルデパズトーリらしい。


「私たちが知りたいのは最近出国した悪魔で怪しい記録がないかってこと。どうやら、野良になった悪魔がいるみたいなんだけど」


 紗季が尋ねた。すると、サミジナが分厚い手帳を取り出し、それをヨナルデパズトーリがめくる。


「んんん、確かに妙な記録があるな。聞いたことのない名前がある。こんな悪魔は地獄にいない。

 しかし、すごいな。瞬く間に人間の魂をこっちに寄越してきてるぞ。ふんふんふん、こいつは出世しそうだな」


 サミジナがその不審な記録を読みながら、なぜか嬉しそうな声を上げた。


「そいつはどんな悪魔なの? 名前だけでも知れないかしら?」


 紗季が問いかける。

 すると、サミジナとヨナルデパズトーリがにんまりと笑った。


「はは、名前か。直接見てみなよ。見せてやるよ」


 そう言って、紗季に手帳を見せてくる。

 その瞬間、紗季は俺に目配せすると、その手帳を覗き込んだ。


 シュゥゥゥゥウ


 紗季が手帳に吸い込まれる。俺は慌てて紗季の身体を抱きかかえた。

 地獄の炎の中だというのに、冬のまんまの厚着。ふわりと柔らかい

 どうにか助け出せたのを確認すると、放り出すとする。いや、待て。これは……。


「なんだ、冷やっこいぞ」


 紗季の衣服は不思議なことにひんやりとしていた。この灼熱をこんな服装で耐えていると思っていたら、冷房機能を備えていたのか。


「私のセーターはノフ=ケーの体毛を編み込んであるの。だから、冬は暖かく、夏は冷たいのよ。

 ねえ、もう離して。助けてくれたのは褒めてあげる。ありがとう」


 紗季は俺のことを養豚場の豚でも見るような目でそう言う。もう少し紗季を抱えていたかったが拒否されてしまった。

 仕方なく、紗季を地上へと降ろす。


「収穫はあった。地獄から地上に出ている野良悪魔、その正体はわかった。

 さあ、地上に戻りましょう」


 紗季は確信を持った声でそう言う。

 それを見たサルジナとヨナルデパズトーリはがっかりとした様子でつぶやいた。


「あーあ、せっかく良質な魂が手に入ると思ったのにな。

 けどさ、そんな正体を突き詰めてどうするんだい? ここは地獄だよ。

 誰だって地獄には簡単に来ることができる。落ちればいいんだからな。けど、どうやって出るんだい? 地獄から抜け出すなんて、人間にできることじゃないのさ」

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