桐里樹梨花
違う場面が映る。複眼は別の風景を見ていた。
どうやら時間を遡っているように感じられる。
そんな平穏なひと時は電話が鳴った瞬間に終わる。
樹梨花の母が電話に出る。嫌な予感がしていたのだろうか。ビクビクとしながら電話を取った。
その緊張感は樹梨花にも伝わる。母の表情は「はい」と相槌を打つたびに強張り、絶望へと染まっていった。
ガチャ
電話を切った。沈黙が周囲を支配する。
そして、ポツリと母は呟いた。
「お父さん、自殺したって。電車に飛び込んで。ははっ」
母は無表情のまま、なぜか笑う。感情が激しく動いているにもかかわらず、どう外に出していいのか、わからないのだろう。
そんな母の姿を見て、父の死を知って、樹梨花もまた絶望していた。気持ちが暗く沈んでいくのがわかる。
――片親。
そんな文字を乱暴に、同級生のランドセルに書き殴ったことがあった。
高慢で、鼻持ちならない、性格最悪の、嫌な嫌な、大嫌いな同級生。それは感情のままの行為だった。
予感していたのかもしれない。自分もまた父を失うことを。そして、妬んでいた。その子の父が自分の父よりも上等な人間であることを。
「あはは」
樹梨花もまた笑っていた。そして、涙を流していた。
自分もあの子と同じ境遇になったんだ。そのことが悲しく、切なく、少しだけ嬉しかった。それに嫉妬も残っている。紗季の父は生きている。
ここまで見て、違和感がある。
おかしい。俺は
桐里樹梨花なんていう女子小学生ではない。なぜ、彼女の感情を理解しているのだ。
この複眼は人の心まで見透かすというのか。
そんなことをするべきじゃない。人間の心は安易に覗いていいものではない。
それに嫌だった。紗季をいじめていた樹梨花の心情を理解するなんてことは。
◇ ◇ ◇
場面が変わる。
樹梨花が姉に食ってかかっていた。
「お姉ちゃん、東雲さんって人のところに行くんでしょ。私、聞いちゃったのよ、東雲さん、お金いっぱいもらえるお仕事くれるんだって。私も行く!」
それをうざったそうに姉は払った。
「何言ってんの。あんた、まだ小学生じゃない。仕事なんてできるわけないでしょ。
私は高校生なのよ。バイトだってできる。第一、あんたが呼ばれたわけじゃないの」
だが、そんな言葉で樹梨花は止まらない。
「私知ってる。不合法な仕事でしょ。言うよ、言っちゃうよ、お母さんにこのこと!
嫌でしょ? だったら、連れてって。お姉ちゃんの迷惑にならないように、おとなしくしているから」
母に言う。その言葉に姉は弱かった。
払う手が弱くなり、言葉からも力強さがなくなる。
「なんで? お金は私やお母さんがどうにかすること。あんたが気にすることじゃないのよ」
その問いに、樹梨花はキッと目を開いた。
「お父さんの会社が潰れて、いろんな人に迷惑かけて、お父さん死んじゃって、借金だけが残って。鉄道会社にだって、お金払わなきゃいけないんでしょ。
私、嫌なのよ。今いる学校に通えなくなるの。あの子がまだいる学校に……私が通えなくなるなんて……。私、あの子には負けたくない。だから、どうしてもお金が欲しいの!」
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