色欲の大罪
「なんだ、お前は? 櫻子の友達? いや、それにしちゃ年齢が上だな」
男――
櫻子の部屋にいたのは見知らぬ女だ。ベッドの上に座っている。櫻子は見当たらない。
穰に対し、オノスケリスは不安げな表情を向ける。
「あ、あの、櫻子ちゃんの……お父さん、ですか?」
友達の家に遊びに来たおとなしい女の子がいきなり友達の父親に出会ったかのような反応だ。少し涙目になりながら言葉を紡ぎ出している。
その言葉に穰の警戒が少し解ける。オノスケリスはさらに言葉を続けた。
「私、
おどおどとした口調で言葉をつなげていく。
ガールスカウト。そんなものに櫻子が入っているかどうかなど、穰は知らない。興味がなかった。
彼が興味を示したのはオノスケリスそのものだった。
「へぇ、尾野須さんか。櫻子にこんな年上の友達がいるなんて思ってなかったな。でもちょっとびっくりしたよ、こんな美人の友達がいるなんてさ」
そう言う穰の視線はオノスケリスの胸元に向かっている。
モノトーンのワンピースはボタンが外れ、谷間が露わになっていた。谷間からはその大きさを察せさせる。こうなると、男は抗うことはできない。ましてや、悪魔の誘惑なのだ。
スカートにはスリットが入っており、オノスケリスのもじもじとした動きで、そのスリットから太ももがちらと見える。穰は完全にその気になっていた。
「まあ、いいや。ちょっと話でもしないか。櫻子の話でも聞きたいしさ」
そう言ってオノスケリスの隣に座る。拒否されないのを確認すると、手を握り、様子を窺う。すると、オノスケリスは身体をしなだれる。その胸が穰の腕に押し付けられた。
行けると思ったのだろう。オノスケリスの乳房に手を触れた。
オノスケリスはにんまりとした笑みを浮かべる。
違和感があった。乳房に手を触れた感触がなかった。
いや、むしろ手を消失したように思えた。「ひっ」と情けない声を上げつつ、手を引っ込める。手は消えてはいなかった。
それでも違和感は消えない。反対側の手でそれを確認する。乳房に触れた手には感覚がなかった。
「うふっ、洌鎌穰さん、嬉しい。あなたの色欲が私のものになったよぉ」
オノスケリスが声を上げる。それは若々しく、それでいて色気に満ちたものだったが、その声に何らの感情も抱くことができなかった。
ただ恐怖を抱いている。何が起きているのか、理解が追いつかない。
もはや穰にはオノスケリスに対して性的な興味が消え去っていた。だが、嗜虐的な感情だけは残っている。オノスケリスの顔をまじまじと見た。
おどおどとした雰囲気、あどけない顔、どこか怯えた仕草。嗜虐心がそそられる。
それこそが悪魔の誘惑だとは気づかずに。
「まったく、こんな若い子が俺みたいな男に色目使いやがってよ。反省させる必要があるよなあ!」
そう言うと、穰はオノスケリスのワンピースを破る。そして、腹を殴ると、隠し持っていたカッターナイフを取り出して、その乳房を切り裂いた。
ぶしゃあっ
乳房が裂かれた。血液が勢いよく放たれ、穰の頭に、身体に、浴びせかけるように降り注いくる。
「な、なんだあ!?」
カッターナイフは錆びついており、鈍い切れ味であるはずだったのに、血は溢れ出て止まらない。
それどころか、意思でもあるかのように、穰の身体にまとわりついてくる。そして、彼の顔を覆った。息ができなくなる。
ごぼっごぼっごぼっ
呼吸困難に陥った。払うように手を動かすが、血を拭うことはできない。
苦しさに悶えるが何もできない。
そして、オノスケリスの破れた乳房は人間一人よりも巨大になり、裂けた傷が蛭のような口と化すと、牙を剥き出しにして、穰に嚙みついた。穰は飲み込まれる。
ガブガブガブ
噛み砕かれる。その全身に牙が突き立てられ、一噛みごとに骨が砕け、一噛みごとに内臓が破裂する。
それは永遠とも思える時間だった。
穰は解放された。その目の前には衣服の乱れたオノスケリスがいる。
自分自身はなんともない。骨は折れておらず、内臓もある。だが、痛みだけが生々しく残っていた。
「あははっ、おじさん、まだ私を殴りたい? もうそんな気はないよねぇ。
私が全部食べてしまったもの」
にたりとした笑みを浮かべていた。先ほどまでは可愛らしく思い、劣情を抱いていた笑顔。それが恐ろしく感じられる。
もはや、女を殴りたい、女を傷つけたいなんて、欲望は残っていない。
「う、うわあぁっ!」
穰は逃げ出していた。その扉の向こうで様子を窺っていた櫻子の母親も撥ね退け、綾瀬の家から出ていった。
「この男の欲望は、色欲、虚栄心、傲慢、それに怒り。全部飲み込んじゃったぁ。
あはっ、まずは契約完了かなぁ」
オノスケリスの不自然に明るい声が響いた。
そして、クローゼットに隠れていた櫻子がビクビクとした様子で出てくる。その表情には得体のしれないものへの恐怖があったが、どこか安堵したかのような晴れやかなものを感じさせた。
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