地獄の番犬ナベリウス
倉庫の扉をガチャガチャと開ける。どうにか扉が開くと、扉を閉める暇もなく駆けだした。
俺が紗季の腕を引いて走ると、オノスケリスはそれに追従してついてくる。
だが、追手も速い。それは獣のようであった。
「どうする、俺たち二人で迎え撃つか?」
オノスケリスに声をかける。
だが、それに返事をしたのは紗季だった。
「ちょっと! オノスケリスには早く転移してもらわないと困るのよ!」
珍しく、紗季が慌てた声を上げた。
転移? オノスケリスに任せる仕事ってのは別の場所でやるのか?
そう思っていると、紗季の視線がこちらに向いた。
「旺太郎、あなたが止めるの」
うへー。俺だけでやるのか。オノスケリスが超強いことに期待してたんだけど。
だが、そうこう言っているうちに、追手の獣が紗季に飛び掛かった。
こうなると、仕方がない。俺は紗季の前に躍り出て獣を掴みかかる。
それはこの世のものとは思えない動物だった。
犬の顔が三つ生えており、西洋の貴族が着るような豪奢なローブを纏っている。そのローブからは、鳥の翼と鳥の鉤爪が伸びていた。
その頭はそれぞれ、ブルドッグ、ドーベルマン、ポメラニアンと別々の犬種である。ブルドッグの頭だけ、
それを俺は抑える。いや、抑えられない。
「ムリムリムリ。押しつぶされちゃう!」
俺が悲鳴を上げると、紗季は深々とため息をつく。
「まったく情けない」
そう言いつつ、紗季は
「
魔術書が輝き、それに共鳴するように俺の身体からも光が放たれる。それとともに、俺の肉体が物理的にも魔術的にも強化されたのを感じた。
これでどうにか獣を抑えることができる。
「素晴らしい。あれこそが失われた魔術書、ソロモンの鍵・断章……ですな」
ブルドッグの頭が口を開いた。奇妙なことに知性を感じさせる声色である。
それを聞いて、紗季は魔術書をギュッと抱きしめた。悪魔から奪われまいとしているようだ。
「そいつはナベリウス。ソロモン七二柱序列二四位、地獄の魔神一九個師団を率いる、獰猛な地獄の侯爵ナベリウスよ。
地獄の門番ケルベロスと起源を同じくする悪魔よね」
そうか、ケルベロスか。だから頭が三つなんだな。
気づいたら、紗季の傍からはオノスケリスは消えていた。俺がナベリウスを抑えている間に目的地に向かったらしい。
ならば、早々にこのナベリウスを倒すのみだ。
といっても、俺にできることなんてあまりない。
相手を飢餓状態にする催眠術みたいなのと、変なオーラで体内から破壊するよくわからないやつだけだ。
まあ、いい。とりあえず、飢餓にする。冷静さを失えば、勝機が見えるはずだ。
「
体内の魔力を振り絞り、相手に飲み込ませる。俺もようやく原理がわかり始めていた。
ナベリウスの体内に入った魔力がその全身を、殊更に胃袋を支配する。かかった。
これで、ナベリウスは空腹に耐えかね、無軌道に暴れ回るはずだ。
――キャインキャインキャイン!
――グルルルルルゥゥゥウ!
ポメラニアンの頭が吠え、ドーベルマンの唸る。
しかし、ブルドッグの頭は変わったように見えない。
「残念なお知らせですよ。私の大罪もまた暴食なのです。悪魔として堕落して以降、飢餓が収まった試しはありません。つまり、慣れっこ……なのです」
ナベリウスがさらっと語り掛けてくる。
大罪? 悪魔の属性のようなものだろうか。
しかし、飢餓状態にならない(もうなってる)としたら、打つ手はない。もうやられるだけだ。
いや、ある。
オーラを体内に潜り込ませるのだ。幸いにも犬といえば噛みつき。痛そうで嫌だけど、腕にかみつかせてオーラを押し付けよう。
魔力を体外に放出する。それがオーラとなって体が輝きだした。それと同時に奇怪な音が鳴る。
――ヴヴヴヴヴヴヴン
すると、ナベリウスは俺の腕をすり抜け、さらっと離れてしまった。
「なるほど、危険な術のようですが、有効範囲が限られているようですな。
先ほどから見ていましたが、どうやらあなたは本来の力を封じられているのですね。これは好都合。これからは遠距離から攻撃させていただきます」
ナベリウスの三つの頭が口を開く、それらが赤々と輝くと炎が吐き出される。
「熱いっ!」
「きゃっ!」
俺の身体のオーラが炎を散らすが、咄嗟のことで紗季を守ることができなかった。
だが、紗季の首に巻かれたリボンが光を放ち、周囲に光の壁のようなものを作り出していた。紗季自身は少し吹っ飛び、ランドセルを落としてはいたものの、命に別状はなさそうだ。
ホッと安堵するのも束の間、紗季から恨みがましい声が湧き上がってくる。
「もう! 旺太郎、私をちゃんと守って。そういう契約でしょ」
また契約がどうとか言われた。けど、俺にはその契約がよくわからないんだよな。
どうも、契約に従って、身体が勝手に動いているような節はあるけど。
ナベリウスは再び炎を吐き出す準備をしているようだ。体内で燃焼する音が聞こえる。
しかし、困った。正直、為す術がないぞ。
そう思っていると、一つのことに気づいた。ブルドッグの頭は紗季の持つ魔術書、ソロモンの鍵をチラチラと見ている。
紗季は魔術書を奪われまいとしていたが、実際に魔術書がナベリウスの狙いなのではないだろうか。
だったら!
俺は不意をついて、紗季から魔術書をふんだくった。
「ちょっ。何をするのっ!」
紗季の抗議が聞こえる。それに、魔術書を手にしていると、電気でも触っているかと思うようなバチバチした痛みが走っていた。が、そんなことは構っていられない。
炎を吐き出さんとするナベリウスに魔術書を向けた。炎の色は緑。さっきよりも火力が上がっている。
目論見通り、ナベリウスは怯んだ。三つの首が下を向く。炎は俺の足元に放たれた。
瞬時に、紗季の背中と足に手をかけて抱きかかえる。衣服のフカフカとした感触の奥に彼女の柔らかさを感じた。
紗季からは「きゃっ」と驚く声が聞こえたが、俺のやらんとすることを理解したのか、すぐにおとなしくなり、両手で俺の肩を掴んだ。
「熱い!」
熱いが、それとともに、紗季のリボンに封じられた魔力が解放され、光の壁が生まれ炎を遮断された。ナベリウスの炎は壁に遮られるが、熱により上昇気流が起こる。俺と紗季は飛び上がった。
「むんっ!」
俺は魔力を集中した。身体に纏っていたオーラの形状を変える。羽だ。羽根状に形を変えたオーラを背中に生やすと、滑空するようにナベリウスに飛び掛かった。
オーラの形を変えられるなんてつい浮かんだ発想だったが、意外としっくりくる形状になったと思う。
少し軌道を変えて、羽がナベリウスの頭を掠めるようにした。オーラが三つの頭の口の中に入る。
「ぐぬぅ、私としたことが冷静さを失ってしまった。さすがは……………………というべきか」
ナベリウスの断末魔とともに、その身体が急速にしぼみ、乾き、砕け散った。
「まったく、危なげないのね。でも、やったじゃない」
紗季は俺にお姫様抱っこされた状態のまま、呆れたような喜んでいるような複雑な表情を浮かべた。
俺は紗季の柔らかさと温かさを手放すのを寂しく思いながらも、彼女を立たせる。
――パチパチパチ
誰かが拍手していた。この辺りは人気がないとはいえ、誰かに見られてしまったか。
そう思うと、黒いスーツに赤い石のループタイを纏った銀髪の男が現れる。――サタンだ。
「ハッハッハ、素晴らしい判断だったよ。少しは自分のことを思い出せたようだね」
サタンはそう言って笑う。紗季は表情をキッと強張らせ、睨みつけた。
「その勝手な物言い、やめてくれない。私は彼を万全の状態で復活させる必要があるの」
それを聞いてもサタンは笑うのをやめず、「フッフッフッフッフ」と含み笑いをしつつ、俺のほうに向かってくる。
その手には紗季のランドセルを手にしていた。なぜかそれを俺に渡してくる。
「これは君たちのものだろう。さあ、どうぞ」
有無を言わさぬ雰囲気に、俺はそれを受け取る。すると、その瞬間に留め具が外れ、上下さかさまになっていたランドセルはベロンと捲れた。
ランドセルの中身がドサドサと落ち、紗季の個人情報が目に入る。「螺片小学校」。「笹垣紗季」。「血液型A型」。生年月日は今から十年前。
しかし、そんなことが問題なのではなかった。そのランドセルには、外から見えない場所にビッチリと傷がつけられていたのだ。そして、罵詈雑言が至るところに殴り書かれていた。
「バカアホクズ片親ブス性格最悪ウザい変人サボりゴミ学校来んな愛人の子エロキチガイ陰険ダサいぶりっ子クソブタ嫌いボッチ不倫キモいめんどくさい死ね……」
なんだ、これは……。クラスメイトにやられたのか……?
ランドセルの傷は、この悪口は、紗季が隠している痛みなのだろうか。
彼女になんて声を掛けたらいいのだろう。俺は途方に暮れ、眩暈を覚えていた。
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