大総裁マルファス

「あのカラスみたいなの何? 本当に悪魔なの?」


 あの悪魔を滅ぼさなくてはならない。そう気持ちが昂っている。

 しかし、俺の中の理性がどうにか踏み止まった。俺には何もできることがない。やみくもに戦いを挑むなんてできなかった。


 観察してわかるのはその容姿だけだ。

 カラスの頭に翼。それに加えて、人間のような手足が生えており、ズボンを履いている。


「見ればわかるでしょ。あれはマルファス。ソロモン七二柱序列三九位、地獄の総裁マルファスよ」


 はあ。よくわからないが、カラス人間の名前はわかった。


「地獄の総裁ってことは地獄を支配してるってこと? そんな奴に俺が勝てるの?」


 当たり前の疑問だ。そんな大物に勝てるわけがない。

 しかし、それに対して紗季は呆れたような口調で答えてくれた。


「地獄には総裁なんて肩書のやつ、山ほどいる。そんなとこ気にしないで」


 なんだそりゃ。総裁がたくさんいるのか? なんだそれ、地獄って場所は地獄みたいなとこだな。

 それで、俺は何をすればいいんだ?

 少し落ち着いて、マルファスの様子を眺める。


「でも、何もやってこなくないか? なんで?」


 それは疑問だった。

 マルファスは俺たちの会話をただ眺めているだけだった。おとなしく。

 それに対し、紗季が苛立ったように返事をする。


「知らない。聞いてみたら?

 なんか、ずっといて気持ち悪いから駆除したかったの」


 悪魔を害虫扱いし、悪魔を害虫駆除扱いで召喚したのだろうか。

 仕方ない。尋ねてみるか。


「なあ、マルファス、言葉わかる? あんたがここにいる理由を知りたいんだけど」


 こんな質問に意味があるのだろうか。カラス人間が答えてなんてくれるはずがない。虚しさを感じていた。

 だが、意外なことに返事がある。


「吾輩は契約によってお嬢ちゃんを監視しているのだよ。

 それ以外のことは吾輩の預かることじゃあない。お前さんもここを去るがよい。そうすれば危害など加えんさ」


 やけにハキハキした声だ。意外と理知的な印象を受ける。

 俺はそれに返事をした。


「しかし、俺には俺の契約がある」


 ん? 契約? 自分の口から出た言葉に疑問が湧いた。

 だが、紗季との間に契約があり、それを守らなくてはならない。なぜか、そんな焦燥があった。


 とはいえ、俺に何ができる? もう一度、自問自答する。


 俺にできることとは郷間さんに飢餓をもたらして食欲を暴走させた、あの力以外には思い当たらない。あれをもう一度できるだろうか。

 やるしかない。


渇望を与えるフィエモス


 力が迸るのを感じる。それはカラス人間ことマルファスに向かっていった。

 かかった! それを実感する。


 だが、次の瞬間、マルファスは俺に怖ろしい視線を向けてきた。

 それは今までに感じたことのない感覚。殺意ではない。食欲だった。

 マルファスの食欲が暴走を始めたのだ。


「ほっほほ、吾輩はの、さっきからずっとお前さんを美味そうだと思っていたのよ」


 そう言うと、引きこもっていた要塞から飛び出し、翼を広げて飛び立つ。

 そして、俺めがけて真っ直ぐに飛び掛かってくる。


ついばませてもらおうぞ」


 マルファスのくちばしが俺に迫った。

 い、いやだ。俺はどうにかその嘴から避ける。


――ヴヴヴヴヴン


 自分の中の何かが鳴る。それはオーラのようでもあり、自分の身体を逸らす代わりに、マルファスの嘴の中に入った。


「美味い美味いっ! もっと喰わせるのだ」


 マルファスはオーラを俺の肉体と勘違いしたようだ。舌鼓を打ちつつ、更なる食欲に掻き立てられる。

 怖ろしい。悍ましい。俺は恐怖を感じていた。


――ヴヴヴヴヴン


 だが、異変が起きる。

 マルファスの身体が急速にしぼみ始めた。水分を失うように身体の瑞々しさを失い、干からびていく。


「かわ……く。渇く……」


 それがマルファスの断末魔の声であった。干からび、枯れ果てたマルファスはガラスのように砕け、砂のように散る。

 それと同時にマルファスの引きこもっていた要塞も霧散していた。


「あははっ、よくやった! やるじゃない」


 紗季の笑い声が聞こえる。振り返ると、満足げな笑みを浮かべてはいるが、相変わらず見下すような視線を送っていた。


「褒めてくれて、嬉しいよ」


 俺はそう言って、「ハハハ」と笑う。そうやって虚勢を張るのが精一杯だった。本気でビビり散らかしていたんだ。

 そんな時、背後からパンパンパンと拍手が聞こえる。


「やりますねぇ。さすが、というべきでしょうか」


 称賛を意味する言葉だったが、その響きからは背筋の冷える恐怖を感じた。俺の第六感めいたものが全身で危険を示す。

 それは紗季も同じだったようだ。張り詰めた表情をし、心底嫌なものを見るように声の主を見ている。そして、声を発した。


「あなたは敵対するものサタン……」

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