第29話 晴れているのに①
平岡が帰ったあとしばらく翔真は自室で過ごしていて、次に暁と会ったのはトイレに行くタイミングだった。
扉を開けた、ちょうどのときに暁が部屋の前を通りかかったのだ。
「──っ、びっくりした……」
驚いた暁の様子だが、翔真は何かしらの偽装を疑った。
ひとつ屋根の下にいるとはいえ、膨大な時間があるのに? どんぴしゃで顔を合わせる? そんな事ある?
翔真の部屋を訪ねようと少し前から廊下をうろうろとしていた、とか。
翔真が出てきそうな物音を聞きつけ、偶然の遭遇を装って話しかけようとした、とか。
怪しさを疑いだしたらどんどん怪しく思えてくる。
だけど違うんだろう。自律神経の反応で暁は体をびくっと震わせていた。
そして気まずいんだろう。こういうとき、暁なら笑って翔真の肩くらい叩いてきそうなものだが岩のように黙っている。
「……怒ってる?」
ばつが悪くて、トイレに逃げ込もうとしたところ、止められた。
「怒ってないよ」
暁がいる後ろに振り返る、その間際で表情を作って──穏やかに。
服の下で腹筋に力を入れ、鼻からひっそりと息を吐いて──誰も悪くないんだよな、と。
その二点を意識して翔真は言った。
「ただ、連絡が」
「……そうだよね」
「次からは」
「うん、わかった」
最小の言葉数で言いたいことの最大部分が伝わる。
暁との掛け合いの心地よさは抜け殻の布団に似ている。培われたフィット感と温み。
そんな本来に戻るには、自分が気持ちを切り替えるしかない。
とっくのとうに平岡は不在。
だというのに翔真がいつまでもカリカリしていたら、あいつが地縛霊みたいに家に居座っているのも同然だ。そんなの迷惑だ。
平岡の退出後に閉じこもった部屋で翔真は
自己と対面していて、一人冷静になれたことで乱れた気持ちをようやくリセットできたのだった。
ここは自分が一枚上手になって全てを許し、寛大な心で今日のいざこざを均す。
そして平穏を取り戻すんだと翔真は不満を飲み込んで、その日やその翌日やと日々は過ぎたのだけれど──
*
「今日って大学ー?」
洗面室にいる翔真へ、暁の声が伸びてくる。
「いいやー。キュウコウになった」
「キュウコウー?」
「そー……」
離れた場所にいる暁に向けてなのに呟くような小声。
真剣じゃない返事は、翔真が他のことへ真剣になっているから。
カゴに溜まった服を縦型洗濯機に投入しつつ、ポケットに紙くずが混じっていないかを同時に検分する。
日光がある昼のうちにと、これから洗濯を回そうとしていた。
「大学って休みになることあるのー?」
「え?」
どういうこと? と一瞬作業を中断したが、
「あっ休講って、講義の講!」
日本語のあや。背中を反らして廊下方面に声を張る。
「授業が休みってこと?」
洗濯メニューをピッピッと選んでいるところに暁がふらりとやってきた。声が近くからする。
「教授の都合でらしい。さっきメールが来て」
「へぇー、ラッキーだ」
「おかげで今日は休みなった」
「学校行く前に知れてよかったね」
「それな」
例えばもし、休講のメールに気づいたのが電車に乗ったあとだったら己の間の悪さを呪っただろう。
土壇場で講義を中止にした教授にはなんの都合だよと八つ当たりしただろうし、なんでよりによって今日なんだ、せめて他の授業もあれよ、と自分で組んだ時間割を恨みだすかもしれない。
今日は一コマだけ出席すればいい、唯一の楽勝な曜日なのだった。
「洗ってほしい服あるんだけど、洗濯機もういっぱい?」
「いいや? まだいけるけど。どれくらいだろ」
「Tシャツ三、上着一」
「表示は? 何洗い?」
「普通、普通のやつ」
「だったらいける」
数回転くらいならセーフだろうと運転を停止させた。
洗濯機の蓋を開けると、やってきた暁が「ありがとう」と服を投入しようとする。
「待て」
「え」
思わず腕を掴んだ。
これから洗おうとしているのも、着用しているのも、翔真が見たことない暁の服だった。
「あ、色が駄目?」
洗濯機に着水しかけるTシャツは黒。
「色分けのこだわりある人?」
「……特には」
翔真は手を離す。
「そう? じゃあ遠慮なく──」
「それってこの前貰った服?」
横書きの英字がでかでかとプリントアウトされたパーカーの後ろ身頃にたずねた。
「わかる? 平岡くんっぽい?」
「それは知らないけど、暁の趣味ではないから」
「おー、さすが」
じゃーんという感じで服の裾を摘み、暁は平岡ルックの全貌をお披露目してきた。
「今日のシーン平岡くんと一緒だからさ、着てみた」
「わざわざ?」
「わざわざ……っていうか、ちゃんと着てるよってお礼も込めて」
困惑したように暁は訂正した。
わざわざ──は、すっと翔真に浮かんだ言葉だったが、それこそわざわざ口にしたかもしれない。
義理堅く着るんだ、そうチクリと刺す意味で。
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