第27話 鉢合わせ①

 その日、暁はWeb系のインタビューがあると言って出かけていった。

 ドラマ『夜明けを君と過ごせたら』は視聴者からも原作ファンからも評判がよく、その取材というのは初回放送後の反響を受けて新たに入ってきた仕事なのだという。


 インタビューとグラビア撮影のあとは、のちに発売されるドラマのグッズ撮影があるとも言っていた。

 アクリルスタンドやフォトカードなどに使用される素材を劇中衣装で撮るらしい。


 その二つが予定されている仕事で、ドラマは撮休だから今日は早く帰れそうだと。


 そう言って暁は家を出た。仕事のスケジュールだけを翔真に伝えて。

 だから、暁にはきちんと説明してほしい。


「あ、お邪魔してまーす」


 なぜ、平岡が家にいるんだろう。


 大学への登校前まではなかったスニーカーが増えていると気づいた玄関から違和感は始まり、歓談の声が漏れ伝わる廊下を抜けた先のリビング。

 ダイニングテーブルに腰かけてくつろぐ平岡の姿を認めたとき、それは最高潮にまで膨れ上がった。


 無意識に自分の顔は歪んでいたと思う。

 淹れた紅茶が芳しいキッチンで暁があわあわとする。


「ごめん翔真。これには訳があって──」

「あぁっ!」


 ケトルを置いた暁が駆けてくるより先に、平岡が大きい声を出した。


「あのときの……!」


 まだこちらは何も言っていないのに、翔真の顔を指さしながら近づいてくる。


 あのときの、は翔真にだって当てはまるセリフだ。

 初対面──以前、電車内で遭遇したときとまんま同じな平岡の無礼さ。

 ギリリと奥歯を噛みしめた。


「俺のファンの人だ」

「違うけど」

「ははっ、冗談ですよ」


 ──こいつ!


「そういえば前も同じようなやりとりしましたよね。覚えてます?」

「……」

「あれっ。覚え、てない……かな?」


 平岡の顔が不安げに曇る。

 が、来客だからって気遣ってはやらない。


「まぁいっか」と自分のペースでメンタルを切り替えて翔真のことは放置し、早速興味は移って「ねぇねぇ」と暁に話しかけるような奴だから。

 平岡という人間は。


「宇部くんが一緒に住んでる人って幼馴染だったんだね!」

「そうだよ」


 タイミングを見計らって暁が居間へ出てきた。


「俺が知ってる宇部くんの幼馴染と同一人物なんだったら、ばったり駅で会った話したときに教えてくれたらよかったのに。びびるじゃん」

「だってそのときは平岡くんがうちに来るなんて思わないから」

「それはそっか」


 やすやす納得したあと翔真に向き直ると、平岡は二本の不規則な歯の先が少し露出する笑顔を作った。


「お邪魔してます。平岡です」

「……ども」

「暁くんからよく話は聞いてるんです。ドラマも初回から観てくれてるって」

「……まぁ、はい」

「ありがとうございます」


 ──お前のこと観てんじゃないけどな


 罵りは平岡に対してであったが、翔真はちらっと暁を見た。

 視線を配られて暁が小首をかしげる。


 ──暁、お前にも言ってるんだぞ


 二話を視聴しているときに何やら変なことを言っていたけれど、いくら平岡が将来有望な役者だもしても翔真は微塵も興味がない。


 暁がどういう目線でドラマを観ているのかは知らないが、真横にいる翔真が楽しみにしているのはソラだけ。演技をする暁の姿だけ。


 そうじゃなきゃ、平日ド深夜のドラマをリアルタイム視聴するはずがない。

 翌日も大学の講義が控えているのに。

 内容が内容なのに──


「そうだ、お土産」


 ぴかーんと点灯する豆電球を連想させる声。平岡が指パッチンをした。


「どうぞ」


 何やら箱を翔真に持ってくる。ツメの部分が外されてあらわになる中身は──


「……シュークリーム?」


 切れ込みが入ってカスタネット状にがばっと開かれたシュー生地。

 そこにはたっぷりの生クリームが渦を巻いて絞られていて、まるでシューが生クリームにかじりついているみたい。


 ざくざくしたシュー皮にかかる粉砂糖を初雪の心地で眺めていたら、


「美味しいんですよ、ここのシュークリーム」

「へぇ」

「甘党ですか?」

「……さぁ」


 なんだか平岡に甘党を名乗るのは嫌だった。

 子供じみた舌を持っているんだと思われそうで、好物を知られることは弱みを見せるのに等しい気がして。

 そんなのは翔真の変な意識の問題なのだろうけれど。


「好きでも嫌いでもないですよ」

「……え」


 ほとんど息みたいな、かすれた声がした。

 暁の声だった。


 急にどうしたんだろうと思って暁を見れば、衰弱した蝶が羽を弛緩させるような弱々しい瞬きをしていて、翔真はぐらっと動揺する。


「……甘い食べ物、好きじゃなかったの」

「へ?」


 うろうろと彷徨う黒目が、ショックを帯びたようになって地面にぽとりと落ちる。


「もう。同居人が甘い物好きって、宇部くんが言うからわざわざ並んだのにいー」

「……ごめん」

「あっ、や、そのこれは」


 ──違う、違うよ、暁

 ──すっとぼけてるだけなんだって!


「そんな落ち込まないで宇部くん」


 悲しみの表情変化に気づいた平岡は、シュークリームの箱を机に置いて暁に振り返った。


「宇部くんはスイーツ好きでしょ?」

「……うん」

「糖分摂って元気出そ。ていうか、さっき食べたシュークリームのお弁当ついてるよ」

「おべんとう?」


 口の周りに食べかすがついているという意味だ。

 しかしいまいち本人に伝わっていない。


 ぴんときていない様子の暁に平岡は笑った。


「かーわい、取ったげるね」


 唇の端に向かって手を伸ばそうとする。


 瞬間、頭の中で静電気のようなものが弾けて翔真は動き出していた。

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