【Ep4】
第25話 誰がため
歯磨きをしていたら、後ろから「おはよう」と声がかかる。
だる着のTシャツにスウェットのズボン姿で、暁が洗面所を訪ねてきた。
翔真同様、起床してすぐ歯を磨きに来たんだろう。
スタンドから歯ブラシを抜くとかの行動こそ、まどろみを振りほどけずにゆっくりだが、鏡越しに見る暁の外見には起きがけのだらしなさが全然ない。
歯ブラシを握らない手持ち無沙汰の左手で寝癖を撫でつけてしまえばいつも通り。
爽やかな宇部暁のできあがり。
対抗意識じゃないけど、翔真も手ぐしで髪を整えた。
目ヤニとか、よくわからない涙みたいなものでしょぼつくまぶたをティッシュで拭って身なりを正す。
すると歯磨きを始めた暁が何かを伝えたそうに、鏡の屈折を利用してこちらを見てくる。
しかし歯磨剤が泡ぶくになってうまく喋れずに、
「え、え、あ?」
「……テ、レ、カ?」
「ううん」
何を言っているかわからないと翔真が眉を寄せたら、ふふふっと暁はおかしそうに笑った。
「寝れた?」
洗面器と並行になるくらいに屈んで口内のものを吐き出すと、今度こそクリアな発声でたずねてくる。
「昨日。寝れた?」
「え……」
どうしてそんなことを聞いてくるのか。
まさかバレているんじゃないか。
うがいをする暁に、夕立ちみたいな懸念が湧いた。
ドラマが終わったあと自室へ戻った翔真だが、布団の中でなかなか寝付けなかったこと。
暗い部屋の中、常夜灯のオレンジを見つめてぐるぐると考え事ばかりしていたこと。
暁が匂いを気にする『明日』というのは、日付計算を間違えているのでつまり『今日』で、暁はこれから撮影に向かって、それで──
「あんまり寝れなかった?」
「昨日は、えっと……」
「翔真って睡眠時間ちゃんと確保するタイプだもんね」
「……え」
「いつも七時間くらい寝てるでしょ?」
こちらに聞きながら、うがいのときに濡れた顎をタオルで拭う。
名状しがたい心情には気づかれていない。
こっそりほっとした翔真の内心ごと気づいていない暁は、 海を閉じ込めたみたいな透明色のボトルに手を伸ばした。
くるくると開けた蓋を小さなコップとして構え、そこに暁は透明の液体を流していく。
衛生面を考慮してキャップは唇へ直接つけないようにして、注いだ液をくいっと口の中へ入れる。
一連の動作に、翔真はその背景を勘ぐってしまう。
迷いのない手際には前日から始まる口腔ケアがルーティーン化されているようにも思え、ひょっとしてこういう出かけは初めてじゃないのか? とも。
「シャワー浴びたら家出るね」
短い滞在時間で洗面所を譲ると、暁は脱衣所へ向かった。
「わかんないけど、こっちとそっちで同時に水使ったら温度不安定になるかもしれないから気をつけて」
一応の忠告を残すと、姿は引き戸の向こうに隠れる。
服を脱ぐ気配がして、浴室ドアの開閉音がして、少しの間のあと籠もったシャワーの水音がしてくる。
暁は仕事のために身を清めている。
今日、暁は平岡とキスをする。
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