第24話 ただいまOA中
ピンクと緑の絵の具を混ぜたら、パレットの上は青みがかったグレー。
ピンクが暁なら、緑は平岡。
合わさってどろどろしたグレーは翔真だ。
*
暁たちの配信が終了して、翔真はすぐさま皿洗いに取り掛かった。
大皿、茶碗、汁椀、箸、コップ。
十分足らずで洗い終えた。最後はふきんまで洗って干した。
それからその足で洗面所に向かった。歯磨きをした。
なぜだか冴えていた頭だったので、替えどきだった洗顔用タオルを洗濯機へぽいっと入れる。
新しいのを棚から取り出してタオル掛けにかける。いつもはそんな部分にこだわらないが、生地の長さがぴっちり揃うよう調節もして。
忙しなく動いていたら、ついにすることがなくなった。
することがなくなってしまった、と思った。
一日のタスクが終わったというのになぜだか気持ちはすっきりせず、ソファに座ってぼうっとしていると、先ほどの生放送が思い出される。
つまらなかった。
自分たちの交友関係をそれぞれ二つの円で表したとする。
数学的に重ねあわせたとき、それは重なりの葉っぱが大きいベン図となる。
暁がマネージャーブログやSNSで語る友人というのは、だいたいが翔真の友人でもある。
幼稚園、小中高と、暁とはずっと同じ学校に通ったから。いつも一緒にいたから。
だから、もしかするとさっきの配信が初めてだったかもしれない。
同世代の人間と肩肘張らず過ごす暁を、完全なる部外者の立場で見たのは。
──なんで?
憮然とした疑問が沸き起こる。
スマホ音痴をネタにされても気分を害した様子はなく、というより、まんざらでもなさそうだった。
あちこちに焦点が散らばって一貫性に欠ける平岡のエピソードトークなのに、暁はにこにこと笑顔で耳を傾けていた。
台本読みのとき以外に仕事の話をせず、役者仲間との交流もあまり公にしない暁ではあるけれど、それにしてもそんな気配は微塵も感じさせなかったじゃないか。
あんなにも平岡との距離が縮まっていたなんて──
ソファの座面を背にして寝台に。
腕を後頸部に回して枕に。
ごろんと仰向けで寝っころがってみた。
姿勢はメンタルに影響を与えるという。
そういう研究結果が出たと、以前にどこかで聞いたことがある。
立っても座っても鬱々とするなら、いっそ寝てしまえ。
そうしたら、ろくでもない気分も少しはマシになるかと思ったのだった。
もぞもぞと寝相を整えていたら、さっそく効果が出てきた気がしてくる。
──別に、いいんじゃん?
暁と平岡が仕事で知り合い、仲良くなったって。というか共演者と不仲なほうが問題ありだろう。W主演なんだし。
翔真が苦手とする平岡みたいな人種とも、暁は仲良くできる。
意外な暁の性質に触れたばかりで、翔真にはまだそのギャップが浸透していない。だから抵抗がある。
それだけのことだと、モヤモヤはなんとか治まった。
一時五十分、五十五分の時刻でアラームをかける。
余計なアプリやサイトに興味が誘われてしまわないよう、スマホは液晶画面を下にして置いた。
*
アイフォンのデフォルトアラーム。
タタタ、タタタ。タタタ、タタタ。
つぶつぶした音が意識の膜を叩いてくる。
あと十分でドラマの放送が始まる。起きないといけない。
思っていても気だるくて動けないでいたのだが、連続的だった音は予兆なく止んだ。
「……あ、起きてた」
暁がいた。
鼻の穴を見られるアングルが嫌で、翔真はガバっとと体を起こす。
「おかえり」
ひとまず声をかけると微笑まれた。
「……何」
「待っててくれるの、待ってたよ」
翔真は柔らかな笑みを見つめた。
まだ寝ぼける頭には難解な言葉だった。
暁は続ける。
「明日も大学だから早く休んでとか言ったけど、ほんとは期待してたんだ」
「期待?」
「翔真なら、ドラマの時間まで起きててくれるんじゃないかなーって」
「え……」
「だから急いで帰ってきちゃったよ」
どうして暁はそういうことをさらりと言えてしまう──
いとも簡単にほだされかけたが、上着を脱ぎだす暁に心はすうっと冷めた。
停滞していた部屋の気流が動いて、仕事の香りがしたから。
「……そういうつもりで起きてたわけじゃ」
「そっかー、じゃあ残念だなー」
棒読みの大根役者となって暁は腰掛けた。
持ち前の演技力はどこにいった。
そんなことを思っていると、五分遅れで二回目のアラームが鳴る。
ドラマを絶対にリアルタイム視聴したいという意思が響き渡って恥ずかしくなった翔真に代わり、アラームの解除は暁が行った。
*
二時ぴったりからのドラマは、暁のワンショットから始まった。
雨ざらしで街を歩くガイを遠くからソラが見つめていて、そこに独白でソラの心情が添えられる。
モノローグの台詞を担当するのが実は俳優人生で初めてで、録音するときガンマイクを顔すれすれまで近づけられたから笑っちゃった、らしい。
放送開始から十五分ほどが経過すると、スポンサー企業のCMが一旦挟まる。
すると暁はおもむろにスマホを触りだした。
『ドラマ夜明けを君と過ごせたら』と略称の『よあきみ』がトレンドに入っているという。
端末を傾けてもらうと、宇部暁の名前もトレンドワードになっていた。
自分たちと同様、幕間のCMが開けるのを待つ人はどれくらいいるんだろう。
暁の演技を観ている人はどのくらいいるんだろう。
そんな限りない数を想像しているとドラマは再開され、ガイとソラは河川敷へ犬の散歩に出かける。
「翔真」
「ん?」
「大丈夫?」
「何が」
「ワンちゃん。大きいけど、翔真怖くない?」
ペットカフェに行った先日のことを言いたいんだとわかって、体温が上がった。
やがてカメラワークはガイとソラの手元に寄り、ぎこちなく絡む様子を情緒的に演出する。
「ほら、ここ翔真が練習付き合ってくれたところ。デートシーン。手繋いでるよ」
「……おい、それは言い方に語弊が──」
「手」
「だから──」
「繋いでる、ガイとソラが」
「……」
ペットカフェの帰り、その道すがらに寄ったコーヒースタンドで暁にあっけなく手を繋がれたことや、その挙動にうっかり揺らいだ記憶がリマインドされ、体の末端に血が逆流する。
もれなく顔周りも熱くなった。
*
深夜二時三十分、少し前。
エンディング主題歌が流れ、ドラマの初回放送は無事終了した。
ううー、と伸びをして、固まった背筋を伸ばす暁には解放という言葉が浮かび、
「緊張してたんだろ?」
オンエア中から薄々思っていたことをたずねてみる。
「え?」と振り向いた姿勢で暁は停止した。
子どものいたずらで変形させられた衣服売り場のマネキンみたいな姿がウケる。
初主演作の放送でナーバスになる自分に気づき、どうにかいつも通りに振る舞いたい。
ドラマが放映されている間、暁がやたらと饒舌だったのはその表れ。
絶句する様子は、その推理が正しい証拠。
かっこつけようとしても、旧知の仲である俺には通用しないんだぞ──とは、暁のプライドのために言わないにしてもなんだか優位になれた気がして、翔真の自尊心はむくむくと回復していく。
こんな夜中に帰宅した暁だから、食事をこしらえてやろう。
そんな奉仕の精神まで芽生えてくるのだった。
よいしょ、と立ち上がる。
「腹減ったろ?」
「それは……うん」
「作ってやるよ」
「本当?」
「まぁ、野菜炒めしかできないんだけどな」
「あれっ、スーパーで食料あんまり買わなかった?」
「いや、俺の技術不足でって意味」
冷蔵庫を探索しながら苦笑いする。
「夜中だし、わざわざ作ってくれなくて大丈夫だよ。冷凍食品とかは?」
「いろいろ買った」
下段をがらがらがらと開ける。
「えっとー、ペペロンチーノのパスタ」
「他には?」
「冷凍餃子」
取り出して裏の表示を見てみる。
「あっ、これいいじゃん。油も水も不要だって。できあがったらフライパンのまま食っちゃえよ」
「他はない?」
食事制限で炭水化物を避けているのか?
そう思ってたずねたが、微妙な反応をされた。
「香辛料入ってない食べ物がいい」
「香辛料……って唐辛子とか?」
「もそうだし、にんにくとかさ」
加工食品には難しいオーダーだが、もしかして──
「胃腸悪い?」
「いいや? 逆かな」
「逆?」
「逆っていうか予防」
「予防って?」
「胃悪くなったら駄目なの、明日キスだから」
「……は?」
人が
聞きとれなくて、はっきりとした音が欲しい場合。
聞きとれているが、シンキングタイムが欲しくてわざと相手に言葉を繰り返させる場合。
後者である翔真へ暁は、ゆっくりと明瞭に、さらなる情報を付け足して言うのだった。
「明日の撮影、キスシーンなんだよ」
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