第23話 放送直前

 出がけに暁が開催を予告した配信は、晩ご飯の支度の最中に始まった。

 だからすぐには観に行けずに、水しぶきをシンク回りに飛ばしながらもどかしく手を洗った翔真だけれども、


「こんばんはー。宇部暁です」


 合流したのは、画面の向こうへの挨拶を繰り返している瞬間だった。

 事前告知なしだからだろう。

 なかなか視聴者が配信ルームに来ないらしく、 翔真はほっとして野菜のカットを再開する。


 しばらくすると配信に気づいたアカウントが集いだして、『夜明けを君と過ごせたら』に関するコメントが流れてくる。


「えっと……あっ、『今日からドラマだね!』だって。ありがとうございます! そうなんです、本日の深夜二時から放送が始まります!」


 ぱちぱちぱちと暁は拍手をした。


「初回放送記念で皆さんにはサプライズで配信をしようかなと思いまして。急でびっくりさせちゃいましたよね。すみません。お仕事とか学校で観られないよって方もいらっしゃるかと思うんですが、アーカイブは残しますので。そちらのほうで観ていただけると……あれっ」


 話の途中で音声が消えた。冷蔵庫を開けっぱなしで翔真は振り返る。


「コメントが見れない。どうしよう、なんか変なところ触っちゃったかもしれない。えっ、こういうときどうしたらいいですか? コメント見れないから聞いても意味ないか」


 あははと笑っているが暁は焦っている。

 こちらからはどうすることもできない状況をハラハラしながら見守っていたら、手先の神経が鈍くなっていた。


「やばっ!」


 慌ててプラスチックのボトルを垂直にする。キャップを閉じる。

 入れすぎたキャノーラ油がフライパンの中で楕円状に広がっていく。その一方で、


「もうー! 宇部くん何やってんの!」


 スマホには平岡がふらりと現れた。

「ちょっと貸してみー」と腕まくりしながら、暁と交代で画面中央へやってくる。


 配信者側のスマホには操作コマンドが表示されているんだろう。

 トントントントンとタップするその振動で、映像が微妙にブレている。


 荒っぽいなと平岡の動きにイライラしていたら、コンロからしゅーっと鳴き声が。

 ぎょっとして菜箸を掴む。

 キャベツや人参、もやしが入ったフライパンを火にかけたまま、ほったらかしにしていた。


 それから以降は平岡も本格的に配信へ参加してコメント返しの続きをしていくのだが、視聴者からは間違えてコメント欄を封鎖した暁へのいじりが絶えない。


「『宇部くん急にテンパりだして可愛かった』だって」

「やめてよー、蒸し返さないで」

「画面の外で最初から見てたんだけどめっちゃおもろかった」

「ごめんなさい。僕は機械関係に強くなくて」

「宇部くんってね、スマホのキーボードこうやって打つんです」


 と、平岡はガラケー式の入力方法を実演してみせる。


 ──言ってやんなよ


 またも苛立っていると、


「あっつ!」


 びっくりして手を引っ込めた。

 いきなり点状の刺激が飛んできた。コンロの上にやかんを戻す。

 注ぎすぎた湯が汁椀の水面でゆらゆら揺らいでいる。


 主催者である二人がラフな私服姿だからか、ライブ放送は友達とのビデオ通話と錯覚するくらいに和やかな雰囲気で進んでいく。


 最近の平岡はけん玉がマイブームという話にオチがついたところで、「さあさあ」と暁が舵を取った。


「二日前、公式アカウントのほうで皆さんに質問の募集を行いましたよね?」

「たくっさんの回答ありがとうございました!」

「本当にありがとうございます。ここからは! ドラマ『夜明けを君と過ごせたら』の主演を務めさせていただく僕たちが、事前に選んだ皆さんの質問に回答していきます」


「よっ」と、平岡はできもしない指笛を鳴らそうとする。

 面のいいアホは翔真が食事を配膳し終えてもなお口に指を突っ込んでいて、馬鹿じゃねぇのと鼻で笑い飛ばした。


 そんな挑戦には気づいていないのか、あえて無視しているのか、暁はスタッフからの紙を受け取る。


「えっと、まず一つ目。『暁くんと平岡くんは同じ事務所に所属していますが、ドラマ前から交流はありましたか?』という質問です」

「交流っていう交流は、実はないんですよー」


 平岡が答えた。やっぱりな、と思いながら野菜炒めを摘む。


「でも僕、平岡君が事務所に所属する前から平岡くんのこと知ってましたよ」

「えっ、マジで?」


 平岡と同じ驚きで、箸先から米の塊がぼとりと落ちた。


「平岡くんってSNS経由でスカウトされたでしょ?」

「そうそう。DMにメッセージが来て」

「僕、平岡くんのインヌタよく見てたんですよ。一般人にこんなかっこいい子いるんだって思ってたんですけど、いつの間にか芸能人になってて」

「ははは、ありがとう。フォローはしてくれてた?」

「……」


 しててよ! と平岡が笑う。


「まぁ今はね、しっかり相互フォローですから。平岡くんはどうでしたか、僕のこと」

「そうねぇ……初対面の感じがしない初対面の人ってわかります?」


 皆さん、と呼び掛けて、平岡は肘を支点に前傾姿勢となる。


「俺、小さいときからダンス習ってて、そのスクールが名古屋で……あ、俺は愛知県出身なんだけど」

「うんうん」

「休みの日にダンススクールに行こうと思って名古屋駅の近くを歩いてたら、四十代くらいの綺麗な女性とすれ違ったの。僕は絶対にその人のこと知ってるんだけど、どうしてもその人が誰か思い出せなくて、ずっともやもやしながらその日はスクールに行って」

「ダンス踊ったんだね?」

「そう。でもしばらくしたら思い出せたのよ!」

「おぉ?」

「僕が知り合いだと思ってたその人、地元のテレビ局のアナウンサーだったの!」


 ──だからなんだよ


 心の中でひとりごちた翔真と瓜二つな反応を暁も示した。


「え……それ、俺となんの関係があるんだろう」

「あははっ! あのねぇ、ずっとテレビで観てる人って勝手に知り合いみたいに思っちゃいますよね? ってこと!」

「……話なっっが!」


 その日一番の声量で暁はツッコみ、平岡は膝を打って爆笑する。

 笑いは感染して暁も破顔し、キャスター付きの椅子は回って暁は画面からフェードアウトしていった。


「なんなの平岡くん!」

「ごめんって! 宇部くんー、こっち戻ってきて! スタッフさんが次の質問って言ってるから──あ!」


 ばたん!


 顔の高さで固定されていたスマホが机に倒れた。コメントをスクロールした平岡の指先が強かったせいだ。


 その衝撃で響いた大きい音には、びくっと肩がすくんだ。

 内カメラがある液晶画面が下向きとなって倒れ、物理的に暗転したディスプレイにはぎょっとした。


 むくれて無愛想で、ブサイクな男がそこには反射していた。

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