第20話 恋とは②
暁は気ままに指をからめてもきた。
翔真はうろたえてしまって動けないでいたから、いつのまにか自分と暁の手は貝みたいに一つだ。
混乱する翔真をちらりとうかがったあと、暁は近くの席を顎でしゃくる。
見てと無言で示す先には大学生くらいの男女がいて、甘い雰囲気がもろカップルだ。
「これから撮影するシーンでガイとソラがデートするんだけど」
「そんなのあったっけ」
「原作にはない。ドラマオリジナルの展開」
「だよな」
巻末に番外編でもあったのかと思った。
ガイとソラは基本的にガイの自宅にて逢瀬を重ねる。そして、めちゃめちゃやらしく致す。
台詞練習に付き合うと決めてからは放置していた原作の履修にも取り掛かり、なんだかんだで翔真は現在『夜明けを君と過ごせたら』の二巻を読了しようとしているところだ。
BL漫画の洗礼ともいえる一冊のうちで何度も訪れるお熱い展開にたじろいだのは最初だけで、だけどなかなか食指が動かないのは、このまま最新刊まで読んでしまうとドラマの展開を楽しめなくなってしまいそうだから。
「保護犬のシェルターに来てくれたガイが、ソラと一緒にワンちゃんの散歩に出かけるんだ。そのときに」
こうやって、と暁が手に力を込めた。
すると甲側の指の付け根のごつごつした骨がぐっと押され、連動して翔真の指全体が浮いて持ち上がる。
はっとして暁から手を抜いた。
「な、何すんだよ」
「暇そうな手だったから」
「暇そうって……」
日本語のニュアンスは通じているのにいちいち突っかかったのは、なんだか恥ずかしい気分だったから。
暁を避けるようにテーブル下へ手を隠す。
「お前は手品師か」
「え?」
手を繋ぐ動作がナチュラルすぎるだろ、という意味だ。
しかし本人には伝わっていない。
「手品が何?」
「……もういい」
「いいの? えっと……あぁそれでさ、ソラは犬の散歩してるから片手にはリードでしょ? 他にもワンちゃんがおしっこしたとき用の水とかゴミ袋とか持ってて荷物いっぱいなんだけど、頑張ってガイの手を握るんだよ」
「ふうん、ソラらしいな。……で?」
「そんなになのかなって疑問で」
「そんなに、とは?」
「デートのとき、みんなそんなに手繋ぐものなのかなって」
「そりゃ──」
暁が前のめりになった。
言葉の続きを待たれている。
「……まぁ、汗かいてて嫌とか事情がない限り握りたくなるんじゃねぇの?」
「へぇ」
「何」
「じゃあ翔真は手繋いだんだ」
一般論から翔真個人へと、おかしな軌道でフォーカスされた。
「手、アヤカと」
「あ?」
「中学の同級生の」
「言われなくてもわかるわ」
「デートしたんでしょ? 俺知ってるよ、翔真とアヤカが──」
「おい、ちょっと待て。アヤカって呼ぶな、アヤカって」
「アヤカ。吹奏楽部のアヤカ。クラリネット担当のアヤカ」
「やめろ」
「俺の女だから呼び捨てにすんなって?」
筋違いな暁に反論しかけたが、妙な引っかかりを覚えた。
女、と乱暴な言葉遣いが暁には珍しかった。
「言うよね。男は、たとえ別れてもそのときの彼女は今でも自分のこと好きなままって信じがち」
「そんなの聞いたことないけど」
「じゃあ翔真は先天的にそっちタイプなのかな。でもやめたほうがいいよ。だってその理論でいくと、今カノがいてもその子は前の男への未練引きずりながら翔真と付き合ってることになるから」
「架空の彼女の話をするな。てか、なんなのお前。恋愛マスター?」
「前に観たドラマで言ってただけー」
なるほどと思って記憶に残っていた──そう淡々と言い、暁はアイスコーヒーを一口含む。
「あのなぁ、そもそもアヤカとは付き合ってない。仲良かっただけの同級生」
「でもクラスの子が二人は付き合ってるって言ってたよ」
「からかいたかっただけだろ」
「翔真は好きじゃなかったの?」
「全く」
「好きじゃないのにデートしたの?」
「それは」
矛盾を指摘されると悔しく、
「何? 何がそんなに気になるわけ?」
見苦しいが逆ギレで切り返す。
「そういうお前はどうなんだよ」
「俺?」
「どういうデートしてきたんだよ」
「え、デートしたことないけど」
あっさり認められて翔真は面食ってしまい、その隙に、
「悪いことなの?」
「えっ」
「デートしたことなかったら悪い?」
「いや悪いというわけでは……」
しどろもどろな翔真に白けたように、暁はまたクリアカップをゆっくりと傾けた。
「……悪い、悪くないから」
「どっち」
取り急ぎ謝ろうとすると語順の組み立てが変になる。
「暁は俺らと同じようにはいかないよな。外出かけるにもアンテナ張らなきゃいけないくらいだし」
暁の飾らなさに、ある種の境界がうっかりぼかされていた。
恋愛脳みたいな発言を繰り出したのがなおさら恥ずかしい。
「デートしたい子ができても一苦労だろ? なのに恋人らしいデートの芝居求められても、そりゃ困るよな」
「……だから想像する」
「想像?」
「うん。例えばデートも」
ふいに暁は頬杖をついて横を向いた。
近くの席ではさっきのカップルが顔を寄せておしゃべりをしている。
「翔真が言う通りそういう経験ないのは事実で、でもだからって上手く演じられませんってわけにはいかないから、わからないことは観察して、想像する」
妄想と紙一重だけど、と暁は笑う。
「むしろ想像由来のほうが綺麗な表現ができるって信じたいけど、どうなんだろうね」
「……暁」
「んー?」
「中学のとき、俺、アヤカと手繋いでないよ」
「そうなの? でも出かけたは出かけたんでしょ?」
暁の視線を感じながら、翔真はアイスコーヒーを持ち上げる。
商品の受け渡しからずいぶんと時間が経過し、屋外にいることもあって透明のカップには一面に細かい水滴が浮き上がっていた。
「……実は俺もデートしたことないのかなぁ」
「いや、そんなの知らないって」
俺に聞いてどうすんのと腹を抱えて笑う暁の的確なツッコミに、翔真は苦笑いの胸中となった。
付着した雫の粘度を確かめるように親指と人差し指の先をくっつけたり離したりしながら、翔真は中学時代の自分を回顧する。
暁にアヤカの名前を出されたときに拒否反応が出たのは、かつての自分の青い浅ましさが思い出されるから。
アヤカと二人で出かけたことは、翔真にとってステータスだった。
たとえその物の価値がわからなくても最近人気とか流行りと聞いたらとりあえず持っておきたくなるみたいに、当時の翔真は恋愛における年相応の経験値があるという自負が欲しかったのだった。
アヤカを利用したようで申し訳ないから、向こうもそう思ってくれていると本望だ。
翔真にとって暁といるのが気楽なのは、恋愛に対して暁がさほど興味を示さない人間であり、一緒にいても会話が恋愛方面に及ばないというのが理由の一つとしてある。
デートなら手は繋ぐ──などと、ツウぶって暁には語ったが、実際のところ翔真も恋愛のことなんて全然わかっていなくて、これまで自分が恋だと思ってきた感情も相手への好意を都合よく勘違いしたものと言われたら否定できそうにない。
しばらくすると近くのカップルは席を立ってふらりとどこかへ行く。
歩きにくいだろうに、支え合わなくても自立できるだろうに、腕を組んで。
そんな姿を見かけると、うらやましくなる以前に翔真は考えてしまう。
好きって、果たしてなんなんだろう。
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