第16話 ひとりじゃない

 家へ帰ると、シンと冷たい空気に出迎えられた。電気が点いていなかった。


 早歩きの勢いのまま開けた玄関が、無防備にもフルオープンのままとなる。

 暁のことで新歓を抜け出してきたために期待外れというか、肩透かしを食らう心地だったのだ。


 しかし廊下を進むと部屋は真っ暗なんじゃなくて、ほの暗くあることに気づく。

 足を速めた。リビングを覗く。

 照明の消された部屋の中で、液晶テレビの長方形だけがチカチカとまぶしく灯っていた。


「暁?」

「……あ、おかえり」


 ソファの背もたれに見えた後頭部が動く。


「ただいま。何してんの」


 問うと慌てて暁は起き上がり、その挙動を不審に思って、翔真はテレビへ目を凝らす。


「この前のやつじゃん」


 画面では、つい先日暁と鑑賞したばかりのドラマが再生されていた。暁がメイン出演者として出た刑事ドラマだ。


「なんでまた観てた?」


 暁は答えない。翔真は隣へ腰掛ける。


「見落としでも?」


 あの日は翔真が放送日を確認しそびれていて、数分ながらドラマの冒頭部分を観られなかった。

 その部分にも役の出演シーンがあったんだろうかと思ったのだが、暁は首を振り、


「……見られたくなかった」


 沈黙ののち、深い息を吐き出すように言うのだった。


「翔真には見られたくなかった」

「え」


 いきなりなんの話だろうか。


「ドラマのこと?」

「違うよ」

「じゃあ何を」

「……この有り様」


 状況を伝えるにもいろいろな言い方があるだろう中で、暁のは自嘲的なニュアンス。


「新歓だっけ。大学の人たちと晩ご飯食べて帰ってくるって翔真から連絡きたとき、ちょっとラッキーって思ったんだよね」

「そう、なの?」

「夜は翔真がいない、じゃあその隙にって」


 翔真は首をかしげる。

 自分がいない隙に──なんだろう?


「自分が出たドラマとか映画。いつも五、六回は観てるって言ったら引く?」

「え?」

「俺、そういうタイプなの」


 力なく笑いながら暁はソファに身を倒す。


「リアルタイムで一緒に観たときはドラマが終わったらすぐにテレビ消したけど、本当はあのあと、すぐにでも録画で見直したかった」


「……そうだったんだ」


 察してあげられなかった。


「そういえばあのドラマは今日が放送日だったな、義務的に一応チェックしておくか、って感じで翔真の前じゃ振る舞ったけど、本当は放送の前の日からずっとそわそわしててさ。十時が近づいてきたら時計ばっか見ちゃって」

「言ってくれたらよかったのに」

「……できないよ」

「なんで」


 自分はそんなに気を遣う人間なのか。

 心理的に遠ざけられた気がしてムッとしたのだが、


「プライドが高いから」


 暁の言葉にさざ波は鎮まる。


「あの日も、不良殴るシーンのこと翔真に褒められたのに俺ずっと上の空だった。コード入力のところで手元差し替えられたの気にしちゃって」

「それは──」

「わかってる、芝居に支障ない部分だよね。でも俺には駄目。気にしいなんだ」


 返すにふさわしい言葉がわからない。


「翔真さ、寿司のローマ字練習サイトって知ってる? 多分、パソコンの授業受ける小学生向けなんだけど、タイピングできないのが悔しくて自分の部屋でやり込んだりしてさ」

「……今までも、もしかしてこうだった?」

「ちっちゃいミス引きずってたのかよ、って?」


 ミスとは思わないが、首を縦に振って続きを促す。


「そうだよ。反省ばっかしてる」


 言ったあと暁は顎を上げて天井を見て、そして呟いた。


「……俳優になりたい」


 もうお前はそうだろう。

 生まれながらにしての俳優だろう、なんてツッコミはいらない。


「俺が子役出身って知らない人にも高く評価されたい。俺が出た作品を観た人に『宇部暁ってあの作品にも出てたんだ、全然気づかなかった』って、思ってもらえような演技をしたい」


 想像で相手の気持ちを語るのは偽善。

 わかっているが、勘ぐってしまう。

 さっきの新歓で女の子たちが述べたような意見を、これまで暁は一人で受け止めてきたんじゃないか。


「……できるよ」


 翔真は言う。


「暁ならできるよ」


 そう強調して。


「……もっかい言ってくれない?」

「暁ならできる。俳優になれるよ」


 翔真は、暁が望むなら何度だって──


 隣からの返事はなく、その代わりのように翔真の肩には重さが乗る。

 暁が頭を預けてきた。


「どこにも行かないでね」


 ようやく絞り出したような暁の小さな呟きに「うん」とうなずきながら、だけと心の中ではうなずけなかった。


 どうして暁が口にする。

 そんなのは、いつかの未来に翔真が請いたくなる口約束だろう。

 手が届かなくなった幼馴染に、自分はきっと寂しさを覚えるだろう。


 寂しくさせてほしい。


 暁の知られざる不安に面し、翔真はくすぶっていた迷いの全てを捨てた。

 初主演作品を無事に成功させることができ、それが俳優として暁の自信となるなら──


 翔真は何時間だって台詞合わせの相手をする。

 暁のためだけの、ガイになる。

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