第14話 ジレンマ

「なぁ、暁って平岡と仲いいの?」


 帰宅した暁に、翔真は挨拶さえもすっとばして一番にたずねた。


「平岡くん?」

「同じ事務所なんだろ?」

「うーん、でも別に仲良くはないよ」

「え、マジ?」

「ビジュアル撮影の日に話したのが最初だよ。それまでは会社ですれ違って挨拶したたことあるくらい。ちゃんと話したのは……今日で二回目?」


 うんうんと暁は自身の発言にうなずいてみせる。記憶をたどっても交流はないらしい。


「じゃあこれから気をつけろ」

「え?」

「あいつは要注意だ」

「要注意?」

「あぁ、あいつはただ者じゃない」


 先輩風を吹かしたものだから、てっきり二人は親しいとばかり思っていた。

 しかし暁は違うと言う。

 ならば「宇部くんをよろしく」発言は、幼馴染の翔真が平岡へかけるのがふさわしい言葉だったんじゃないか。


 勝手に身を案じられていたぞと、今日平岡との間に起きた出来事を説明したら暁は爆笑した。


「噂には聞いてたけど、平岡くんって面白いね」

「面白いっていうか厚かましいだろ」

「いやー、おもろい」


 しみじみした暁の笑いを余韻に、平岡の話題はゆっくりと着地していった。


 そのあと惰性でスマホをいじっていると、離れたところで冷蔵庫の扉が開閉する。スライド音だったので野菜室か冷凍庫だ。今から料理をするらしい。


 メッセージでの連絡通り、暁の衣小合わせは夜遅くまで続いた。

 玄関の鍵が解錠したのは翔真が晩ご飯も洗い物も済ませた午後十時のこと。


 長時間拘束の仕事終わりに自炊とはマメだなぁ、と台所の生活音に翔真は思っていたのだけれど。


 しばらくして暁がソファ前のローテーブルに置いた洋風の平皿は、


「えっ、これだけ?」


 思わず二度見した。

 サイズこそ大判だが、乗っているのは蒸されて白っぽい鶏ささみ肉と鮮やかなブロッコリー。だけ。


 湯気がたゆたうそれを配膳したあと暁はキッチンへ戻ると箸だけを持ってきて、驚き冷めない翔真の隣へ座る。

 今日を締める食事なのにたったこれだけ、らしい。


「ダイエット中だからね」

「ダイエット?」

「うん。あと二、三キロは落としたい」

「今何キロ?」

「ちゃんとは測ってないけど、六……十あるかないかくらい?」

「食事制限する必要ないだろ」


 もとも細いのは体質で、さらには最近また細くなった暁だ。

 むしろもっと食えよ。パサパサして、たいして味もしない食べ物を口に運んでなんかいないで。


「それが必要あるのよ」

「なんで?」

「役作り」


 喋りにくそうに暁は伝えてきた。口いっぱい頬張っているせいだ。飲み込んだあと続きを話しだす。


「前にも言ったじゃん、ソラは痩せ型だから絞ろうかなって」


 そういえば翔真の荷造りのとき、漫画のソラを見ながら言っていたような気がする。


「それは今日の打ち合わせで指示されて?」

「いやー、直接言われてはないけど」

「ふーん」


 箸先で鶏肉が割かれていくのを見ながら、少し安堵する。暁が望んで減量しているならいいのだ。


「無理するなよ」

「うん」

「お前ただでさえあれだから。なんだっけ、ワークなんちゃら」

「ワーカホリック?」

「それ」

「えー、自覚ないけど」

「じゃあ重症患者だわ」


 暁は仕事ばかりしている。

 公式プロフィールの趣味欄は映画鑑賞となっているが、翔真ら一般人が言う『趣味は映画鑑賞』とは異なって、そこには勉強の意味も含まれていると思う。


 ゆえに暁は無趣味に等しい。

 昔は翔真の趣味で一緒にゲームをすることもあったが、仕事が繁忙となり、プレイしない日が続くと暁はそのまま辞めてしまったのだった。


「仕事の期間中にちょっとでも遊んだら罰が当たる気がする。仕事に大遅刻する夢みて三日連続で飛び起きたって」

「あぁ、そんなときもあった。でもそれ何年も前の話ね? よく覚えてるね」

「聞かされた側は覚えてるわ。普通に心配だし」


 ただでさえそんな調子だというのに食事さえ仕事仕様にコントロールしたら、いよいよ内面から役者に染まってしまいそうだ。


「気張るなよ」

「大丈夫。ちゃんとチートデイも設けるつもり。あっ、リモコン取って……ありがと。ちょっと点けていい?」

「ん」


 良いも悪いもお前の家だよと思いながらネットサーフィンの片手間に返事をしたのだが、急いでいる感じのリモコン操作がふと気になった。

 手の中の端末からテレビへと目線を滑らせる。


「あっ、これ」

「先月撮ったドラマ」


 もっと言うと、撮影日は三月十一日。翔真が詳細を把握しているのはそれが卒業式の翌日だったから。


「放送今日だったっけ?」

「本当は先週。けど延期になっちゃって」

「悪い、家いたのに気づかなかった」


 十時が放送開始だと思われるので、十五分ほど出遅れてしまった。


「大丈夫。俺の出番はもうすぐ」


 と暁が言ったそばから、ドラマの場面は薄暗い部屋のシーンへとスイッチする。暁演じる少年の自室だ。


「今流れてるこの、ハッキングのコード打ち込むシーンさ」

「うん」

「俺の手じゃないの」

「え?」


 画面では暁演じる天才少年ハッカーが、瞬きを一度たりもせずに高速タイピングをしている。小気味よいキーボードのタッチ音。


「もしかして機械弱い人? って監督にもバレてびっくりされたよ。若いのに大変ねって笑われて、失礼しちゃうよね」


 裏話を聞いて注目してみれば、たしかに爪の形が別人だが、見つけてやろうと思わなければわからない。


「コード入力する『ふり』だから、いけるかなって思ってたんだけど。戦力外ってその場で外されちゃった」

「まぁ……そこは別にどうでもいいんじゃね? 他の部分は暁が演じてるわけだし」


 ドラマ視聴へ戻ると、ちょうど暁(の役)が外出しようとしている。

 ごついヘッドホンを装着し、フードを目深にかぶればブラックハッカーが正装にてお出まし。

 ハバネロチップスやトムヤムクンなど大量の刺激物をコンビニにて買い込む暁(の役)だが、そこで運悪く不良に絡まれて因縁をつけられる。

 しかし医療事故死した父親のことで自暴自棄になっている暁(の役)なので、五人ほどいた不良を次々になぎ倒すのだった。


「アクションできるんだからいいじゃん。タイピングよりよっぽど役に立つだろ」

「いやー、でもなぁ……」


 と、口では件のシーンについて悔しがっていた暁だが、瞳は進行してゆく場面を見据えている。


 そんな真剣な表情を隣でされたら、台詞合わせを断るなんてできなかった。


 やがて話は幕を閉じる。

 卒業式の教室で翔真が代読した若い刑事では太刀打ちできず、命を投げようとした少年だったが、現れた主役の変人刑事の屁理屈めいた説得によって改心、という展開だった。


 エンドロールも主題歌も終わり、テレビをオフにした暁が食器を片しに台所へ立ち上がると、翔真はその背中を無性に引き留めたくなった。


 だけど意気地がないせいで、結局は何も言えずじまいに終わってしまう。


 あの天才ハッカー少年が羨ましくて仕方ない。

 自分の前にも劇中の変人刑事が現れて、怖がりな優柔不断さをガツンと叱られてしまいたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る