第13話 VS平岡

「さっき電車で転びかけた人ですよね!」


 笑いながら駆けてくる平岡に、翔真の顔周辺は一気に火照りだす。

 人前で大声を出すな。無かったことにしてほしい失態ををなぜ蒸し返す。なんの因縁だ。

 それから、どうしてお前がここにいる。


「あ、怒ってるとかじゃないですよ、俺」


 翔真の目の前をゴール地点にして止まると、平岡はこちらの心を汲んだフォローをし、


「逆に怒ってます?」


 と問いかけてくる。


「……は?」


 翔真の強い言い方には当惑したらしい。油不足のロボットみたいに、えっ? えっ? と平岡の首はぎこちなく傾いていく。

 連動して、平岡の耳たぶに埋められた光沢が輝く。

 シャラシャラと揺れるチェーンデザインのそれは大ぶりなのに、今の今まで存在に気づかなかった。


 顔が印象的すぎたから。


 じっと翔真が見つめれば唇をすぼめて怖気づく平岡だが、どんな高性能なカメラも人間の眼には劣ることを教えてくれる。


 レンズを通してじゃ平岡の彫りの深さはわからない。


 眉に沿ったアーチ、眉頭と小鼻と鼻先を結んだ三角、頬骨によって生まれる浅い筋、下唇の下のくぼみ。

 平岡の顔は影までもを味方につけて、整ったパーツの一部だ。


 抗えずに見入ってしまっていると「いきなりですみません」と平岡が切り出してくる。


 そのとき発音の関係で八重歯がまみえて、ちょっとした感嘆を覚える。

 平岡の顔から受け取る、初めての人間味にんげんみだったから。


「……こちらこそすみません、ぶつかってしまって」

「大丈夫ですよ。ご存じかと思いますけど、僕、昔アイススケート習ってたんで」

「はぁ」


 ──ご存知でねぇよ


「そうですか」

「そうなんです」

「……で?」

「僕のファンですよね?」

「……はい?」


 翔真が油断した隙に、平岡が靴一足ぶん距離を詰めてきた。

 警戒して後ろに下がるも、また寄ってくる。


「ファンの方に会えたのがめっちゃ嬉しくて! 電車降りてきちゃいましたよ!」


 停車中の車体を指しながら、尖った犬歯をむき出しの笑顔で言われる。


「どうでしたか?」

「どうでしたか、とは?」

「一日警察署長! さっき観てくれてたじゃないですか」


 こうやって、と平岡は渋い顔をした。それがサイネージ広告を観ていた自分の真似であることは明白で、苛立ちは増していく。

 すると平岡は「それです、その顔です!」と、今度は翔真を直接指さしてくる。

 その行為により、怒りのメーターはぎゅんっ! と振り切れた。

 顔をさされるのは相手が誰だろうと不愉快だ。


 しかし平岡は火の粉を飛ばしている自覚がないのか、ぐいぐいと翔真に話しかけてくる。


「放送終わっても応援してくださってるなんてマジで嬉しいです。男性ファンの方と話す機会ってないんですよ。手紙とかメッセージもらうことはあるんですけど、リアルイベントってなるとどうしてもハードルが高いみたいで」

「……じゃあ俺に会えてよかったですね」

「はい!」


 こっちは嫌味のつもりなのに、威勢のいい返事で応えてくる。しかも満面の笑み。


 ──これは、本物の、あほ


 そう確信したところで、


「あっ……でもごめんなさい。俺、この電車乗らないといけないんです」


 いきなりしおらしくなった平岡の出方。

 翔真の脳内にはローディングの円が浮かび、半周ほど回り、しかし詰まる。


 ──やっぱり何なんだ? こいつ


 精度の低いチャットツールを相手にしているみたいに思え、またも眉根に力が入る。


 乗らないといけないって、当たり前だろう。お前が勝手に途中下車したんだ。

 しかもそれはこっちだって。車両を変えようとしていた足を止められたんだ。


 もう解放してくれよと内心で悪態をつく翔真の一方で、平岡は申し訳なさそうにこんなことを口にする。


「ゆっくりお話できればよかったんですけど、このあとは衣装合わ──いや、なんもないです、はい。すみません、とにかく仕事があって……だから」


 はい、と両手を差し出された。


「握手。ファンサービスです」


 空中に滞在する手に目を落とした。

 その視線をどう受け取ったのか、平岡ははっとした感じで手を引っ込めると、ズボンの生地で汗を拭い、再び接触を要求してくる。


「何かしてあげられたらいいんだけど、サインペンも何も持ってなくて。せっかくの機会なのに、なんかごめんなさ──」

「ファンじゃないです」


 ズバッと言ってやった。もう我慢ならなかった。

 どうして、俺が、あいにく可哀想な平岡のレアファン扱いをされなければいけない。


 勘違い野郎の平岡はきょとんとしている。


「ていうか早く電車戻ったらどうですか? これから仕事なんでしょ? 暁、遅刻する奴のこと嫌いだと思いますよ」

「え、暁って宇部くん?」

「……あ、いや」

「あなた何者なんですか?」


 口が滑った。早く帰れとか言ってあしらいながら、平岡の関心を引いてしまった。


「もしかして同業者?」

「違います」

「スタッフさん?」

「違います」

「……えっ、じゃあ──」


 平岡は自身の身体を抱きしめた。


「ストーカー?」

「幼馴染!」


 ガシガシと頭を掻く。

 あぁもう! 言うつもりじゃなかったのに。


「あっ、幼馴染! 暁くんの幼馴染!」


 防御の腕クロスをほどいて手を叩き、平岡はこの状況に納得したようだ。


「びっくりしたー。だからドラマのこと知ってるんですね」

「……もういいですか」

「あ、どうぞ」


 最後くらいは礼節をと思い、軽く頭を下げて翔真は去ろうとしたのだが、


「待って」


 と平岡の声に止まる。すると、


「握手はしときます?」


 再び右手を向けられた。しかし、


「冗談ですよ」


 と、その手はすぐに引っ込んで、ジーンズのポケットへと収められる。


 ぎゅうっと握りつぶてやろうか、それとも音を立ててはたいてやろうか。

 一瞬、本気で思っていた。

 初対面の人間に面白がられたのが、途中まではこちらが優位だったのに形勢逆転されたのが、ムカついた。


「それじゃ宇部くんのこと、よろしくお願いします」

「……は?」

「さよなら!」


 効果音が出そうな勢いで反ると、平岡は元いた号車へと消えていく。


 その直後、電車はもうじき──の放送が流れる。

 翔真はそのアナウンスをホームにて聞いていた。ドアが閉まり、うなりながら加速して出発する音も。


 電車に乗り損ねた。

 平岡が発した去り際の言葉に呆然としていた。


 ──暁を、よろしくお願いします?

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