第12話 エンカウント
台詞練習の件を暁にどう伝えるべきか。
悩んでいるうちにスマホの電源は落ちていた。再び灯す気力もないのでそのままポケットへと突っ込んでしまう。
ぼうっと正面を向いて過ごしていると、ドア上の液晶がぱっと切り替わる。停車駅を知らせる画面の横に設置されたディスプレイ。
長方形のそれには広告が流れていて、翔真は暇つぶし程度に眺めていたのだが、
──あっ
流れてきた芸能ニュースに意識は引き締まった。
『◯✕署の一日警察署長に就任した俳優の平岡伊織さんが──』
字幕なしじゃどこかの俳優かアイドルだろうと見逃して、画面に映る男の正体に気づけなかったろう。
動いている平岡を見るのは初めてだった。マイクを握っている。
電車内なので音声がなく、何を話しているかはわからないが、制服姿がなかなか様になっているのは伝わった。
真の男前は坊主頭になったときにその実力を発揮するものだ。髪の毛で演出していた雰囲気が通用せず、顔の造形勝負になるから──なんて説があるが、髪をさっぱりと上げてデコを露出し、さらには警察官の帽子をきゅっと被っていてもなお平岡はイケメンなままだった。
というか同性目線でいうと、前髪なしのほうが凛々しく見えて人気が出そうなまである。
平岡が抜擢されたイベントは交通安全を啓蒙するものだったらしい。
その模様を紹介したあと、映像は平岡のコメントに変わる。
(交通マナーについての考えを平岡に求める報道陣)
『そうですね。歩行者も運転手もお互いに譲り合いの精神をと言いますか、みんなのための街? であることを忘れずに生きていきたいですね』
(みんなのための街ですか。さすがは元ライダー)
『あははー。ありがとうございます! 僕がライダーってこと知ってくださってたんですね!』
(もちろんです)
『去年一年間は地球を守ってたんですよー、だから僕的にはみんなの街というかみんなの地球? って感じで……って、あ』
(どうしましたか?)
『一年間とか言わないほうがよかったのかな? これってちびっ子も観てますよね』
(そうですね、と失笑する報道陣)
『あー、どうしよ(笑) 嘘です! 僕は今も現役で地球にいます! 今日のイベントは別の任務ってことで(笑)』
ピンクのフォントで強調された平岡の発言が締めとなり、映像は天気予報へ遷移する。
不本意にもイベントレポートの一部始終を観てしまったわけだが、
──なんだこいつ
得体のしれなさにゾクゾクとした。暖房が効いた車内なのに肌が粟立ってくる。
どっちだ。どっちのアホなんだ。
天然か人工か、それとも事務所によって素質を誇張された養殖か?
ヘラヘラとした平岡の態度に見極めようとしていたら、自然と眉間にはしわが寄っていた。
数あまたな若手俳優。
いくら才能があれど光る物がなければライバルの影に埋もれてしまうから、平岡は『おいしい』キャラクターでは、ある。
でも、令和の時代におバカキャラってどうなんだ。
売れるために平岡が無理をしている可能性もあるし、違うにしても平岡が人気となったころ、己のキャラ設定が厄介な事態を引き起こすのでは?
個性と特性とで混乱した意見は平岡をがんじがらめにして、結局それって『まずい』のでは?
まぁ翔真はファンじゃないからどうでもいいが、それにしても『みんなの街』とはなんだ。
記者に聞かれてその場で考えました、みたいな薄っぺらいコメント。
『僕は今も現役で地球にいます』も理解に苦しむ。みんなそうだ、みんな地球人だ。地球にいるからお前の面を見ている。
『います』って誰に向けてのアピールだよ。宇宙人か?
イベントにマスコミやプレスが集まるのは事前に告知されているはず。そうじゃなきゃ宣伝にならなくて、ただの平岡の職業体験。
翔真はどうしても身近な存在と比較してしまう。暁ならマスコミへの受け答えを事前にシュミレーションしてから当日に臨むだろうに。
平岡がガイ役だなんて、果たして暁の初主演作は大丈夫なのか。
配役を決めるのはドラマのプロデューサーであると、その昔に暁から聞いたことがあるが、そのプロデューサーは平岡のどこにガイのミステリアスさを見いだしたという。
暁が言っていた平岡の特撮ドラマの題名は……あぁ、なんちゃらライダー閃光。
本業の平岡ってどんな感じなんだよ、これは一回観ておかないと──って、え?
平岡の事務所の商法(暫定)にはめられた自分に動揺したところで、車体も揺れた。
大学最寄り駅からターミナル駅までの路線にまだ慣れておらず、翔真はうっかりバランスを崩す。不意打ちの衝撃だった。
これ体幹で耐えないといけないやつ、と判断したときには近くにいた人へぶつかってしまう。相手は若い男だった。
その男は吊り革に捕まっていたので、同じ場所にいても揺れに対応できたらしい。
そこそこ乗客がいる車両の中、よろよろとみっともなくふらついたのは自分だけで非常に恥ずかしい。
すみません、と男に謝罪した。公共マナーとして小声で。
しかし反応がない。
翔真はおそるおそる男を見上げる。聞こえていなかったんだろうかと、思ったのだった。だったのに。
「うぇっ」
潰れたカエルみたいな声が出た。男が「は?」と翔真を見てくる。目が合う。しまった。
さっと顔ごと背けてしらを切ったが──
平岡、伊織。
確信したところで、自分がうまく空気を吸えていないのを自覚した。
とたんに正しい呼吸の仕方がわからなくなる。思い出すために肺を限界のところまで膨らませて、吐いて、深呼吸をしたい。
だができない。落ち着きたいのと同時に、消えたくもあるから。男──平岡の目にだけ見えない透明人間になりたい。
平岡は再び何事もなかったみたいに電車に揺られ続けている。
黙ってたたずんでいるが、横目の視界にチラチラと入り込む肩がうるさい。
すぐにでも車両を変えたかった。
でもさっきの今で急に動き出したら感じが悪い。
いや、自分たちは単なる電車の利用客同士に過ぎないのだけど。なんとなく申し訳ないと思うのは、ある種の自意識過剰だろうか。
というか暑いな。空調の温度設定がイカれてる。上着を脱ぎたい。
でももう一度揺れが来たら。
それでまた平岡に体が当たったら。今度こそシャレにならない。
そう思ってしまうと身動きが取れず、服と肌の間に熱が立ち込めてくる。
翔真が一人苦しんでいると電車はだんだんと減速し、駅にて乗降口が開いた。本来は見送るだけの駅だが、思い切って降りてしまう。
ホームの空気は鮮度がよかった。
ようやくの深呼吸を繰り返し、上着のボタンも外せば、自然と体温は平常時に戻っていく。
生地を上から摘み、服をパタパタさせながらホームを歩く。
ついでに車両を変えてしまおう。
熱が抜けて整然とした頭にアイデアが浮かんだのだった。
そこへ、
「あの!」
声がした。後ろから。
見えない情報へ聴覚は敏感になり、そして振り返り、ぎょっとする。
平岡が自分を追いかけてきていた。
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