第11話 葛藤

 大学生活のスタートはあやふやなものだった。


 中高とは異なりクラス制度がないためか、学科に所属したという実感も薄いまま。

 履修登録の期間は終わり、通常授業が開始した。


 まだ数回しか受けていない大学の講義だが、塾の集団授業みたいだなと翔真はぼんやり思う。

 一方的に発信される内容を一方的に受け取る約百分間。


 それは人間が保てる集中力の限度をゆうに超える時間なので、講義終了の少し前になると学生たちはそわそわとし始める。

 中にはその段階で席を立つ者もいて、定刻を知らせる鈴が鳴り渡り、余韻となるころには教室のほとんどが空席となっている。

 最初はその自由度に戸惑ったが、教授も気にしていない様子だったので、大学とはあくまで個人裁量なんだろうと察した。


 翔真は眠たさから講義室の椅子からすぐに立ち上がれないで、鞄からスマホを出すとロック画面に通知が届いていた。

 タップして直接アクセスする。


『@ube.aki.1208_official』

『今日はとある打ち合わせ! みなさんお昼ご飯はもう食べましたか? 僕はマネージャーさんと定食を(ぺろりの絵文字)』


 投稿時間は講義真っ最中の三十分前。


 暁は自身のSNSアカウントに写真を二枚アップしていた。サムネイルとして表示される一枚目は他撮りで、控えめにグーサイン。


 もう一枚は下の角度からの自撮りなのだが、その出来に、翔真は笑いがこみ上げるのを我慢する。


 絶妙に下手、なのだ。

 反射の写り込みに細心の注意を払ってぼかしをかける、投稿に添える文の頭は『・』にして文全体の体裁を整えるという技術は持っているのに、セルフィーだけは一向に上達しない。


 ファンは暁のそういう抜けた一面が好きらしい。

 投稿から数分が経ち『自撮り待ってたよ!』『その自撮りスタイルやめないでね(泣き笑いの絵文字)』など、コメント欄には次々とメッセージが寄せられていく。


 わざわざ送信まではしないが、翔真も同感である。

 暁には凝った写真じゃなくて画角にこだわらない自撮りを載せていてほしい。文章も絵文字一つとかの淡白なものじゃなくて、ぎっしりみっちりと。そのほうが人柄が覗えて温かい。


 どうかおしゃれインヌタグラマーにはならないで。そう願う。


 *


[これから衣小合わせだから帰り遅い]


 午後の講義までを受け終え、帰宅する電車に揺られているとメッセージを受信した。


[衣装と小道具のフィッティング]


 業界用語には追加で説明が届き、わかった、と短く返事をする。


 昼ごろに暁がSNSでほのめかした打ち合わせというのはこのことだったらしい。


 初の主演ドラマとなる『夜明けを君と過ごせたら』の製作は日々進められている。

 解禁前の機密情報を部外者の翔真が把握しているのは、昨日の晩、リビングのローテーブルに見つけてしまったから──そろそろ受け取ることになりそうと暁が話していた、台本。


 ついにこのときが、と覚悟した。


 暁にきちんと伝え、そして謝ろう。今回の台詞練習に自分は付き合えないこと。


 翔真は心から暁を応援している。

 その気持ちが偽りでないことを証明するかのように、宇部暁スタッフ公式アカウントからの通知が届く。十五時ジャストの予約投稿。それは雑誌掲載のお知らせで、翔真はそっといいねを押す。一番乗り。


 初主演の報告を受けたときは本当に嬉しかった。国民的な知名度にあぐらをかくことなく、地道な努力を続ける姿をそばで見てきたから。


 そんな暁の台本読みの相手。ずぶの素人な翔真だが、求められるうちはその役目を全うするつもりだった。

 ただの文字列だった台詞が、紙から羽ばたいてキャラクターの言動となる。原作者や脚本家が考えた役が、現実のどこかにいそうな人となって生きていく。

 その過程は見ていて楽しい。


 優越感もあった。


 最終的な演技プランは相手の俳優とのかけ合いや現場の雰囲気で決めるというが、その前段階──翔真との台詞合わせのとき、暁は自身で考えた役の像をバラバラに崩し、建て直し、修正し、という作業に没頭する。

 根気強く行われるそれは職人の仕事のようで、翔真は職人の工房に招かれる心地だった。

 苦労を表に見せない暁だけれど、自分は特別に信頼されているのかな、と思うのだった。


 もしそれが翔真の思い上がりでないなら。

 そう考えると、とうとう言い出せなくなりそうだ。暁を失望させることになるから。意図しないところで突き放すことにもなるから。


 さまざまな役柄を演じわけてきた暁だ。

 与えられた役の数だけ、その役について考えてきたということだ。

 鈍感で俳優業が務まるとは思えず、繊細な感性を持ち合わせているだろう。


 初主演作を喜んでくれた翔真なのにいきなり手のひらを返してきたのはどうして、と気に病みかねない。


 仕事面での出世、大学進学。

 それぞれが岐路に立つこの時期を逃せば芝居の稽古にずるずる付き合わされそう──うざくないと建前では言いながら、本音の翔真はそう思っているんじゃないか、なんて。

 あらぬ妄想をしかねない。


 付き合いがあるから言い出せないだけで、一般人の翔真に台詞練習は負担だったのかな、と過去について考える可能性だって。

 そんなこと、翔真はただの一瞬も思ったことないのに──

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