第4話 意味深の正体

 お祝いということで、卒業式当日の夕飯は焼肉だった。某チェーン店にて制限時間百分の戦。

 米や水分は控えめにしろ、元を取るのが最優先という親の指令へ忠実に。

 単価の高そうな肉メインで満たされた腹は、はち切れそうなほどに膨らんだ。


 翔真がその存在を思い出したのはその戦略的勝利からの帰宅後、日付が変わって夜中。身体に染み付いた油煙をシャワーで落とし終え、一息つきますかとベッドの淵に座ったときのことだった。


「……あ」


 タオルで髪の水分を飛ばす視界に紙袋。

 ツンと持ち手の立ったそれは今日の朝まではなかったもので、数時間前に暁と交わした会話がぶわぁっと蘇る。


 ──次出るドラマの原作。翔真に読んでおいてほしくて

 ──待って、開けないで!

 ──これは家で読んで


 沈めたばかりだが腰を上げ、翔真はそれへと手を伸ばす。


 翔真が台詞練習の助手となったのは高校に入学してから。最初に務めたのは暁の芸能活動復帰作となった学園ドラマ。暁演じるキャラクターの同級生役。

 割り当てられた台詞を体全体に叩き込み、ほぼ完璧な状態に仕上がった撮影数日前に最終チェック要員として翔真が駆り出される、そのとき暁からはというのが、それ以降、自分たちの間では恒例だったというのに。


「浮かれてんねぇ……」


 呟く唇は微笑ましさに緩んだ。


 わざわざ原作本を用意してくるなんて。帰り道の暁はすまし顔でいたけれど、よほど初主演が嬉しいんだろう。

 だけど紙袋は家に帰って開封することを強調し、あくまで翔真にはサプライズで知らせたいんだろう。


 可愛いところあるじゃん、と高揚したまま持ち手を割く。


 中は五冊も本が入っていた。どうりで重いわけだ。

 縦向きに並べて収納されているので装丁は見えないのだが、ページ上部の断面が細かく白黒だからどうやら漫画らしい。


 適当に一冊を取り出してあぐらをかいた。ギシギシとベッドを鳴らしながら、本格的に作品と向き合う体勢を作る。 


 暁の初主演作だ、その原作だ。

 ファンの翔真は心して読まないといけない。


 さーて、暁はどんな作品に──


「……うん?」


 反射で眉根が寄った。

 膝の上に置いた本へ向かい、鶏みたいに首を突き出して凝視してみる。

 表紙。その作画と構図。


 試しにぱちぱちと瞬いてみる。

 しかし異質感は異質感のまま。単行本サイズに描かれるのは、端正な男が端正な顔立ちの男に被さっているイラスト。

 

 表紙絵、絵……え?


 ──近くね?


 正直、この時点で違和感は感じていたのだが、翔真はかぶりを振って思考を削ぎ落とす。


 これは少女漫画なのかもしれない。それかレディースコミック。


 綺麗な男二人をどーん! と配置する、パンチの強い表紙にしたのは読者の興味を引くため、あるいは没入のためなのかも。女性向けの漫画について翔真が理解できなくたって別におかしくはない。だって触れたことがないから。


 とにかく、肝心なのは内容。


 読まないことには何も判断できないよなと湿る指先でページをめくるも、その手はいきなり止まることとなる。


 HOTELと書かれた電飾の外装。ドカ降りの雨みたいなシャワー。

 余白を埋めるほわほわもくもくした形のマークは荒い息遣いの漫符で、それらは汗ばむ男二人から発せられている。

 二人は熱っぽい瞳で互いを見つめあう。


 情報過多。

 ひとまず翔真は本を閉じた。


 顔を上げ、自室の四方八方へ落ち着きなく視線を彷徨わせる。勉強机。雑誌類が刺さったラック。壁にかけたマフラータオルは邦ロックバンドのグッズ。


 翔真は救いを求めたがそれらは雑然とした部屋の一部としてあり続けるだけで、視覚で触れた刺激は影送りみたいにべったり記憶に残って、チカチカチカチカと脳裏に浮かぶ。


 ──ヤッてる?


 おかしな予兆は感じとっているのに指先は漫画本を開き、無意識に紙を手繰っていた。


 次のページになると場面は変わり、表紙に出てきた男二人はベッドの上にて寄り添っている。


『ずっと探してたんだ、あなたみたいな人を』


 そう囁いた黒髪の頭を茶髪が撫でる。その細い指先から腕、肩、鎖骨、胸は一続き。

 くすぐったそうにする黒髪も同様だろう。滑らかなシーツはおそらく裸体を包んでいる。


『名前教えて?』


 黒髪が言い、


『……ガイ』


 茶髪が答えた。


『……ガイ、ガイ』


 黒髪は男の名前を宝物のように繰り返す。


『すごく気持ちよかったよ。ガイは?』


 隙間なく身体をくっつけながら問われて、ガイは返事の代わりに微笑む。そんなガイを黒髪は引き寄せて、


『抱かせてくれてありがとう』


「キ……!」


 声が出た。

 まぁ間に合ってはいないのだがこれ以上はないように手で口を押さえ、じわじわくる衝撃を翔真の中で受け止める。


 ガイが、黒髪に、キスをした。


 そのあとガイは黒髪の視線を受けながらベッドを抜け出し、床に落ちていたボクサーパンツを拾い上げる。やっぱりマッパだった。


『帰るの?』


 黒髪が寂しそうに問いかけるもガイは無視して帰り支度を続ける。Tシャツを被り、ベルトを締め、身なりを整えて出ていこうとするから、


『待って』


 黒髪が慌てて体を起こす。そして、


『ソラ! 僕の名前!』


 紙の中で黒髪が言う。


 ──あ、俺はソラっていう役だから。把握頼んだー


 頭の中で暁が言う。


「ソ、ラ」


 深夜。翔真は一人呟き、追い払おうとしてもできなかった疑惑を事実として認めた。


 主人公はガイ。そして、ソラ。

 きっとこの漫画に女の子は出てこない。出てきてもサブキャラ。


 はっと気づいたことがあり、翔真は本の表紙を自分に向けた。


『夜明けを君と過ごせたら』


 暁が出演する作品のタイトルをようやく知ると同時に、カバー下部にはド派手なピンク色の帯が巻かれていた。


 表紙イラストにばかり囚われていたが、そこには、


『年下ワンコ攻め✕ミステリアスな美人受け』

『エロくてエモい センセーショナルラブ!』


 の文字が。


 翔真はベッドに仰向けで倒れ込む。


「えぇ……」


 指先で眉骨の付け根を押さえて小刻みに揺する。一気に疲労感に襲われた。

 目眩がしてきそうで顔を覆うも、すぐそばには、勢いで放り投げた『夜明けを君と過ごせたら』。


 翔真は手に取り、もう一度表紙を眺める。


 綺麗な男たちと初見では大まかに認識していたイラストも、試し読み程度だが本編に目を通したので区別がつく。手前がガイで、奥がソラ。


 二人の状態を抱擁と判断したのはソラの手がガイの腰に回っているからだったのだが、空いている反対側の手を辿ると恋人繋ぎになっていた。冒頭に比べてしまうと、もはや驚きはない。


 必要以上に高い密着度も、今の翔真にはその意味がわかる。


 どうやら暁にはBLドラマのオファーが来たらしい。

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