第3話 怪しい漫画

「卒業式、参加しなきゃよかったかな」


 住宅街を並んで歩いているとき、突如、暁が後ろ向きなことを口にした。


「何それ、どういう意味」

「そのままの意味」

「はぁ?」

「まぁまぁ、そんな怒んないでよ」

「別に怒ってはないけど」


 翔真の声が低くなったのは、暁の発言が暁のマネジメントチームに対して無神経だといえたから。

 今日というのは天候の機嫌をうかがう必要がある屋外撮影を延期して、大人たちがどうにか捻出した一日、ハレの日だったんだろうに。


「なんかー、今日が卒業式だ、終わりなんだって思ったら急に寂しくなってさ」

「参加しなきゃよかったって?」

「うーん。気づかないうちに学生生活終わってたほうがよかったかも、かな」


 同じか、と暁は笑った。


「翔真はさ、友達と買い食いしたことある?」

「買い食い?」


 歩きながら、暁は車道沿いにあるコンビニを指した。


「どうだろう。あったんじゃない?」

「ふうん」

「え……何?」


 向こうから投げてきた質問なのに、つまらなさそうに相槌を打たれた意味が翔真にはわからない。


「憧れなんだ、買い食い」

「何だそれ。今からでもすれば?」

「それは違うよ。そういうことじゃない。シチュエーションが大事」

「シチュエーション?」

「学校帰りっていうのがいいんじゃん」


 そういう今だって学校帰りだが、暁はコンビニの前をすたすたと通り過ぎる。


「制服でどっか行きたい願望っていうのかな? 学生の青春って感じするから羨ましくて──」

「しようよ」


 歩む速度をぐんと早め、翔真は暁の前に回り込んだ。


「春休み、行こ。遊園地とかゲーセンとか制服で」

「明日からはもうコスプレでしょ」

「いやまだギリセーフ」


 たしか年度末の三月三十一日までは通っていた高校に籍が残るはず。

 だから今ならまだ仮装じゃないと言いたかったのに、暁は翔真を追い越して歩き出してしまう。


「春休みは忙しくなるからなー」


 わがままを諌めるみたいな口調に腹が立った。そんなことはないと暁の横へ並ぶも、


「翔真だってそうでしょ? 部屋の片付け全然できてないってお母さんから聞いたけど」


 確かな情報筋からのリークに返す言葉を見失う。


「いつ引っ越すの」

「四月の頭」

「大学の近く?」

「うん。そっちは」

「俺も同じくらいの時期」

「事務所の近くだったっけ? 新居遊び行っていい?」

「いいよ。荷解きで出た段ボール持って帰ってくれてもいいよ」

「やだわ」


 さりげなく雑用を押し付けてきたからウケた。


「でもそっか、今詰めてる荷物も来月にはまた出さなきゃいけないのか」

「はは、今気づいた?」

「うわぁー、面倒くさ。荷造りだけでも嫌になるのに」

「まぁ俺はもう終わったけどね」

「は?」


 急な裏切り。間抜け面を暁は笑った。


「元々持ってる物が俺は少なかっただけ。そっち手伝いに行くよ」

「……あざっす」


 気遣われてしまったなぁ、と思う。春休みは忙しいと言ったばかりなのに。


「俺らの関係ってずっと変わらないのかな?」


 ふいに暁が呟いた。


「当たり前だろ。これから先も俺らは友達」


 何を今さら、と笑いそうになりながら翔真は応じた。


「そっか」

「友達だし、俺は暁のファンだよ」

「……じゃあこれからも台詞練習手伝ってくれない?」


 いつの間にか立ち止まっていた暁との間には距離ができていて、翔真は振り返る。


「それはもちろん」

「本当?」

「おう」

「ありがとう」


 律儀。しみじみ思っているところに、


「はいこれ」


 暁が紙袋を差し出してきた。それは今日を通してずっと暁の手にあったもので、誰か──ぶっちゃけると女の子、からのプレゼントかと思っていたのだが。


「うわっ、何これ」


 受け取ったときのずしんとした重さに驚いた。


「次出るドラマの原作。翔真に読んでおいてほしくて」

「ドラマ?」

「うん」

「へぇ、おめでとう。何役?」

「……主演」


 暁は照れたように頭を掻いた。


「その、主演っていっても他の俳優とW主演だから俺だけってわけじゃ──」

「すごいじゃん!」


 大きな声が出てしまい、慌てて口を覆う。ここが閑静な場所であることを忘れて歓喜してしまった。


「主演? 暁が主演?」

「……うん」

「主演って主役?」

「そう」

「座長ってこと?」

「やめてよ、何で撮影前から圧かけてくんの」


 そう言って笑うのが俳優・宇部暁であるという前提を一度外し、翔真はフラットな視点で目の前の男を見つめてみた。


 暁の容姿は画面に映える。

 光を多く取り込む瞳。肉感の薄い鼻。すっきりとしているが、笑うと大きく開かれてチャーミングな唇。

 暁は佇むだけで華。かつ身長があるので、女優の隣に並ぶと可憐な花となって相手のビジュアルを引き立たせる。


 そりゃ当然、主演の依頼は来るだろう。予想はついていた。ただ翔真が思ったよりその時期が早く、不意をついた報告だったというだけ。


 もう一人俳優はいると謙遜したが、主演は主演だ。作品には暁がメインで映るということ。それはつまり暁の出番が多いということ──


「待って、開けないで!」

「え?」


 紙袋の持ち手を広げようとしたら手首を捕まれた。


「これは家で読んで」


 と、紙袋はみぞおちのあたりに押し付けられる。


「外に持ち運ぶのは禁止」

「……何で?」

「本にカバーかけてないから」

「俺いつもブックカバーなしで本読むけど?」


 翔真が潔癖でも几帳面でもないことは、暁こそよく知っているだろうに。

 暁は何か言いづらそうに唇を噛んだ。


「とにかく、これは家の中だけで読んで」

「いやその言ってることの──」

「家の中って言っても自分の部屋だけ。リビングとかは禁止」


 釘を差しながら暁は後ずさっていく。


「撮影は来月スタートだから、できるだけ早く読んどいてくれる?」

「おい、ちょっ」


 会話が噛み合うより先に暁の家に着いてしまった。三階建ての戸建て。

 瀟洒なデザインの門扉が翔真の前で閉まり、カシャンと暁がロックをかける。


「今回も役作りへの協力よろしくお願いします」


 仕切りの向こうでわざとらしく暁は敬礼をしてみせた。


「いやそれは構わないんだけど──」

「あ、俺はソラっていう役だから。把握頼んだー」

「ちょっ」


 のらりくらり。翔真の質問はことごとくはぐらかされた。

 郵便ポストを覗いて封筒や書類やらを回収すると、暁は天然石の玄関アプローチを進んでいってしまう。そのまま家に入る気らしい。ドアの前で立ち止まって鞄を開けだした。


 宇部の表札の前に残された翔真は渡された紙袋に目を落とした。

 すると、暁がこちらをじいっと見つめてくる。


「見てないから。じゃあな」


 ──変な奴、変な態度


 まぁでも、卒業式参加するんじゃなかったとか子供じみたことも言っていたし。

 ちょっとおセンチな気分になったんだろう。


 高校生活最後の日、自宅までの道のり。

 翔真は暁の態度をざっとそう総括した。

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