第6話 幼馴染は救世主②

 例のBL漫画について詮索されないよう、翔真が練った案はこう。


「そっちは? もう読んだ?」


 こちらに矢印が向かないように、質問攻撃を仕掛けてやるのだ。


「そりゃ、うん。今で三周目」

「三?」


 作戦ストップ。話は序盤だが聞き返す。


「一回目は普通に読者として。二回目はソラの立場で。三回目は役者として客観的に。表情の研究とかしてみたりね」

「へぇ……」


 相槌を打ちながら、暁が極めるというソラの場面を記憶から拾い上げてみる。


 ──ずっと探してた、あなたみたいな人を


 愛おしくて仕方ないという目。


 ──……ガイ、ガイ


 シーツにくるまりながら、男の名前を宝物のように連呼する唇。


 暁はどうやって演じるんだろう、唐突な疑問が湧く。


 休憩を挟みながら読んだ体感でいうとあの二人は十数ページに一回くらい交わっていた気がするが、暁が漫画を三周目というなら当該の場面を三回ずつは見たことになる。


 もし脚本が原作通りに作られるとしたら、暁はガイを抱く。ガイというか、ガイ役の男を。


 ガイを抱く自分を、抱くその光景を想像しながら暁は読んでいるんだろうか。

 演技とはいえ、自分の身に訪れる展開がわかっているというのはどんな気分なんだろう。


 性的なことに興味津々で、シックスという単語にさえ過剰反応する小中学生男子みたいな自分の思考が浅ましくて嫌気がさし、翔真はぶんぶんとかぶりを振った。出ていけよ煩悩。


 努力する翔真の一方で、


「どうしたらいいんだろう」


 悩ましげな暁の呟きに、集中のため閉じたばかりのまぶたが開く。


「どうしたら俺はソラになれるのかな」

「……は?」


 は? の母音『あ』の口のまま、翔真はあんぐりフリーズする。


 少し視線を伸ばせば暁が開きっぱなしの『夜明けを君と過ごせたら』の紙面を覗くことができ、そこでは主人公二人によるお熱い展開が繰り広げられている。


 顎元に手を添え、社会生活でそこまでする必要ない近さでソラを見つめて、ガイは言う。


『俺のこと見て、いやらしいこと考えてたんだろう?』

『馬鹿だなぁ……でももっと、俺に狂って離れられなくなればいい』


 冷たく発せられるガイの言葉なのにソラはまんざらでもなく、というかむしろ揶揄われたことに喜んでいる。


 ──え、暁ってもしかして


「ドМ?」

「はい?」

「暁は貶されるのが好きなのか?」

「けなされる……?」

「いや、その何だ。俺はいいんだよ、別に気にしない。蔑まれたい願望みたいな、そういうのがお前にあっても──」

「ねぇ、さっきから何言ってんの?」


 心底意味不明という顔を向けられた。


「もうちょっと体絞ったほうがいいかな、って話してるんだけど」


 あ、なんだ。ビジュアルの相談。


 ほっとした。親友の知られざる一面を知ることになるのかと思って身構えたのだが、そういえば最近暁は痩せたかもしれない。特に顎からエラのラインにかけて。


「この俳優知ってる?」


 翔真にダイエットの話は通じないと思ったのかソラに関する話題はいつの間にか終わり、次に暁は若い男が映るスマホを見せてきた。


「誰そいつ」

「平岡伊織っていう人。ガイ役の」


 ──ガイ? これが?


 正体を明らかになったことで、今一度翔真はその顔面を観察する。


 都心のお洒落スポットのベンチに足を組んで座り、コーヒーのホットカップ片手にナチュラル──と見せかけて自分が一番盛れる角度──な表情で男はたたずんでいる。

 ずっと顔の左半分ばかりカメラに向けているから右面が気に入らないのかと思ったが、暁がスライドして表示した別アングルの写真はどれも変わらない完成度だった。


 なんかムカつくな、悔しい。そう思うのはその男がイケメンであるから。

 動いているところを見たら違う印象を受けるんだろうが、写真だけだとスカした雰囲気がした。


 その点でいうと平岡という俳優はガイ役に適しているかもしれない。


 ガイとは、ソラが自分に対して抱く恋心をわかっていながらつれない態度でソラをたぶらかすキャラクターなのだ。


 暁の役だと前情報で知っているから読者であるとき翔真はすっかりソラに肩入れしていて、気持ちをもて遊ぶガイのことは厳しい目線で見させてもらっている。


 暁がスマホを下げる直前、翔真は滑り込みで『@hiraoka.iori_official』というSNSアカウントのユーザーネームを記憶した。

 ふん、単純な文字列なんだな。けしからん男め。


「俺らの二個上で、事務所の先輩にあたる人で」

「へぇ」

「この人はこれからブレイクする」


 暁の断言には思わずツッコむ。


「何でそんなことわかるんだよ」

「だって伊織さんは去年の特撮ライダーだったから」

「ライダー?」

「『ライダー閃光フラッシュ』の主人公」


 知っていて常識のニュアンスな暁だが、知らない。ライダー作品は翔真が小学校低学年かそれ以前に卒業したきりだ。


「特撮もBLも、今じゃ若手俳優の登竜門なんだよ」

「ふうん、そうなんだ」

「だってメイン視聴者は女の人じゃん」

「特撮は違うだろ」

「なんで。子どものお母さんが観てる」


 なるほどそっち。


「最近の流れ的に伊織さんがBL出るのは確定コースって思ってたけど、同じ事務所から俺もとは思わなかったな」

「珍しいんだ?」

「今はBLドラマ戦国時代だからさ。希望が通るとは思わなかったよねー」

「……え?」

「え?」


 翔真は今、何を耳にした。


「……自分からBLに出たいって言ったのか?」

「そうー」


 おざなりに答えは返ってきて、暁は漫画を読み続けている。


「なんで?」

「なんでって?」

「前に言ってただろ。俺には恋愛系の作品向いてないって」


 暁が過去に共演した俳優が少女漫画原作の映画で主演を務めたときだ。

 劇中の胸キュン台詞を言わされる舞台挨拶の場面が朝のエンタメニュースで放送された日があって、それを観たらしい登校中の暁は苦い顔をしたのだった。

 あれは根性だ、俺にはできない、恋愛系無理かも、と。


「もう学生も終わったし、いろいろと見つめ直していこうかなって。幅広いジャンルに出ようって気変わったんだよ」


 さらりと暁は言うのだが、


 ──何きっかけ?


 悶々としていると翔真のスマホが鳴った。

 長いこと着信を知らせるそれに「出れば?」と暁が振り返る。


 話はここでうやむやになる予想がついて、間の悪い電話だなと思いながらスマホを手に取ったのだが、表示される名前を見て、翔真はさっと気持ちを切り替える。


「もしもし」

『──あっ、お忙しいところ失礼いたします。わたくし、エイデイ不動産◯✕店の中田と申します。こちら高山翔真様のお電話でお間違えないでしょうか?」


 端末を耳に添えたとたん、歌うように滑らかなな男の声が流れ込んできた。


「はい。そうです」

『高山様、いつもお世話になっております』

「こちらこそおせわ……はい、お世話になってます……」


 にやにやと暁が見てくる。ぎこちない敬語を面白がっているのだ。

 引っ越しの担当者である不動産会社の社員中田と通話しながら、翔真はその目線を手で追い払う。


『お電話させていただきましたのが転居先に関してのご相談になるんですけれども、高山様、ただいまお時間大丈夫でしょうか?』

「はい大丈夫ですよ」


 おい、暁、見んな。しっしっしっ。


「あの、どうかしましたか?」

『それが……大変申し上げにくいのですが』


 うざい、だるい、鬱陶しい。しっしっしっ──


「え」


 翔真が短音を漏らしたあと、緩んでいた暁の唇は徐々に徐々に下降していく。

 固まる翔真の様子に、異変を感じているのだ。


「どうした?」


 通話終了後、暁がすぐさまたずねてきた。


「なんか問題あったの?」

「やばいかもしれん」

「え?」

「俺、引っ越しできないかも」

「……はぁ!?」

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