第7話 急転直下

 夕飯の時間を延期し、緊急で開かれた家族会議は母親を議長として執り行われていく。


「どういうこと」

「だからトラブルが起きて新居に入居できなくなっ、た」


 語尾にかけて翔真の声はしぼんでいき、反対に母親の不機嫌は膨れていく。


「あんた人が帰ってきて早々いい加減に──」

「知らないよ!」


 たまらず声を荒げた。


「俺もさっき急に電話で言われてパニクってんだってば!」


 取り乱す姿に母親はため息をついた。


「……それまでに怪しいとか思わなかったの」

「思わなかった」

「前に会ったときエイデイの人が言ってたのよね? 四月から入居可能ですって」

「言ってたよ」

「来週で契約成立って、それお兄ちゃんの勘違いだったんじゃない?」

「そんなわけないだろ……」


 スマホが本体な妹までもが罵りに参戦してきて、翔真はぐうっと頭を抱える。


「だってありえなくない? すでに誰かと契約が決まってる部屋を紹介されて、向こうがミスに気づいたら『あ、やっぱ話はなかったことに』って」

「まぁでも今は不動産屋も繁忙期だろうから、うっかり手違いが発生することだって──」

「お父さんは静かにしてて」


 母親にぴしゃりと言われ、口論の輪に半身だけを入れて、父親はすごすごと抜けていった。

 たしなめる以外の方法でこの場を収めるにはと知恵を絞ったのか、そのあと父親は台所の流し台へとふらり向かったのだが、


「水道」

「……はい」


 今度は家事における無知で母親の苛立ちをさらに増幅させてしまう。

 普段はしない洗い物。出しすぎだった水量は調節によって少なすぎとなり、シンクを叩きつける水の音がジョロジョロジョロジョロとリビングにまで響いてくる。


 これ以上の火種を作るのは勘弁してほしい。


「来月からは大学が始まるのよ。どうするつもり」

「……新しい部屋探すよ」

「探す?」

「そう、今の時点で空いてる大学近くの物件」

「今からなんて見つかるわけない」

「は?」

「翔真ね──」

「なんでそんなこと言うんだよ」


 母親の言い方にはむっとした。


「見つかるか見つからないかは知らないけど、こうなったらとりあえず行動するしかないじゃん。ここで揉めたってどうにもならない。元の部屋はもう誰かのものなんだし」

「あんた自分が置かれてる状況わかってる?」

「わかってる。だから動き出しましょうって話してんだよ。とりあえず明日の朝一で不動産屋に行って中田さんと話して、別の物件見つかるのを待つ」

「待つって、そんな悠長なこと言ってる場合じゃないでしょう! もし来月までに部屋の契約が間に合わなかったらどうするの?」

「そのときは……野宿でも」

「……」


 やかましかった母親がついに黙り込む。


 ──やっべ、スイッチ入った


「あの部屋だって何件も何件も物件比較してようやく決めた部屋だったのよ? 入学式まであと何日?」

「あと三週……いや、二週間か。二週間と──」

「どっちでもいいわよ!」


 ガシャン!


 食器同士のぶつかる音。母親が出した大声に父親が手を滑らせた。


「だいたい、不動産屋に行くところからして遅かったのよね。あのへんは大学が多くて、いい部屋はすぐに埋まっちゃうだろうから受験終わったらすぐに物件探し始めなさいって、去年からずっと言ってたわよね?」

「……はい」

「あんた、二月三月何してた?」

「……それまでできなかったゲームとか、あとは遊びに行ったり。暁に誘われて」

「暁くんの名前出さないでくれる? この件に暁くんは全然関係ないから」


 ──強火オタクか


「でも! ずっとだらだら過ごしてたわけではなくて、荷造りもちょっとずつは──」

「荷造りもそう。前々から口酸っぱくあんたには言ってたはずよ、計画的にしなさいって」

「……ですね」

「このやりとりは前にもしました」

「……そう、でしたっけ」

「中学卒業したときよ!」


 すさまじき威力。うるせぇ……と翔真は後ろへ仰け反る。人間の声ってハウリングするっけ?


「最初に注意した三年前にきっちり片付けをしてたら今になって大がかりな掃除する必要なかったよね。あの部屋は何。さっき覗いたけど、足の踏み場もないじゃない。『一人暮らしに持っていく荷物なんて少ないから──』とか偉そうに言って呑気にしてたけど、どこが? 結局暁くんにまで迷惑かけて……。普段から物事には優先順位をつけなさいって言ってるよね、聞き覚えあるよね。そのたびにあんたは『はいはい』って適当な返事して──」

「あ、あの!」


 母親の口が止まる。

 妹がスマホから顔を上げた。台所方面を見る。

 そこにいる父親は皿拭きの手をぴたりと止めたまま突っ立っていて、全員の注目を浴びながら控えめに挙手をしているのは暁だ。


「すまん、いるの忘れてた」

「だと思った」


 暁は苦笑する。夕食前で帰る予定だったのだが、始まった揉め事にお暇するタイミングを失くしたらしい。


「ごめんね暁くん、翔真の問題に巻き込んじゃって」

「いえ、それは全然……」


 いつから父親を手伝っていたのか。ようやく消火した母親に応じながら、暁は濡れたふきんを流し台近くのバーにかけた。縁が黄色は食器用で、青色が台拭き用。

 暁は高山家を把握しすぎている。そして、溶け込みすぎている。


「あぁ、それで暁くん……何?」

「これって、翔真が住むところが見つかれば問題解決ってことですよね?」

「まぁ……」

「僕、一人暮らしするんです」

「うん、前に言ってたね」

「どうですか?」

「どうですかって?」


 母親に投げられた提案を横から拾い、改めて問い直しながら翔真は暁に寄った。

 すると暁は翔真を見て、


「俺と一緒に住まない?」

「え?」

「俺と一緒に住もう」

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