【Ep1】
第1話 スターの日常
台詞と筋書きが揃ったなら、教室はたちまちビルの屋上に様変わり。
風吹き付けるそこには、均衡を保ちながら対峙する二人の男が。
「落ち着け、今なら引き返せる」
刑事は必死の説得を試みる。
「うるせぇ。それ以上近づいてみろ、俺は容赦しない」
少年は刑事に包丁を向けた。しかし刑事は動じない。
「冷静になれ。そんなことをしても父親は帰ってこないんだ」
「……黙れ」
「お前は小さいころ、数学オリンピックに出場したことがあるそうだな」
「それが何だ」
「本当は秀才なんだろう? 人生は絶望ばかりと思うかもしれないけど、お前には権利がある」
「権利?」
「あぁ、まだ間に合うんだ。真面目に勉強をして学校へ行ったら、お前は今からでも真っ当な道を歩むことが……」
「黙れ!」
力の限り叫ぶと、少年は自身の喉元へ包丁を突き立てた。
「勉強をして学校に通ったら真人間? ふざけんなよ! あいつらの姿を見ても同じことが言えるのか? 金儲けと自分のキャリアしか眼中にないクソどもじゃねぇか!」
接近を試みた刑事に向け、少年は包丁を差し出すことで制する。
刑事は手を挙げて立ち止まった。少年は再び、自身の首筋に刃先を立てる。
「父さんの病気は利用されたんだ。目先の利益のためだったから医療ミスはなかったことにされて、死因も改ざんされた」
早口でまくし立てたあと、糸がぷつんと切れたみたいに少年は笑いだす。
「……もういいや、俺が犯人です。事件は全部俺が起こしました」
「おいお前、何を考えている」
「刑事さんの言う通りですね、父さんは帰ってこない」
「止めろ、その手を離せ……!」
「俺ももう、前の自分には戻れない」
自嘲的に呟き、少年は天を仰いだ。
閉じたまぶたの裏には生前の父親が思い浮かび、少年は静かに一筋の涙を流す──
*
「どう? 間違ってるとこあった?」
「ない」
「ほんと?」
「ノーミス」
よかったと喜ぶ
手渡しで
「天才少年ハッカーの役だっけ?」
「そ、父親を巻き込んだ医療事故を隠蔽する大学病院に復讐を仕掛ける美しき天才少年ハッカー」
「自分で言うな」
「だってそう書いてるんだもーん」
口を尖らせ、暁は台本をめくった。
「暁がハッカー役ねぇ?」
「笑えるでしょ?」
「機械音痴のくせにって思う」
「ほんと、パソコンとか普段こんなだよ」
そう言って暁は翔真の視線を注目させると、人差し指二本でポチポチ空中をタイピングしてみせる。
「でもこれブラインドタッチ」と補足でも笑いを誘ってきた。そんな暁が不慣れなのはパソコンのみならず、スマホのロック画面でさえ初期設定のままであることを翔真は知っている。
「ごめんね」
ぽつりと暁が呟いた。
「何が?」
「今日みたいな日まで台詞練習に付き合わせちゃって」
と、顎を引いて目線を下げる。ブレザーの胸ポケットに飾られる紅白の花は造り物だが、暁が申し訳なさそうにするものだから心なしか萎れたように見えてくる。
「謝ることないだろ。台詞練習にはいつも付き合ってるんだし」
「それはそうなんだけど」
「撮影明日だっけ。頑張れよ」
月曜十時枠のドラマ。暁はゲスト出演者。放送は来月だと聞いた。
本来の予定では今日も撮影日であったのだが、うまいことスケジュール調整がついたらしい。
それはどうにか卒業式には参加させてあげたいという事務所の計らいだ。暁の高校生活は一般的な三年間とはいかなかったから。
本来のメインイベントである式典と最後のホームルームを終えた現在、正午すぎ。
モラトリアムの教室に残っては机に腰掛けて、翔真と暁は思い出話に花を咲かせているところだった。
するとそこに、
「宇部くん! 一緒に写真撮ろう!」
「色紙にサイン書いてくれない?」
見れば教室前方の開いた入口に同級生の男女数人がいて、夢中な感じで暁を手招いている。
彼らの視界にまるで翔真は入っていない。
母親譲りで背だけが周りより頭一つぶん高いだけで、その他はザ平均点な見た目。登下校の電車とか部活の大会とか、高校生の集団に一人はいそう。
美容液塗ってるでしょと女友達に指摘される目元(まつ毛育毛はしていない)が特徴だが、前髪でその印象は薄れるし、遠目にその濃さはわからない。
それにしてもあからさまなだなぁと疎外感を感じていると、暁が困ったように翔真を見た。
──どうしたらいい?
瞳の虹彩にSOSの文字が読み取れる。
──行ってきてあげたら?
うなずきとアイコンタクトで翔真は促したが、
「待って、暁」
「ん?」
「いつも言ってるけど、写真は──」
「できるだけ大人数で。 特に女子とはツーショット禁止」
「サインするなら──」
「色紙じゃなくてその子の持ち物に書け、でしょ?」
「そう。てんば……」
「転売禁止のために」
ハモったあと追い越され、言葉尻は乗っ取られた。
呆れたように暁は眉を下げる。
「わかってるって。行ってきます」
立ち去る後ろ姿に表情はわからないが、にこっと笑いかけたんだろう。ゆっくり歩み寄る暁に同級生たちはわあっと湧いた。
記者会見のように取り囲んで話しかける。暁の姿をどうにか画角に収めようと、馴れ馴れしく体を引っ付けてスマホのシャッターを切る。
何枚も何枚も。
同じ角度と向きで、似たような角度と向きで。
きゃっきゃとアホみたいに盛り上がる集団のうち、暁との直接的な交流があったのは何人。
突撃して、そう翔真はたずねてやりたい。
まぁゼロだろうなと概算を弾き出した興ざめの視界で、暁は流行りのポーズを取らされていた。門出だから許されるだろうと毛先を巻いた派手目の女子が複雑な指の形をレクチャーしている。
パターン
チャラついた学生ノリが苦手な暁だ。
ギャルピースを自ら進んでやるわけがないので、傍目にも察する。断れなかったんだ。
それは暁の優しい性格上でもあり、少なからずの予測も働いたはず。
今でこそオーバーな喜び方と騒ぎようで暁を囃し立てるミーハーたちだが、これがもし写真撮影を拒まれていたなら。
昨日の味方は今日の敵という。
どんなふうにこのエピソードを語りだすかわからない。親睦なんて一つもなかったくせに、知人やクラスメイトだったとホラを吹くかもしれない。
同校生徒であるのは事実であるから妙に信憑性は増して、ややこしい感じで噂は広まりかねない。
写真を撮る数秒間の恥と、何年にも渡って懸念される余波とを天秤にかけたとき、無難に選ぶは後者だ。暁もそう思ったんだろう。
「……演技だと思って頑張れ」
耐えろ暁。今のお前は流行に乗っかる男子高校生、の役だ。
翔真は内心でエールを送る。
全くこれが日常茶飯事なんだから、芸能人というのも大変な職業だ。
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