幕間 サクラの涙
サクラは皆に取り囲まれると、ジャケットを頭から取り、それでぐいと自分の顔を拭いて立ち上がった。それ俺のジャケット、とツッコミでもすればよかったのかもしれないが、現れたサクラの顔がいつも通りに戻っているのを見ると、茶化してはいけないような気がした。イマドキでカッコよかった横須賀基地は瓦礫と化し、俺たちは三階の大会議室にいたはずだが、崩れに崩れてもう何階の高さにいるのかもわからなかった。
「サクラくん! 無事か!!!」
瓦礫の隙間を縫うようにして、渡辺大佐がこちらに駆けて来る。サクラは俺の方をちらりと見たが、何も言わずに大佐の方に向き直った。
「大佐……ごめんなさい、あいつを逃がしてしまいました」
「何を言っているんだ、たった一人でよく耐えた!!! 君は世界の英雄だぞ!!!」
「……はい」
「それにしてもボロボロじゃないか、治療もそうだが先に着替えたまえ! 私の服を貸そう、宿舎は無事だから、誰かに……おーい!」
渡辺大佐は叫びながらどこかに走って行って、瓦礫の中で作業している隊員に何か指示を出す。ぼんやりと立っているだけのサクラの周りは、今度は魔法少女たちが集まってくる。
「あっ、あのっ、ブシドー・サクラさん、ありがとうございました!」
「私っ、ヒーリング系の魔法が使えるのでっ、痛いところ言ってください!」
「え……」
緑の魔法少女服を着た小柄な子にそう言われ、サクラは目を見開く。
「でも……」
「お願い、やらせてください」
「私もヒーリングできます!」
「私も!」
水色やら、黄色やら、ピンクやら、他の色の子達も集まってサクラを取り囲んだ。手のひらをサクラに向かってかざすと、黄色っぽい温かな光が現れて、じんわりとサクラを包んでいく。サクラは光に包まれた自分の手のひらを見て、肩やら腹やらをぺたぺたと触って、すごい、と声を上げた。
「魔法で、こんなことが出来るんだ」
「サクラさんの方がすごいですっ!」
緑の子が涙声でそう言い返す。
「言葉を話すアザーズなんて初めてじゃないですか! しかもあんな筋肉ゴリゴリで、アリサちゃんが一撃で吹き飛ばされちゃうくらい強くて……! でも、サクラさんだけ、真っ直ぐ立ち向かっていって、私、他のアザーズも大きくて怖くて、……だから、ごめんなさい、役立たずだったからせめて回復だけでもって思って……!」
緑の子はそのままぼろぼろと涙を流して泣き崩れてしまった。他の子達が私も、私もだよ、と言いながら泣いている。うええ、と嗚咽が漏れる泣き方がいかにも子供で、俺はつられて鼻をぐすりとすすった。そうだよな、魔法少女やってるこの子たちはみんな女子中学生なんだ。アリサのようにキャリアが長くて高校生の子もいるにはいるが、力が弱まったり、やはり恐ろしい魔物と戦い続けるのが限界になってしまう子もいるらしい。怖いよな、あんなでかい化け物。オッサンの俺だって怖かったよ。
「全然、役立たずじゃないよ。ありがとう」
サクラがいつものように笑っている。魔法少女たちはみんな感激してサクラに抱き着いて、大声を上げて泣く。……サクラ。お前だって、泣いてたじゃねえか。前に悔しい時にしか泣かないって言ってたよな? 地球を守れたことより、自分が勝てなかったから悔しいなんて……お前らしいよ。地球守れたからそれでいいや、じゃなくて、自分の決めたゴールに届かないからって……お前まだ中学生だろ。それなのに地球の運命とか背負わされてさ、ボロボロになるまで戦って、それでもまだ悔しいって……お前本当に武士だな? 武士なんだな? なあ、サクラ……。
「何泣いてんのよ」
不意に声をかけられて俺は我に返った。目の前に立っているのは金髪に赤い服の魔法少女──アリサだ。
「泣いてねえっ……」
「スマホ返して」
アリサは潰れた黒光りする例の虫でも見るような目で俺を見ると、ずいと目の前に手を差し出してきた。それで俺は、アリサのスマホをずっと手に握ったままだったのを思い出す。俺よくこの状態でトランプ飛ばしやってたな……。俺が呆然としていると、アリサはため息をついて俺の手からスマホをもぎ取った。何度か操作するとカメラを自分の顔の前に構える。
「……みんな、心配かけちゃってごめんなさい! アリサもみんなも本当に本当にびっくりしたけど、なんとかアザーズを追い払うことが出来ました……!」
こいつ、この期に及んでまだ配信してんのか。さすがランキング一位の魔法少女はプロ根性が違うな。俺が自分の腕でぐしゃぐしゃの顔を拭くのを横目に、アリサは百点満点のスマイルで話し続ける。
「コメントとスパチャはあとでゆっくり見させてもらうね! 詳しいことは地球防衛軍から発表があるから忘れずにチェックだよ? みんな不安だろうけど、アリサと一緒に待ってようね! 約束だよ!」
笑っているアリサの顔はいつも通り綺麗だが、よく見るとスマホを持っている手や画面に映らない足は汚れていたり擦り傷かすり傷だらけだ。……配信に映るところだけ綺麗にしたってことなのか?
「それじゃあ、またね~! Stay Kawaii!」
アリサは最後の決め台詞とキメ顔をばっちり決めると、スマホの配信を切った。その瞬間に盛大にため息をついてがっくりと肩を落とす。それから俺の目の前までつかつかと大股に歩いてくると、やけに尊大な様子で腕組みをして俺を見下ろした。……ちくしょう、こいつ俺より背が高い。
「ねえ……ナオ、さん」
「あい、なんですかね」
俺は愛想笑いもせずに応じる。アザーズ来襲でうやむやになってたが、こいつが直前にギャーギャー言ってた内容を俺は忘れちゃいねえぞ? アリサは口をひん曲げて唸ったが、めちゃくちゃ固いジャムの瓶を開けようとしてる時みたいな顔で、ゆっくりと口を開いた。
「その……いつも……ああなの?」
「は?」
「だから……その……」
あれだけ威勢のいい啖呵を切っていたアリサが、俺が首を傾げただけでびくりと震えて戦慄く。ちらちらとあたりを──サクラの方を見て何か言いたそうに、でも何も言わずに顔中をいかつくして口ごもっている。
「……んだよ、用事があるならはっきり言えよ」
「……っ、だっ、だから……!」
「ナオ」
サクラがこちらに向かって歩いてきて俺に声をかけた。その後ろにぞろぞろと魔法少女たちがついてくる。ヒーリング魔法がよく効いたみたいで、服はボロボロだけど見えるところの痣はなくなったし顔色もぐっと良くなった。
「サクラ……」
「ぴゃうっ!?」
何故かアリサがけったいな声を上げ、顔を真っ赤にしてその場から飛び退る。俺とサクラがアリサの方を見ると、アリサは脱兎のごとく走り去っていった。……何なんだアイツ。
「これ」
サクラは手に持っていた俺のジャケットを、申し訳なさそうに差し出してきた。
「ごめん、汚した」
「ああ、いいよそんなの」
「あのね、ナオ」
俺は自分のジャケットを掴んだが、サクラの手はそこから離れなかった。
「……サクラは、強ければそれでいいって思ってた。強くなってどんな敵でも倒せれば問題ないって……ナオの言うこと、聞かなかった」
「……んー、まあ、うん」
俺は笑えばいいのかどうか迷って、曖昧な顔と声になる。サクラの澄んだ眼差しが、真っ直ぐにチビの俺を見つめている。
「でも……ナオの言うこと聞いて、与一の弓だけじゃなくて、いろんな武器を作ってたら。アリサさんの真似をして、シールドとかを使えてたら。今日この場で、レグルスに勝ててたかもしれない」
「……サクラ……」
周りの魔法少女たちが、心配そうな顔でサクラを見上げている。離れたところに立ち止まったアリサが、チラチラとこちらを窺っているのが分かる。
「サクラは……強くなりたい」
瓦礫の上を流れてきた風が、サクラのボロボロの服とポニーテールをはためかせる。前を向いている瞳からまた一粒だけ涙が零れ、ひときわ強い風に飛ばされていく。
「誰にも負けないくらい、みんなを守れるくらい、強く」
「……そうだな」
「だからナオ……これからも、一緒に考えて欲しい。サクラが強くなる方法」
「……ん」
俺はサクラの手をぽんぽんと叩くと、握ったままのジャケットを引き抜いた。見上げるほどバカでかい、筋肉隆々の女子中学生を見上げる。ああ、背景の青空が眩しい。でもサクラ、お前の目が真っ直ぐで、俺にはその方が眩しいよ。感傷に浸っているのがバレないように、俺は得意の営業全開のスマイルを浮かべて見せた。
「それじゃまずは、道着やめて可愛い衣装からだな!」
サクラは空になった手を引っ込めて、ぱちくりと瞬きをし──
「それは嫌」
そう言って笑うと、ばしんと俺の肩を力任せに叩いた。俺は力負けしてその場にべしゃりと叩きつけられる。
「……ってーな! おいコラサクラ! 言うこと聞くって言ったばっかりだろが!」
「服の話はしてない」
「形から入るのも大事だっつってんだろ!」
「知らない、ナオうるさい」
「てめーこのやろー!」
俺はがばりと立ち上がるとサクラに殴りかかる。サクラは笑いながらそれを受けていなし、また床に叩きつけた。俺は唸りながら立ち上がり、頭をがりがりと掻いて盛大にため息をつく。サクラはもう叩いて来ず、壊滅した横須賀基地をじっと見降ろしていた。
その眼差しが誰よりも強く美しく見えたのは、当分誰にも言わないでおこうと思った。
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