第3話 サクラの武器、ナオの武器 ① ナオ酔っ払う

 手にしたスマホの画面、俺のSNSの手品アカウントのタイムラインに「ヒーローとヒロイン」と銘打たれたショート動画が表示される。


「…………」


 何も操作しなくても、数秒スクロールを止めてしまったので動画再生が始まった。わらび餅みたいな透け感あるぶよぶよしたアザーズが爆散して映像が乱れる。


[あぐっ……]


 どう聞いてもオッサンとしか思えない汚らしい呻き声がする。カメラは撮影者の手を離れて少し離れたところに落ちたようで、地面に倒れ伏す哀れなオッサンが呻く顔が画面の端の方に映り込んでいる。


[ナオッ!!!???]


 女の子極まりない声がして、だがしかしガチムチのどちゃくそイケメンがフレームインした。イケメンは奇跡としか思えない美しい角度で倒れ伏す小さいオッサンを軽々とお姫様抱っこする。りんごどころか岩だって握りつぶせそうな分厚くい手がカメラに伸びてきて、そのままひゅばっと飛び上がり、視界が開けた。


[大丈夫!?]

[……サクラ……]


 ……カメラ離してない俺さすがと思ってたけど、サクラが拾ってたんだな。ちくしょう余裕綽々じゃないかよぉ……。


[ここにいて!]


 画角が斜めのカメラに舞宙術で飛び立つイケメンが映り、フレームアウトしたところでショート動画は終わった。俺はいつものキッチンのテーブルに座り、ストロング缶をぐびりと飲んでから自分のスマホを睨む。スマホに罪はない。でもアルコールが回った俺の脳は、憎き動画を拡散せしめるこいつをぶん投げてバッキバキにしてしまえと囁きかける。いやいやいやスマホ投げるのはダメだろ、一台いくらすると思ってんだ。ワゴンだって大破して保険降りるか分かんねえのに、余計な出費増やしちゃいかんだろ。


「……くっそぉ……」


 俺はぐびぐびとストロング缶を水みたいに飲んでスマホをスクロールする。どこの誰とも知らないショート動画の転載はいいねもシェアも数万を超えていて、コメントもものすごい数だった。イケメンがすぎる。こんなんされたら惚れちゃう。女の子カワイイ。ハスキーボイス系女子。この子魔法少女ってホント? 空手家の方が魔法少女。ナオたん可愛い。ナオって呼び方がイケボすぎてやばい。名前呼びながら飛んでくるの、特撮のヒーローすぎる。画角がよすぎるからAI生成。魔法少女のリアル配信だよ、URLは……俺はコメントをスクロールするのをやめて、ばたんとテーブルに突っ伏した。


「ちくしょおぉぉ俺は女じゃねえってのぉぉ……」

「……嫌なら見なきゃいいのに」

「うるせえ……」


 対面に筋肉を折りたたむようにして行儀よく座ったサクラが、呆れているのを隠しもせずにぼやく。作戦会議だからと土曜の午前に家にやってきたサクラを出迎えたのは、金曜夜から一人ヤケ酒で飲んだくれていた俺様こと紀伊国直虎だ。


「俺の名前は直虎だっての! なーおーとーら! 日本男児!」

「井伊直虎は女性だったけどね」

「うるせえ城主になるから男の名前つけたんだろが! サクラお前次から俺のこと直虎って呼べよ!!!」

「えー……?」


 今週はゴールデンウィークなのでサクラのお母さんはプロテイン柏餅を持たせてくれたようだ。だが飲んだくれて二日酔いの俺は迎え酒でもしないことにはやってられない。かくして俺は女子中学生の前で酒を飲んでべろべろに酔うという醜態を晒し、いただいた柏餅を横目にさきイカをつまみにしている体たらくだ。


「なんなんだよどいつもこいつも女おんなオンナ女やっかましいんだよ! どっからどう見たって男だろうが!」

「でもコメントいっぱい来たよ」

「あー来たね来たよしょーもないのばっかりな!」

「バズったって言うんでしょ? 転載されてびっくりした」

「今俺が見てたやつみたいにな!!!」


 突っ伏したままでろでろ怒鳴り返す俺を見て、サクラは首を傾げる。転載動画も本家ブシドー・サクラの戦闘配信アーカイブも、ナオ可愛いサクライケメンのコメントで溢れ返っている。PV総数は俺のチャンネルの歴代一位も一瞬で抜き去って、数日たった今でもちょいちょいコメントが届く。


「コメント、ない方がいいの?」

「それはどんなんだってあったほうがいいに決まってるだろお……」

「じゃ、何で怒ってるの?」

「……俺のこと女っていうからに決まってるだろお!? 俺は男だっつってんだろうが!」


 俺はがばりと起き上がると、ごっごっごっとストロング缶を一気にストロングに飲み干した。金曜日にきっちり掃除するはずの家はとっちらかって、シンクには酒の缶とコンビニ飯のゴミがごっそり積み上げられている。


「コメントはなあ! なんだってなあ! 有難いよ大歓迎なんだよ! でも俺はなあ! サクラのチャンネルがなあ! 俺が女だどうだってくだらねえ内容でバズッちまったのが情けねえんだよお!」

「……なんでも大歓迎なら、気にしなきゃいいのに」

「うるせえよぉ……」


 俺は酔いが回ってまたテーブルに突っ伏した。サクラが置きっぱなしのミネラルウォーターのペットボトルのふたを開けて、俺のマグカップになみなみと注いでくれる。頼んだ覚えはないが気を遣ってくれたようだ。


「ありがとな……サクラのお母さん、お嬢さんはなんて気が利くいい子なんでしょう。そしてあなたのプロテインおやつのせいでこんなにも立派なマッスルでいらっしゃいます」

「ナオうるさい」

「大体なあ、サクラが道着なんて来てイケメンムーブかましてばっかりだから勘違いされたんだろお?」


 俺はまた何とか身体を起こして入れてもらった水を飲む。心も頭もふわふわぐるぐるして、思いつく端から喋らずにはいられない。


「女の子で魔法少女なんだから、動きやすいとか気にしないでおしゃれ一直線に可愛いの着ればいいじゃねえか。見てみろアリサ・ピュアハートなんか、ぴゃーっとしてぷわーっとしてびゃーっとしてるぞ?」

「すごい言いがかり来た」

「うるせえサクラ」


 俺が毒づくと、サクラはくすくす笑いながら柏餅の葉っぱを剥がした。手に対して柏餅が小さすぎて、ハムスターがヒマワリの種を食べるみたいになっている。俺がチビでこいつがマッスルとか男女逆転もいいとこだよな。


「本当、気にしなきゃいいのに。サクラもよく男って言われるよ」

「ぶふっ!?」


 脳内を読まれたかのようなサクラの台詞に俺は思わず吹き出した。


「……だーろぉ!? もうマジざっけんなって、むかつくだろお!?」

「全然」


 サクラは柏餅を一口で食べてしまうと、ゆっくりじっくりと味わい、マグカップに入っているペットボトル緑茶をしみじみと飲んだ。その様子を俺がじっと見ていても泰然としていてなんかちょっとムカつく。


「見てくれや人の意見に左右されるのは、自分の心が定まっていないからだよ」


 サクラの澄んで真っ直ぐな瞳が、酔いどれていじけているダメ人間の俺をじっと見つめる。


「道着は、魔法少女として本分を全うするするために、自分で選んで着てる。それで出た結果には満足できてる。だからイケメンとか筋肉とか男とかいろいろ言われても気にしないよ」

「……うるせー」


 彼女の正拳と同じくらい真っ直ぐで重い言葉がどすりと効いて、酔いが一気に引いていく。


「ナオはちゃんと配信のアシスタントして、PVを増やしてくれた。それがナオの本分でしょ」

「酔っ払いに正論言ってんじゃねえ……」


 俺は深々とため息をつき、ぼさぼさの頭をがりがりと搔いた。中学生のくせになかなか耳に痛いことを言ってくる。その言葉が妙に説得力を持って聞こえるのは、サクラが魔法少女だからだろうか? どうしてこいつの言葉は竹を割ったように真っ直ぐなんだろう。やはり武士か、サクラの心は武士だからなのか。名前が「ブシドー・サクラ」なのも納得がいく。


「……自分の本分を全うってんなら、こんなアクシデントでバズるのは俺にとって不本意だよ。それが悔しくて、こうやって飲んだくれてんだよ。悪かったなコンチクショウ」

「そっか」


 俺はサクラの顔を見たくなくて、額をごんとテーブルにぶつけた。


「そういえば、ナオの手品、動画では見たけどリアルでは見たことない」

「……ん? そうだっけ」


 何事もなかったように、サクラの声が俺の頭の上に降って来る。


「前に戦闘配信の時に、チャッピーちゃん出した奴だけ」

「あれ、そうだったか」

「ラメ吹雪だけじゃなくて、チャッピーちゃんを毎回やればいいのに」

「同じのを繰り返すだけじゃ芸がないし、飽きられるんだよ」

「後でなんか見せて」

「……酔っ払ってるから無理」

「ええー」


 ……なんやかんやサクラがおだててきたので、俺はリビングに行って小ネタをいくつか仕込んで披露してやった。結果としてぬいぐるみパペットは「なんか見たことある」、ハンカチを二枚に分裂させると「え、どういうこと?」、コインマジックは「……地味だね」と言われ、俺は男泣きしながらストロング缶をもう一本開けることにしたのだった。

 




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