正義の執行人

1.

 ゆったりと流れゆく街の景色。車窓に映る風景はいつも魅力的に感じた。

 都会はどこも似たような景色で、見慣れた街なら尚更面白みなどどこにもない。だが、空だけは違った。空は毎度顔を変えて、味のない街に色を付ける。

 夕方になれば道や家を赤く染め、夜になれば白い光を灯し、輝かしく光る。そしてまた朝になれば、夕焼けとはまた違う赤色を染める。そんな自分の人生とは違う色のある景色を、今日もただぼんやりと眺める。


「着きましたよ、窪田さん」


 俺の部下であるくすのきかおるがハンドブレーキをかけながらそう言った。


「そうか。がんばって」


 少し大きなあくびをしながらシートを倒して目を瞑る。

 隣から聞こえてくる呆れたようなため息などはお構いなしにアイマスクもつけて完全睡眠状態に入った。


「窪田さん。たまーには手伝ってくれません?ただでさえ人手不足だというのに、一人でも欠けると手が回りやしないんですよ」

「あぁ、それは大変だな」


 面倒ごとは全て部下へ押し付け。それが公務員であり、警察であると上司から身をもって教わった。


「他人事のように言わないでください。それに、今回はただの窃盗と言っても、過去には傷害を起こしている前持ちです。きっと今回はよりいっそう警戒を高めていますよ」

「あぁ、それは大変だな」


 楠も警戒しているのか、いつもに増して不安げな様子をみせていた。というより、アイマスク越しにも伝わってきた。

 

「あと、この前サボってたの係長に漏れてるんで、戻ったら覚悟しておいた方がいいですよ」

「あぁ、それは……は!?おま、なんで……」


 咄嗟にアイマスクを外した。


「電話きますよ」


 楠がそう言うと同時に、ポケットに入っていたケータイが音とともに振動を起こした。


「預言者かよ……」


 右ポケットに入っていたケータイを取り出すのに手こずりながらも、なんとかコールが切れる前には出ることが出来た。


「……窪田です。なんかすいません」


 しかし、電話に出てから二秒足らずで係長からの電話を切った。もはや係長の声など聞いてないまである。

 高ぶった緊張をほぐすようにため息をつき、胸ポケットからカートンを取り出して一本口に咥える。


「いいんですか?」

「あぁ。今はだからな」


 再びケータイが音を鳴らすが、もちろん応答はせず、車検証や自賠責などの書類が入ったグローブボックスへと投げ入れた。


「そういえば、窪田さんってなんで未だガラケー使ってるんですか?まさか、平成に置いてかれました?」

「あぁ、そうかもな」


 後輩の不躾な質問を適当にあしらい、フロントガラス越しに見える、一階がコンビニの雑居ビルへと目を向けた。


「それで、ホシの身元は?」

「それならこれを」

 

 楠は黒いトートバッグの中からクリアファイルを取り出し、A4サイズの用紙を俺へと渡した。


 千歳ちとせ 祐希ゆうき、41歳。

 九年前、都内のコンビニで強盗致傷を起こし、執行猶予なしの実刑判決を受け、七年間服役していた。

 しかし、シャバに出てから二年目を迎える今年。再び金品を盗んでは、盗品を転売して金儲けをするなど、いわば窃盗の容疑がかかっている。


「こいつがやった証拠は?」

「もう十分過ぎるほど出揃ってますよ。ていうか、今から千歳をパクる予定でしょう」


 どうやら、俺が知らないうちに逮捕状請求まで進んでいたらしく、今日の仕事は他の捜査員のサポートだという。


「じゃあ、一人で十分じゃないか」


 俺は独り言のようにぼやき、未だ火の点いていないタバコにライターを添えた。


「あ、行くみたいですよ」


 タバコに火がつく直前、気強くビルを見張っていた楠がそう声を上げる。

 すると、さらに近くに停めてあった捜査車両から複数名の捜査員がゾロゾロと降車し、雑居ビルへと入って行った。


「ほら、私たちも行きますよ」

「……あいよ」



 コンビニ横にある外階段から千歳が住む三階へと、白手袋を着けながら駆け上がる。上の階からは捜査員と思われる怒号が階段まで響いていた。


「どうです?」

「あぁ、この通り応答なしだ」


 何度ドアを叩いて声をかけても、中からは応答どころか物音もしていないと、捜査員はため息を漏らす。無論、相手は前持ちの窃盗常習犯。素直に従うはずもないことは俺たちも予知していた。


「それじゃあ、隣の部屋の住人にお願いしてベランダから突入しよう。楠、よろしく頼む」

「いや、まだ朝の5時ですよ?周りにも迷惑がかかりますし、大家さんが来るまで待ちましょうよ」

「……早く」


 楠はむっと顔をしかめながらも、いやいや隣の部屋のインターホンを押した。

 すると、中年くらいの男性がチェーンかけた扉の隙間から顔を出し、不機嫌そうにこちらを伺った。

 

「なんですか?」

「朝早くにすいません。新宿署の者なんですが、ある事情がありまして、突然で申し訳ございませんがベランダを貸していただけませんか?」

「……いいすけど」


 いいんかい!と思わず心の中でツッコミを入れた。

 男性がチェーンを外し、扉を開けると同時に俺と楠はベランダ目指して中へと入った。


「では、お邪魔します」


 ベランダにはプライバシー保護のための仕切り版があるため、落下防止策をよじ登って侵入するのを試みる。三階とはいえ10メートル以上の高さはあるため、下を見る度に肝が冷えた。


「ちょ、窪田さん早すぎますって」

「お前が遅いだけだろ」


 怯える楠をよそに、先に千歳のベランダへと足を踏み入れた。

 しかし、部屋の中はカーテンで一切の隙間なく仕切られていて確認ができない。一応、ドアを叩いて声をかけてみるものの、同様に応答はなかった。もちろん、鍵も開いていない。


「もう割りますね」


 入り口側にある捜査員に聞こえるように大きな声で合図を出した。


 腰のポーチから伸縮式の特殊警棒を取り出し、思い切って窓ガラスに振りかざす。すると、甲高い破砕音があたりに響き渡り、わずかに拳三個分の穴ができた。

 そして、破片に気をつけながら慎重に手を入れて開錠し、扉を開けてカーテンを潜った。


「警察——」


 部屋が暗かったので電気をつけようとしたそのときだった。

 電源スイッチよりも先に目に入ったのは、まるで長い間、北極にいたかのように水色の結晶の中で凍って、目を開けたまま微動だにしない男の姿だった。


 俺はしきりにハンディライトと四つ折りにしたA4サイズの用紙を内ポケットから取り出し、そこに載っている男の顔写真と照らし合わせた。


「……ちt」

「千歳、祐希……」


 そう楠の声が背後から聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

レーヴェンの天秤 謎崎実 @Nazosaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ