第28話 その通りだ

「まだ気付かんのか」


 呆れたような、嘲笑するような、そういう声が響く。そんな蓮の声を、聞いたことはなかった。

 蓮は自身の懐に手をやると、何かを取り出して掲げて見せた。


「これで気付くか?」


 虎面だった。

 先ほどまで見ていたものと全く同じ虎面。

 伝統的で古めかしい虎の紋様が描かれた、顔半分を覆う仮面。

 猫乃門がかつて見た虎面。目に、胸に、消えない傷を負わされた元凶の象徴。


 否、違う。

 傷があった。頬にある虎の紋様をえぐったような傷。かつて自分が、そこにつけた傷。

 それがどうして、蓮の懐から出てくるというのだ――?


「どう、いう」


 いまだ理解が追い付かない猫乃門が目を白黒させながら問うと、蓮は徐に猫乃門の腹に刺さっていた刀を引き抜いた。

 猫乃門が呻き声を上げながら、ふらふらと後ろへ下がる。しかし蓮はそんな猫乃門の様子に見向きもしないで。


「吸血鬼(ヴァンパイア)っていうかなぁ、鬼なんだよな、私」


 刀についた血をじっと見やりつつ、彼女はぱっとその血を払った。ぱたたた、と赤い雫が道に飛び散って滲む。

 ついでに、ふと気づいたように僅かに裂かれた着物の懐から血のような赤い液体がいくらか入った袋を引っ張り出して、用済みだと言わんばかりにポイと捨てた。


「私の世界でだって日本に吸血鬼などおらんよ。いるのは鬼だ」


 ヴァンパイアはただ似て非なる者だから名を借りたまでよ、と蓮は続けた。似たような存在の方が嘘がバレにくいだろう、と。

 そんなことを軽い口調で言ってのけると、ふと何かに気付いたように、伏した虎面を被った何かを見た。


 それから「あぁ、役割ご苦労」と言いながらパチンと指を鳴らすと、伏した人型の下に紫色の魔法陣が現れる。人型は飲み込まれるように魔法陣の中に沈んでいくと、そのまま何の痕跡も残さず消え去った。

 それはさながら、『虎面の人型』が使い魔を召喚するときのような――。


「あやつは私の僕(しもべ)だ。私の手足、そして目として働いてくれる」


 猫乃門は、ようやく事態が実感を持って呑み込めてきた。それと同時に、これまでの全てが、蓮との全てが、ただの偽りだったことに、気付かざるを得なかった。


 胸の内がごちゃまぜにされたようだった。

 外傷など、比にならないくらいに心臓が痛かった。息ができなくなるくらいに苦しくて、全てを拒絶したくなる。

 猫乃門は子どもが泣く寸前のように顔を歪めていた。されど蓮はそんなことどうでもいいとでも言う風に、彼女を見る。


「さて猫乃門獄(ひとや)、貴様は私の言葉を覚えているか」


 まるで種明かしは済んだとばかりに、蓮はやはり軽い口調で話題を変えた。


「ずっと追っていると言ったな」


 言いながら、蓮は襟を引っ張って胸の傷を晒した。そこには何か鋭利なもので肌を引き裂かれたような古傷が深く刻み込まれている。

 あの日見た古傷だ。忌々しい傷だと、まるで猫乃門の視界から遮るように隠した古傷だ。


「この傷をつけた『仮面』を。復讐のために」


 『仮面』。しかし、仮面とは嘘だった。その傷をつけたのは、虎面の人型ではなかった。


 ならば、一体誰が――?


 猫乃門の表情に気付いたのだろう。そこで初めて蓮は感情をむき出しにするように吠えた。


「忘れたか!! この傷を私につけたのは貴様だということを!」


 その言葉によって、猫乃門は朧げな記憶を呼び起こされる。

 あの日。

 新人ではあったものの、大きな武勇が欲しくて分不相応だとは理解しながらも『虎面の人型』の討伐に参加した。猫乃門が参加したときには、すでに何十人もの精鋭が参加していた。

 けれどもそんな彼らがまるで羽虫でも潰すかのように倒されていき、最後には誰も立っていなかった。意識がある者ですら、誰も立とうという気さえ失っていた。


 その中で、猫乃門は。猫乃門だけは、武器を握り締めていた。

 朦朧とする意識の中で、地に伏しながらも、ただ無我夢中に大鎌を振るった。

 右目は見えず、そこから一直線にひかれた傷のせいで、その身は血みどろだった。おそらくはすっかり意識も飛んでいたのだろう。


 だが確かに。そう確かに、自身の刃が何かを貫く感触があった。

 千切れそうな意識の中に、確かに。


 猫乃門は朧げな記憶の中に、されど明確にその事実があるということを理解した。

 そして同時に、目の前の痛々しい傷をつけたのは、確かに己であるという事実にも、直面しなければならなかった。


「ハハハッ!! そうだ、貴様のその顔が見たかった! 大層な芝居を打った甲斐があるというものだ!」


 蓮は心底愉快そうに笑った。猫乃門の絶望と苦痛に歪んだ表情を見て、ひどく愉しそうに。


「ようやく思い出したか! 貴様が私に傷をつけたのだ! 貴様如き人間が、この私に!」


 蓮の声は憎しみで満ちていた。低く、唸りを上げる獣のように怒りと憎悪の表情がそこにあった。


「だから私はこの計画を立てた! 全ては貴様に惨めな死をもたらすため! 身体も精神も全てを徹底的に甚振り屠るために! 貴様と出会ったのも、貴様に協力したのも、貴様に甘い顔をしてやったのも、これまでの流れは全て! 今このときのために私が仕組み、欺き、偽ったに過ぎない、偽物だ!」


 偽物。

 ぐるぐると、その言葉が猫乃門の中をひたすら回る。

 偽物。今までの蓮との毎日は、全部、ぜんぶ。


「分かっただろう! 私たちは互いに仇だ!」


 猫乃門の脳裏に、蓮との数週間が否応なく流れてくる。

 ゴーストハウスで猫乃門を安心させるように手を重ねてくれたのも、好きだと言った甘さ控えめのパンケーキをわざわざ作ってくれたのも、『相棒だろ』と当たり前みたいに言ってくれたのも、配信中に馬鹿みたいに大笑いしてたのも、『自分を誇れ』と言ってくれたのも、全部、ぜんぶ――噓だったというのか。


 本心など欠片もない、偽物だったと言うのか。


「…………嘘、なのかよ、ぜんぶ」


 思わず零れ落ちたように、猫乃門は言葉を紡いだ。

 表情が、溢れ出る感情に耐えられないとばかりにぐしゃりと歪んだ。


「お前の言葉も、お前の行動もぜんぶ、このための演技だったのかよ……!」


 けれども、蓮の瞳は変わらなかった。泣き出しそうな彼女の表情を見ても何も。

 ただひどくつまらなそうな顔で猫乃門を見やると。


「その通りだ」


 たった一言。それだけだった。

 ただそれだけなのに、猫乃門は宇宙の全てから押しつぶされているみたいに重くて、痛くて、苦しかった。


「さて、そろそろ終幕といこうか」


 コツ、コツ、とヒールが地面を踏み鳴らす音がする。それがまるで、猫乃門の命のタイムリミットを刻んでいるようだった。


 それでも、猫乃門は動けなかった。

 傷のため。それもあるだろう。

 けれどもそれ以上に、精神に受けたダメージがもはや彼女の動く気力をなくしていた。

 呆然とした表情で、ただ、近づいてくる髑髏の黒い着物を見る。


「さらばだ、猫乃門獄(ひとや)」

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