第23話 皆って、誰だったんだろう

 その日、蓮は珍しく出かけて行った。どこに行くんだと問うても、少し散歩するだけさ、としか言わなかった。本当は少し一人になりたかったのかもしれない。


 猫乃門はぼんやりとデスクチェアに腰掛けながら、ちらりとベッドの方を見やる。

 朝のことが気がかりで仕方なかった。あのときは、普段飄々としている蓮の涙に慌てて何かを訊くこともできなかった。

 だが、おそらく彼女は夢を見ていて涙を流したのだろう。


『貴様を見ていると、貴様と同じ目をしたヤツを思い出す』


 昨夜蓮が言っていた言葉が否応なく脳裏を掠める。


『貴様の目は黒いんだなと思ってな』


 確かいつぞやそんなことも言っていた。あのとき、蓮は自分ではない者を見ていた。

 それでいてどこか苦しそうな、寂しそうな表情。あのとき蓮は、一体誰を見ていたんだろう。


 ここ最近の、いやもしかすると初めから、妙に親し気なあの瞳の奥には、あるいはずっと別の誰かがいたのかもしれない。

 別の誰かへの――瞳が黒くはない誰かへの愛慕と郷愁が、ずっと彼女の奥底にあるのかもしれない。


 そうだ、思えば猫乃門は蓮の過去を何も知らないのだ。過去だけではない。好きなものも、得意なことも、これからのことも――。


「……やっぱ、帰りてえのかな」


 ふと、この復讐が終わったらどうなるんだろうと思った。

 蓮はどうするんだろう。この世界において目的を失い、かといって帰ることもできない蓮はどうするんだろう。


「……そしたら、俺たちも終わりなのかな」


 ぼそり、と思わず呟いた一言に、猫乃門はハッとした。ぶんぶんと首を横に振りながら。


「って何だそれ! これじゃまるで終わるのが嫌みたいじゃねえか! ふっつーに! 願ったり叶ったりだっつーの! 惜しいとすりゃ収入源が断たれることだけだ!」


 別に誰が聞いているわけでもないのに、言い訳をするように、誤魔化すように捲し立てた。

 だってそうしないと。そうしないと――。

 思いかけたのを、またしてもぶんぶんと頭を振って拒絶した。

 それなのに同時に、すっかり虎面のことなんて、虎面を追うことなんて忘れてすらいた自分に気付いた。


 ――あんなに虎面に固執していたのに、どうして俺は今それを忘れてしまっていたんだろう?

 ――俺はアイツを倒して名を上げて、皆に認められたかったんじゃないのか?


 自分の内で、そういう声がする。


「……皆って、誰だったんだろう」


 ぽつり、と思わず呟いた声が、再度耳から頭の中に響いた。

 少し前までは虎面の逐一情報をチェックしてその場所に赴きさえしていた自分が、今ではすっかり、ご飯を食べたり、筋トレをしたり、配信をしたり、そんな何てことない穏やかとすら言える日常だけに染まっている。


 その毎日を作り出したのが一体誰であるかなど、考えるまでもなくわかっていた。

 そして多分、どうして虎面のことをすっかり忘れてしまったのかも、おそらく。


 蓮は確かにやけに百合営業に乗り気だし、己を揶揄っては爆笑してくるし、外では猫被ってるし、ムカつくやつだ。ムカつく奴だが。

 ――まあでも。


「……帰ってきたら、好きなもんくらいは、訊いてやるか」


 そのくらいなら、訊いたって構いやしないだろう。

 猫乃門は内心で言い訳するように呟いた。


***


 蓮は夜になるまで帰ってこなかった。

 ただ、帰ってきた時にはもういつも通りに戻っていて、否、むしろいつもよりやけに機嫌が良くさえあった。


 蓮は帰ってくるなり早々「今日は配信をするぞ!」などと宣言すると、面白い情報を仕入れたのだと告げた。

 曰く、猫乃門の自宅から十五分程車を走らせたところにある閉鎖されたトンネルに何かが住み着いているらしい。


「おまッ、それただの肝試しじゃねえか! 行かねえ! 俺は絶対行かねえぞ!」


 猫乃門は完全拒否の態勢で拒絶したが、しかし蓮はどうどうとそんな猫乃門を落ち着かせる。


「まあ最後まで聞け。どうにもその何かってのが敵性異人――それも虎面らしいのだと」

「はア? どこでそんな情報……」

「いや、なんかメールが来たのでな」


 言って蓮は仕事連絡用に猫乃門が作ったメールボックスを開くと、一通のメールを開いてみせた。

 メールの差出人はれんひとのファンを名乗る者で、長々とした挨拶を省略すると、『虎面の人型』が現れるらしいと噂のトンネルを二人で調査してほしい、という企画提案だった。


「仕事連絡用に要望を送ってくるヤツなんざ傍迷惑なヤツだな。それに何でピンポイントで虎面の名を出してくる? なんか怪しくねえか?」

「それに関しては何度か配信で名前を出したからだろう。いいじゃないか。仮面に近づけるかもしれない上に配信のネタになる。これは面白くなるぞ」


 蓮はにやりという表現が相応しいような笑みを浮かべながら、楽し気に告げた。


「大体仮面の復讐に手を貸すって話だっただろう。忘れたのか?」

「うっ確かに……」

「それにもう告知もしたしな」

「はアッ!?」


 猫乃門は眉間にしわを寄せながらも、蓮が告知を出したらしいSNSの投稿を食い入るように見る。

 そこには、『依界市で“虎面の人型”が出るって噂のトンネルを探索配信するよ』との文字が躍っており、投稿画面のコメント欄では純粋な視聴者達からの『楽しみです』だとか『待ってます』だとかいった喜びに満ち溢れた言葉で溢れている。

 果ては夢兎からも『楽しみなのです♡』と愛らしいコメントが残されてあった。

 ここしばらくの間、蓮にスマホを預けていたことが仇になった。否、告知だとかSNS運用だとかを全て蓮に任せていたツケが回ってきたのだ。


「ぐ、ぬぬ……」


 勝手に告知を出した蓮には怒りもあるし、こんな肝試しのようなことは(もう二度と)やりたくなかったが、しかしこのコメントたちを見ると今更やめますとは言えない。


「ていうかお前場所明かして大丈夫なのかよ! 野次馬とか……」

「大丈夫だ。私が結界を構築しておく。一般人では入ることなどできん」


 全てにおいて対応策が為されていることに、猫乃門は再び悔しそうに歯噛みする。

 上手いこと外堀を埋めやがって、とか、テメェ一人で行きゃあいいじゃねえか、だとか言いたいことは山ほどある。


 あるのだが。


 しかしどこかで……蓮が元気になってよかった、と思う自身もいることに、猫乃門は気づかないふりをしておくことにした。

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