第22話 『レイセン』
燃えるような赤い瞳が、私に向けられていた。
曙か、あるいは黄昏の光を背に、太陽よりも輝いているその姿が、あまりにも美しくて瞬きを忘れた。
靡く黒髪を見ていると、宇宙のようでそこに吸い込まれてしまいそうになる。
彼女は私の髪を気に入っていたらしくことあるごとに触れていたが、彼女の髪の方が私の髪よりも何倍も――否、この世で一番きれいだと、私は思っていた。
世界というのは、どの時代、どの時空のものでもそう大差ないもので、私が彼女と出会った数万年前でさえ、世界は戦争をしていた。光と闇、善と悪、天国と地獄、呼び名は何だっていいが、二分された勢力が戦っていたのだ。
だがこんなことは、話したところでこの世界にとっては何の関係もないことで、もうすでに終わったことだ。知りたければ歴史の教科書をぱらぱらと捲ってみるといい。どれも大体同じものだ。
だからただひとつ言えるのは、私は世界で一番愛した女を、あの戦いで失ったということだ。
『レイセン』
名を呼ぶ。
特別な声が、私の名を呼ぶ。
二度と会えぬ貴様が、我が名を呼ぶ。今やもう、貴様しか知らないこの名を。
『レイセン、悪くねえ名だ』
ああ、だから特別になってしまった。
たかがひとつの名前程度が。貴様のたった一言のせいで。悪くない、なんて回りくどく言う貴様の言葉で。好きだと素直に言えない貴様の言葉で。
そんな子どものような貴様の、最上の褒め言葉で、私は――。
「レイセン、起きろよ」
特別な声が、ずっと聞きたかったその特別な声が、そしてその愛おしい姿が、突如として現実のように目の前に現れたことに、私は驚きを禁じ得なかった。
「な、ぜ……貴様が」
「『なぜ』? 妙なことを言うな。俺はずっと、こうしてお前に会いに来てたじゃねえか。何千年も、何万年も、ずっと」
彼女がそう言うと、確かにそのように思えた。私はいったい、何をそんなに驚いていたのだろうか。
「しかし、俺と似た小娘と相棒ごっこか? 楽しそうだな」
「っ私は! 貴様だけだ……! もう、決して失わせはしない、二度と……」
彼女はただ機械のような、人形のような微笑を浮かべると、私を抱きしめた。果たして、かつて彼女はこんな笑い方をしていただろうか。
「そうだな、レイセン。もう二度と、俺の手を離してくれるなよ」
そう言うと、私を抱きしめていた彼女の身体が、まるで彼女の髪色のように真っ黒な影に変わって、世界に溶けていく。
『じゃあな、レイセン』
それが最後で最期の言葉だった。
何度も頭の中で反芻するその言葉を聞くたびに宙を掻くけれども、その手はいつも彼女を掴めない。
あれから何千年も、何万年も、ともすればそれよりも長い期間が過ぎた。それなのに、私はいつもまでも死んだあの女の影を追い続けている。
どうせならあのとき共に死んでおけばよかった、と思う。そうすれば、こんな思いを持ち続けたまま、永劫にさえ感じる時の中であの女の影を追うこともなかっただろうに。
そうすれば、私は――。
***
「蓮、起きろよ」
は、と蓮が既視感のある言葉と共に目を覚ました瞬間、目の前にいたのは猫乃門だった。彼女はどうやら朝食ができたから己を起こしたらしく、蓮がベッドから半身を起こすと、朝食のテーブルに戻った。
そのまま朝食を食べようとしたらしかったが、偶然ばっちりと瞳が合った。瞬間。
「お、ま……な、何、泣いて……」
あまりにも猫乃門が絵に描いたようにあわあわと慌てるものだから、一瞬その言葉の意味を理解するのが遅れた。
頬が濡れていたことにやっと気づいた蓮が、そっと指で涙を拭う。どうやら泣いていたらしいと悟った。
まったくこの歳になって人前で涙を晒すことになろうとは、などと彼女が自分に呆れていると、何も言わないことに不安を募らせた猫乃門が相変わらず動揺しながら。
「ゼ、ゼリー、多めにやろうか?」
ガラスの器に乗せられているみかんゼリーを差し出しながら問うた。おそらくは一つのゼリーを半分に分けたのだろう。
蓮は何だか全てがおかしくなって、ぶはっと吹き出すように笑った。
「いらん。貴様、気の遣い方が幼児みたいだな」
ははっ、と堪えきれない笑い声が朝の古ぼけた八畳間に響く。
猫乃門は最初蓮が笑ったことにほっとしたが、その内に少しだけ頬を染めながら「誰が幼児だ」と唇を尖らせた。
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