第19話 そもそも百合とは何なのか(哲学)
それから猫乃門たち――主に蓮がではあるが――は一通り振り返りを済ませた。振り返り自体は30分程度で終わってしまったため、蓮がそのまま配信を雑談へと移行させる。
そんな中、ふと見知ったアイコンと名前が二人の目に飛び込んできた。
夢兎ゆゆん『ゴーストハウスめちゃくちゃ楽しかったのです! お二人が尊百合だったのです!』
「お、夢兎さん」
「ゆ、ゆゆんちゃん! 何々――尊……ってだから百合とかじゃねえって!」
猫乃門はついには夢兎にも茶化されたことで必死に訂正するが、しかしその姿がより一層『お約束』のようでもあったせいだろう。
『はいはいツンデレツンデレ』
『ツンデレおつ』
コメント欄はそのようなテンプレート的言葉で埋め尽くされており、猫乃門はぐぬぬと歯噛みする。
(くそっ! 否定すればするほどオタク共が勝手に解釈しやがる!)
それを蓮がひどく楽しそうな様子で声を噛み殺して笑っている。腹立たしい。
蓮は誤魔化すように空咳をひとつすると、「質問や要望があったら答えるよ」と話題を転換させた。するとやはり即座にコメント欄が質問で埋まる。
『好きな男のタイプは?』
「男性じゃないとダメかな? 私は戦い続けるひとが好きだよ。男でも女でも、それ以外でもね」
それから蓮は一層にっこりと笑みを浮かべると、猫乃門の頬をぷにっとつまみながら。
「でも相棒にするならこやつだ」
瞬間、コメント欄が悲鳴のようなもので埋まる。
『ひエッッ』
『(あまりの尊さに手を合わせて拝む絵文字)』
『てぇてぇやん』
猫乃門は(コイツまた営業しやがって……)と内心で思ったが、手は払い除けつつも何も言わなかった。代わりにジトっと睨みつけるように見るとウインクされた。腹立たしい。
『蓮さまは最近こっちに来たの?』
「いや、私は虎面の人型と同時期だよ。あれは私の世界の敵なんだ。一緒に飛ばされてきたんだが、私だけがこの世界に来た突入時に少々遠くに飛ばされてしまってね」
『こっち来たときどうだった? 当時は異世界人差別とか酷かったけど』
「突っかかってきた酔っ払いを小突いたらたまたま近くにいた戦闘人(バトラー)に敵性異人扱いされたな。確かに大変だったよ」
その話は初耳であった。
しかし確かに戦闘人及びBTuberが今ほど人気ではなかった頃は異世界人に対する差別が横行していた。危険モンスターと敵性異人と異世界人をごちゃ混ぜにして『この世界の人間を滅ぼす気だ!』とか『危険だ!』とか騒がれたのだ。
今となってはそのような差別言葉を口にする者も減ったが、一部では極端に異世界人を嫌う者もいるという。
『猫好きなおかし何』
「急にガキやって来たな……。俺はジャーキーが好き……ていうか蓮はずっと様付けで呼ばれてんのに俺だけ猫なの何なんだよ」
キャラクターというものだろうか、とも思うが納得いかない。せめて猫さんと呼べ。いや、でもこれはゆゆんちゃん限定だからな……などと思っていると、次のコメントが猫乃門の視界に飛び込んでくる。
『指ハートやって』
「指ハートって何?」とは猫乃門。
「こういうやつだ」
蓮は言いながら親指と人差し指を交差させて小さなハートマークを作ってみせた。
「お前一応異世界人だよな?」
自身より現代知識に優れている蓮に戸惑いながらも指と格闘しつつ『指ハート』とやらを作っていると。
『イチャついて』
とんでもないコメントが乱入してきた。それにいち早く反応したのが蓮である。
「ふむ、キスでもしようか?」
「しねえよ!」
そっと自身の頬に持ってきた手を慌てて引っぱたきつつ、蓮を引きはがす。
何とかぐいぐいと迫ってくる蓮を押し退けていた最中に、ふとコメント欄に視線をやると『サービス精神旺盛蓮さま』『てぇてぇ』というコメントの間に【星屑】という名の者による、
『百合営業乙』
のコメントが浮かんでいた。
「!」
瞬間、猫乃門はぱっと表情を明るくした。きらりと流れてきたお星さまに顔を照らされたのだ。
「お前! お前よく言った! 【星屑】! よく気付いた! これは営業なんだよ! 本当じゃねえ!」
猫乃門は唐突に現れた理解者に歓喜の声を上げながら、ドヤ顔をしつつ蓮を見る。
(どうだ、分かる奴もいるんだ! これでお前のやり口はご破算――)
されど、現実は猫乃門に甘くなかった。
蓮がすいと無言で指を指した先を見る。
『ツンデレ乙』
『はいはいツンデレツンデレ』
『やっぱツンデレじゃないか!』
(~~~~ッぐあああ、この捻くれネット民どもめ!)
猫乃門が敗北に打ちのめされて思わず頭を抱えていると、蓮が徐にくいくいと指を動かした。近くに寄れということらしい。耳を近付けると。
「貴様にこっそりアドバイスをしてやろう」
「な、なんだよ……」
猫乃門は小声で囁かれる敵からのアドバイスとやらに少々警戒しながらも耳を傾ける。
蓮はそれにニヤリと口元を歪めながら。
「貴様がそうやって否定するから余計こやつらは囃し立てるんだ。いっそ逆に百合っぽくしてみたらどうだ?」
確かに、このままでは否定すれば否定するほど肯定と取られてしまう。ならばその逆をついてみる、というのは新しいアイディアのように思えた。
「……なるほど」
猫乃門は頷きながら神妙な声で呟く。
コメント欄は先ほどの蓮の爆弾発言により。
『キスだ―!!』
『きーす!きーす!』
と騒がしく盛り上がっている。
「うげっ!」
この流れはまさか、と猫乃門は恐る恐る蓮の方を見やる。蓮は実ににこやかな表情で「ほれ」と、両手を広げて見せる。
「ぐぬぬ……」
唸って歯噛みしてみるが、しかし一方で確かにこれはあまりにも『百合っぽい』行動ではないだろうか、という気もする。
もしここをスキップしたとしてその末の百合っぽい行動とは何だ。そもそも百合っぽい行動とは何なのか。いや、まず百合とは何なのだ、などと考える内に頭の中が混乱してきてわからなくなってくる。
脳が回るごとにぐるぐると目も回ってくる。それをシャットダウンするように、くそっと意気込んだ。
そっと蓮の目を隠すように片手で押さえて、その額に軽く唇を押し当てた。先日のゴーストハウスでベルにされたことを思い出したのだ。百合っぽくもあり、親愛っぽくもある、ギリギリのラインである。
(よしッどうだ!)
猫乃門はその“百合っぽい”行動によってオタク共が『百合営業じゃん……』とげんなりすることを期待して、しゅばっと光の速さでコメント欄に目を通すが――。
『うおおおお!!』
『百合じゃん!』
『デレキタ』
『れんひと』
先ほどの倍以上のスピードで流れ去っていく絶望のコメント欄に猫乃門は思わず声を荒げて。
「ならねえじゃねえかッッ!!」
「アっはっはっはっ!!」
猫乃門の腹の底からの嘆きに、蓮は心底可笑しそうに涙すら浮かべながらケタケタ笑っていた。最早隠すまでもない大爆笑である。
さらにはこの後、蓮によって事の顛末を解説されたことで視聴者にも『あほの子なん?』と若干同情さえ滲むコメントをされる始末。
蓮は最後の最後まで「き、貴様っ騙されやすすぎるだろっ!」と笑っていた。マジで心の底から腹立たしい。
実のところ、そもそもオタク共の大半は百合営業を、百合営業だなぁ、と何となく俯瞰しながら見ているのであり、最初から子どもみたいに画面に映っているものを真っ向から捉えてなどいないのだ。
小説を読む時と同じように、フィクションだなぁ、と思いながらフィクションを楽しんでいるのである。猫乃門は馬鹿正直にそれを全部否定するものだから、逆に面白がられてからかわれているだけなのだ。
しかし、そんなことを知りもしない愚直な猫乃門は、結局その日、非常に屈辱感を覚えながら初めての配信を終えたのだった。
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