第15話 相棒

 ――ざしゅっ。


 気がついた時には隣で音がしていた。


 伸びてきた無数の腕は、先端だけが刃を備え付けたかのように悍ましく輝いていた。それが、蓮へ向けられたのだ。

 理解すると同時に、きィん、と金属同士が擦れるような甲高い音が響き、蓮の刀によって腕が弾き飛ばされる。


「蓮ッッ!!」


 再び猫乃門が叫んで蓮に顔を向けた時には、彼女は防御態勢を取りながら頬を拭っていた。

 身を逸らしたことで、深手を負うのを回避したようだ。


「問題ない。頬を掠っただけだ」


 蓮はそう言って、安心させるように笑みを浮かべてみせた。


 しかし、そうではなかった。

 それだけでなかった。

 猫乃門が、思わずといった様子で目を見開く。


「……お前、髪が……」


 蓮の髪は先程の一撃で頬の近くからバッサリと断ち切られていた。


「……あぁ、切られたか。まぁ、仕方ないな」


 猫乃門の言葉に自身の髪の状態をちらりと確認した蓮は、さらりと言ってのけた。

 けれど、猫乃門の脳裏には先日蓮が初めて動画撮影をしたときに言っていた言葉が反芻している。


『だがまあ、そうだな。強いて言うなら……髪かな』

『この髪は一族の中でも唯一私だけが有していたのだ』


 あの時、自身の髪を大切そうに撫でた手つきを覚えている。自らの強みを数多語る中で、それでも最後に自身の髪を選んだ彼女の姿を覚えている。


 猫乃門はぐっと奥歯を噛み締めた。ぎり、と軋む音が聞こえるほど、強く。

 それから徐に手を後ろへ回してケースを叩く。いつものように、がしゃりと組み上がった大鎌を、震える両の手で掴んだ。

 掴むと同時に、足を踏み出した。


「……おい、何してる。貴様は下がって――」


 蓮が震える身で自身の前に立った猫乃門に向かって言いかけた。けれども、猫乃門はそれを遮って。


「髪」


 一瞬、蓮は意図が掴めず困惑したような顔をした。けれど、次に続いた言葉で全てを理解した。


「大事なんだろ。悪かった」


 小さな声は少し震えていたかもしれない。そんな普段よりも随分と弱々しい声色ではあったが、されど確かにその言葉は蓮の耳に届いた。


 猫乃門は自身の情けなさを恥じていた。

 怖がるのは構わない。怖いものは仕方がない。臆病もまたいいだろう。けれども、恐怖に怯えて立ちすくみ、影に隠れて全てを任せ、あまつさえ立ち向かった者に失わせるのは、臆病などではない。ただの卑怯で恥知らずなのだ。


 猫乃門は蓮の前に立って今一度、目の前の亡霊を見据える。

 すう、と深呼吸しようとして、息が止まった。

 何だあれ、と頭の中で声がする。


 なんだあれ。何だアレ。化け物じゃん。幽霊じゃん。呪いじゃん。怖い。気持ち悪い。直視できない。鎌を持つ手も、足も、身体も、全部が馬鹿みたいに震えて仕方がない。

 でも。それでも。

 それでも!


 ――その時、そっと、自身の手を包み込むぬくもりがあった。


「……蓮」


 見上げるように、後ろを振り向く。

 蓮が後ろから自身を支えるように、共に柄を掴んでいた。


「私たちは相棒だろう」


 緩やかに口角を上げる表情を見ていると、思わず安心した。先ほどまで胸中を埋め尽くしていた恐怖心がすべて、どこかに霧散したような気がした。


「大丈夫。目を瞑っていろ。私が魔術で補助するから、合図したら力一杯振り下ろせ」


 落ち着かせるような優しい声だった。大海のように、あるいは大空のように、安堵をもたらす心地よい声。


 委ねても構わないと思った。

 自身を包むこの手に、あたたかな声に、支える身体に、判断に、委ねても構わないと思った。


 だから、そっと目を閉じた。

 無数の腕が、再び猫乃門たちに襲い掛かる。その気配が確かにわかったけれども、猫乃門は不思議と不安や恐れはなかった。


「邪魔な腕はわたしが払いのけるのです!」


 ステッキを構えた夢兎が叫ぶと、輝くような閃光と共にファンシーな星々やウサギたちが跳ねて、襲い掛かってくる青白い腕の大群を蹴散らしていく。

 腕が跳ねのけられ、消滅していくたびに、じりじりと化け物が距離を詰めてくる。大地を滑る音がする。


 ――刹那、道が開けた。


「今だ! 跳べ!」


 猫乃門はその声と同時に足へ力を込める。

 身体が軽かった。普段の何倍も高く飛んだ気がしていた。

 実際、その通りであった。後ろから猫乃門を支えた蓮が彼女を抱えたまま跳んでいたからだ。

 共に掴んだ柄を握る手に力がこもる。ぎゅ、と握り締めて、そして。


「ここだ!」


 その蓮の声と共に大鎌を振り上げると、刀身が輝いた。大鎌が蓮の補助により魔術攻撃を伴ったのだ。

 猫乃門はそのまま腕をなくして向かってきた化け物へ、一気に大鎌を振り下ろした。

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