第10話 軽率なオタクのコメント

 それからショップを後にすると、次に目に留まったのは大きな舞台である。

 アーティストが野外ライブでもするかのような会場には、すでに多くの人が集まっている。

 ここはゲストが登壇しライブを行うステージであるらしく、ステージの近くでは大きくスケジュール表が表示されていた。


「そっかぁ、野外ライブとかもあるんだな」

「そうですね、お歌を歌ったりトークライブをしたり、魔法でパフォーマンスをしたり、色々されてるみたいなのです」

「へぇ、ゆゆんちゃんは――」


 猫乃門がそう口にしたときだった。そろそろライブが始まるためであろう、徐々に増えていた人に、猫乃門がぶつかりかけた。


「危ないよ」


 猫乃門の肩をさりげなく蓮がさっと引き寄せる。


「あぁ、わり――」


 猫乃門は特に何の感情もなくそのように礼を述べようとしたのだが――やけにきらきらと輝く瞳が自身を見つめていることに気が付いた。


 夢兎ゆゆんである。

 彼女はまるで目の前に探し求めていた財宝が見つかったかのように嬉しそうな、というか、幸福を噛み締めるような顔をしたかと思うと。


「生れんひと、さいっこうなのです……!」


 言って拝むように手を合わせていた。さらには彼女の配信コメント欄まで追従するように。


『何今のやばい』

『蓮様かっこよ』

『付き合ってる?』

『れんひとてぇてぇやん』

『(尊みのあまり手を合わせて昇天する絵文字)』


 軽率なオタクのコメントが怒涛のように流れていく。オタクはすぐにこういうことを言うのである。

 それらを見た瞬間に猫乃門はまたしても蓮の百合営業にまんまとはまってしまったことを悟った。


「おい、待てお前ら、コイツの策略にハマってるぞ! 言っとくけどな、これは営業だからな! コイツ普段はこんなことしねえからな!!」

「おーよしよし、落ち着け落ち着け。すみませんね、囃されるのに慣れてなくて」


 蓮はなだめるかのように猫乃門の頭をぽすぽすと撫でながら、相変わらず美しい笑みで事態の収束に努める。猫乃門はべしぃっと自身の頭に乗せられる腕を叩き落とすが、しかしそれも最早起爆剤にしかならないらしい。

 夢兎は心底幸せそうな微笑みを浮かべつつ。


「いえ、ツンデレ、最高なのです」


 キャラを崩すギリギリのところで踏みとどまりつつ親指を立てる夢兎に、コメント欄もまた彼女に賛同する。


『古今東西ツンデレこそ至高』

『ツンデレの模範解答』

『同志共よツンデレ党に敵対せし者殺すべし』

「だから違えんだっつってんだろ! あと今なんか思想強めの奴いなかった!?」


 普段は『ゆゆんちゃん世界一かわいいよ!』『ゆゆんちゃんは天使』などとコメントしているはずの夢兎のリスナーがこぞってその頭角を現してくる。

 ゆゆんちゃんのリスナーってこんなんだったっけ? などと猫乃門が首を捻らせていると。


「あ、ちなみになのですが、今わたしたちはこのブレスレットによって認識阻害の魔法がかかっているので、誰かにぶつかる心配はないのですよ」


 夢兎が自身の腕に巻き付いている蛍光緑のゴム製ブレスレットを指さす。


「えっこの腕輪ってそんな効果あったのか!?」


 猫乃門は自身の腕にある同様のブレスレットを見ながら思わず声を上げた。夢兎から入園前にもらったそれはてっきり関係者識別のためだけのものだと思っていたのだ。


「ていうか、それならさっきのくだり丸々……ってお前もしかして知ってやがったな!? 知ってて営業に使いやがったな!」


 思わず蓮の方を見た猫乃門が、彼女の表情の機微に目ざとく気付きながら吠えると、蓮は爽やかに微笑みつつ。


「いやあ、私も似たような結界を使えるからな。そこに何かあるくらいの感覚はわかるさ」


 ブレスレットに使用されている気配遮断の魔法は、蓮の使用するそれとはそもそもの原理が異なるものなので正確にその実態が掴めるわけではないが、自身に付き纏う気配遮断の感覚で蓮はそれとなく察していたのである。


「それに周囲の人間を見ていれば分かるだろう。明らかに私に対する視線が少なすぎる。こんなことは何かしら認識を阻害する作用が働いていないとあり得ないからな」

「……えぇ……お前……」


 猫乃門は相変わらず美しく微笑みながら自身の顔の良さを賛美してみせる蓮に呆れた表情を見せるが、一方で夢兎はにこやかに笑みを浮かべながら。


「はい、ですので周りの人がわたしたちを認識することはないのです。それに、ただ認識に作用するだけじゃなくてわたしたちを違和感なく避けるようにも作用しているのです。もちろん、魔法を使っちゃったり、目立つようなことをすると効果が失われてしまったりするのですが」

「でも、何人かはこちらに気付いているような人もいましたが……」


 蓮が記憶を探りながら問う。


「それは多分同じ関係者用ブレスレットを付けてる人か、その魔法の発動者たち、あとは気配遮断を看破できる異世界人の方ですね。そういう人にはこのブレスレットの効果はないのです」


 蓮が「なるほど」と感心して頷く。


「だそうだ、獄(ひとや)。厄介ごとに巻き込まれんようにな」

「変なフラグ立てんな!」


 再度ぽふぽふと頭を撫でてくる蓮の手を振り払いながら、猫乃門はシャーッと牙を剥いた。


***


 それから三人は少しばかり歩いて、次に豪奢な西洋城が遠目に見える噴水の前に移動した。


「ここは今回のフォトスポットみたいなのです! あそこでは妖精のベルちゃんが魔法の粉を振りかけて、宙に浮かせてくれるみたいですね!」


 夢兎の視線の先には、噴水をバックにふよふよと宙へ浮かびながらポーズを決めるカップルがいた。その傍では、手のひらサイズほどの小さな妖精がきらきらと輝きながら飛んでいる。

 赤い髪をツインテールに結んだ彼女が輝いているように見えたのは、“魔法の粉”によるものであり、それを振りかけることで他者を無重力状態のように浮かせることができるのだ。


 本来、異世界人が一般人に対して緊急時以外に異能力を使用することは許可されていない。しかし、例外はある。

 それが、『商業異能力資格』である。


 日本政府が異世界人に対して商業的な異能力の使用を許可する資格で、許可が下りた異能力に関しては商業的に――つまり金銭目的で一般人に対して使用して構わないことになっている。

 現在世界中で異世界人が異能力を用いた個性的な商売を日夜編み出しているが、表向きで最も一般化しているのは召喚等によって使役する異世界獣とのふれあいパークであり、これにも同資格が必要である。

 猫乃門はベルと呼ばれる妖精を見るや否や、またしてもきらきらと瞳を輝かせて。


「ベルちゃんだ~! ほんとにちっちぇえ~! かぁ~わ――」

「あっ猫さん!」


 その声に、猫乃門はハッと気が付く。


「しまっ――」


 しかし、そう発したときには遅かった。小さなツインテールの妖精は、ぷっくりと頬を膨らませながら猫乃門を睨むと、あっという間に彼女の頭上に飛んで来て魔法の粉を撒き散らす。

 それはさながら胡椒の蓋を取り外してぶっかけたかのようで――。


「う、わああぁ~~ッ!!?」


 猫乃門はとたんに空高く浮かび上がって、ぐるんぐるんと振り回される。


「フラグ回収早かったなぁ」


 蓮が他人事のようにつぶやくと、隣の夢兎が苦笑いをしつつ。


「彼女は自身に向けられる『かわいい』という表現がきらいなのです。だからファンは使わないのがルールなのですね」

「なるほど。それは怒って当然ですね」


 親切に解説してくれた夢兎に頷く蓮の一方で、ぐるぐるに回された猫乃門は酔いに口元を抑えながら。


「ぅぷっ、ご、ごめんなベルちゃん~……っ、嫌な気持ちにさせちまって……」


 猫乃門は吐き気を堪えながらも、しょんぼりと眉を下げる。その様はまるで叱られた子どものようで、あまりにも憐憫を誘ったためか、あるいは母性をくすぐるためか、ベルも吊り上げていた眉を下げる。

 それからそっと猫乃門を地面へ下ろすと、魔法の粉で宙に『わたしもふりまわしてごめんね』と文字を描く。ベルは喋らないので、基本的に意思疎通は宙に描かれた文字で行うのだ。

 彼女は最後に猫乃門の額に優しく口付けを残すと、小さく手を振って仕事場へと戻っていった。


「許してくれてありがとな〜〜!」


 下ろされた猫乃門が、手を振ってベルを見送った。

 そして、慌てて後方にいる蓮たちの方へ戻る。


「いや~、わりぃわりぃ。ちょっと気が抜けてて……」


 猫乃門は言いながら、ふと異変に気付いた。

 周囲の目線が、やけに自分たちに集まっている。


「……こ、これは」


 しかし、猫乃門が言い切るよりも先に、ベルの列に並んでいた客や歩いていた者たちが一斉に声を上げた。


「うおおおおっあれ、ゆゆんちゃんじゃね!?」「ゆゆんちゃんだっ!!」「もしかして配信映ってる!?」「キャー!! かわいいー!!」


 などと、夢兎を知ってる者たちが騒ぎはじめる。


「ま、まずいのです! さっきの猫さんの騒ぎで気配遮断が効果を発揮できなくなっちゃったのです!」

「嘘だろ!?」

「いやぁ、実に綺麗なフラグ回収だな。逃げましょう」


 蓮の言葉を最後に、焚かれるフラッシュや黄色い声の嵐を背にして、三人は急いでその場から走りだしたのであった。

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