第5話 いや無理

●第二章



 >>百合営業。

 親密な距離間や絡みを好むファン層に向けて、女性の演者同士が故意的に恋人同士のような絡みをすること。異性間の恋愛を異様に嫌うファン層を持つ演者があえてこのようなことを行うことで、異性間恋愛に関する話題を避けるためにも使用される。場合によっては一部のカプ厨過激派オタクを生み出すきけんなわざ。

 対義語はBL営業。こちらは男性同士の同様行為を指す。



「いや無理」


 猫乃門は首が千切れるのではないかというほど、ぶんぶんと高速で左右に振りまくる。


「俺にはそういうのできねえ」

「できるかできないかじゃない。するんだ」


 夢に燃える若人か鬼教官のようなことを言いながら腕を組む蓮の表情は、冗談を言っているようには見えない。

 しかしそう言われたとて猫乃門の意志は変わらない。白い正方形の小さなテーブルを囲んで真正面に胡坐を掻く蓮を再び見やりながら、もう一度首を振る。


「無理無理無理、ていうか、ていうか俺――」

「?」


 そう、そうだ。猫乃門には、目の前の蓮と百合営業など無理だ。だって、猫乃門は。


「可愛い子が好きだし!」


 瞬間、どすっと首を掴まれる。食い込んだ爪がギリギリと音を立てながら猫乃門を締め上げる。


「ほう、貴様、私を愚弄する気か。この美しさの頂点に立つ私を」


 ゴゴゴ、とバトル漫画並みの効果音を醸し出しつつ鋭い眼光を向ける蓮は、猫乃門の言葉を酷い侮辱だと受け取ったらしい。察した猫乃門は慌てて否定する。


「い、いやお前は綺麗だけど、可愛くはねえだろ! 俺は小動物みたいで、守りたくなるような可愛い子が好きなんだ!」

「古い価値観だな」

「数千年前に生まれた奴に言われたくねえんだけど!?」


 蓮の怒りはひとまず収まったようで、ぽいと掴んでいた首ごと投げ捨てられる。首の状態を確認するようにさすったが、後に引く痛みもなく随分と手加減しているらしいと悟った。妙なところで気遣いはする女だ。

 猫乃門は首をコキコキと鳴らしながら。


「つーか俺はそもそもそういうのよくわかんねえし……」

「そういうの、とは?」

「えっ、だから……付き合う? とか、好きとか、恋愛とか、好きな相手に対してドキドキする、みてえなのとか」

「なるほど」


 蓮はその答えを聞きながらしばし考えるように顎へ手を当てていたが、すぐに心得たとでも言いたげな様子で。


「わかった。では私の手を握ってみろ」

「え? 何で?」

「いいから。貴様がわからんという“ドキドキ”を体験させてやろう」


 猫乃門は詳細を省く蓮に疑わし気な瞳を向けたが、しかし、やるまでは解放されなさそうだと察した。

 彼女は小さなため息をひとつ零してから、仕方なくその白い手を握る。

 きゅっと握った手はあまりにも冷たくて細くて、やっぱりコイツは人間じゃないんだなあ、と思ったのに、そのくせどこか柔らかいのがどうにもちぐはぐで、それが不思議と蓮に合ってるような気もした。

 とはいえ。


「……」


 一秒。二秒。三秒……蓮はただやけに至近距離でこちらを見ているだけで、猫乃門に何かが起こることもない。


「……え? いつわかんの?」

「何!?」


 呆れの混ざった表情で小首を傾げた猫乃門に、蓮が訳が分からないとでも言いたげな表情をした。訳がわからないのはこっちである。


「どういうことだ……何も感じんのか?」

「あ? 何だよ、魔法とか使ったのか? 全然変わってねえけど……」

「魔法など使っておらんわ! 私と触れているだろう! この! 美の頂点に立つ! 私と! その私と手を握りながら至近距離で見つめられて何も感じんとはどういうことだ貴様……!」

「どういうことだはこっちの台詞だよバカ。悪ぃけど、お前に特別どうこう感じることはねえよ。他の皆と一緒だ」

「マジか貴様……」


 蓮は呆気に、それはもう世界の崩壊を目の前で見たレベルの呆気にとられた表情をして呟いた。

 一方の猫乃門は、最早それとはまったく異なることを考えていた。


「ていうか、百合営業って要するにお前とこういうことやるってことだよな? やっぱダメだわ」


 猫乃門はふりふりと手を振って拒絶の意を示しながら、改めて蓮の提案を却下する。

 ようやく先ほどの衝撃から立ち直った蓮は、そんな彼女を見て。


「なぜダメなんだ? 要するに演者のより親密そうな関係性を好む者たちへのファンサービスだろう? ニコニコ微笑んでいるのと同じだ」


 女性同士・男性同士・男女同士問わず、『カップルのような親密な関係性』や『深い信頼がある関係性』に熱を上げる層は一定数存在していて、それが高じてか”ただのカップルが配信をするだけ”のようなカップルチャンネルも動画配信における一大ジャンルのひとつである。

 アイドルグループなどがライブ中に演者同士でキスするパフォーマンスも、そのような層に向けたものであることは明白で……要するに人気商売において『コンビ売り』みたいなものはウケがいいのだ。


「それにこの国では法律で同性愛や同性の結婚が認められていないわけでもないんだろう? そりゃあ法律で差別されている者たちを尻目にそれをやるのはあれだが……」


 現在、日本では同性婚が広く認められており、同性婚や同性カップルも多く存在している。それは確かである。確かであるが。


「そうだけど、根本的に! 何かツレと無理して肩組んでるみてえな感じがするんだよ。わざとやるってなったら騙してる感じがして罪悪感がすげえしさぁ」

「貴様は潔癖だな。ヒトなぞ常に自身を偽って生きているのだ。それの延長だと思えばいい」


 蓮は呆れたように肩を竦めるが、猫乃門にとってはそう簡単なことでもない。


「それは……そうなのかもしんねえけど……」


 猫乃門は唇を尖らせながら、呟くように言った。心なしかぴょこりとはねた髪の部分が、しゅんとしょげているようにも見える。


「でもやっぱムリ! 百合営業はなしだ! それ以外で何か考えようぜ」


 猫乃門の言葉に蓮は「ふむ」と少しばかり考えるように顎に手を当てたが。


「まあとりあえずは良かろう。貴様には他にも改善すべき点が山ほどある。まずは――」


 蓮はそれから猫乃門のスマホをいくらか操作する。そして。


「宣伝用SNS! 何だこれは!」


 蓮がバンッと眼前にかざした液晶画面には猫乃門のSNSアカウントが表示されており、そこに並ぶ投稿は上から順に、『飯食った』『巡回行く』『動画上げた(URL付き)』『可愛い猫いた(写真付き)』というものであった。どれも共にイイネやコメントなどの反応はほとんどないに等しい。


「一般人でももう少し中身のある呟きをするぞ!」

「い、いや、こういう投稿って何書いたらいいかわかんねーし……」


 叱責する蓮の勢いに押され、しどろもどろになる猫乃門を他所に、蓮は「全く……」と腕を組む。


「ともかくこちらへ来い」


 人差し指をくいと動かした蓮の元へ、特に何も考えることなく猫乃門が近づくと、ぐいと頭を掴まれ引き寄せられる。


「はい、チーズ」


 カシャ、と軽い機械音が鳴る。よく分からないまま猫乃門が驚いた表情をしていると、そのまま蓮は流れるように猫乃門のSNSアカウントを開いて先ほどの画像を投下した。画像上の呟きには『今日から二人』と簡潔な文字が並んでいた。


「ああああテメェ何やってんだ!」


 急いでスマホを奪取しようとしたが、掲げられて取れない。そうこうしている内にアカウント名も『猫乃門獄』から『猫乃門獄&蓮』に変えられている。


「何って改革だ改革。だがSNS以外にももっと問題がある」

「は、問題……? 何が――」


 蓮は再び猫乃門の前に画面をかざす。


「動画だ! 何だこれは!」


 そこには何の加工もされていない無機質な画面のサムネイルが並んでいて、よくよく見れば危険モンスターと相対している猫乃門を後ろや横から撮っている画像であることがわかった。

 それらはそれぞれ昼間のようだったり夜のようだったりしたが、とにかくその内の夜撮られたらしい動画を蓮はひとつタップする。

 動画は特に編集もされておらず、薄暗くてよく見えない夜道の住宅街の中、ゴブリンのようなモンスターと戦っている猫乃門が映っていた。


「サムネイルすら無加工で面白味もない上に、どれも中身はひたすら鎌でモンスターを小突いている動画! これのどこが面白いんだ!」

「か、カッコよく戦えりゃ自然とバズるかなと……」

「そんなわけないだろ! そもそもまずは見てもらわなきゃ話にならん! 貴様はその大前提すらできてないんだ!」


 あまりにも的を射た正論に猫乃門は思わず押し黙った。


「……じゃあどうすりゃいいんだよ」


 どこかしょげたような、幼い子どものような声で小さく問うた猫乃門に、蓮は鮮やかな桜色の唇を持ち上げる。

 それから、びしり、と白く長い人差し指を立てると。


「よし、ではチャンネル一新計画だ」

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